ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

インタビュアーとコーチの違いとは? (3)二つの「聞く」相違点②

2013年07月05日 | ●コーチング

 

 

インタビューとコーチングの

二つの「聞く」の相違点について、

前回は、「誰のために聞くのか」が違う、

ということについて書きました。

 

ほかにも、二つの違いはこうかも、と思うことには、

自分のした質問が機能したかどうかが

わかるかわからないか

ということがあるかな、と思います。

 

これは、「聞き方」というより

「質問のし方」の違いになるかもしれません。

 

 

インタビューが成功したかどうかは、

インタビュアーである自分が

「ああ」「なるほど」と思えるかどうかで

ある程度わかるように思います。

 

インタビュアーである自分が、

「ああ、なるほど」と思える答えをもらえた

ということは、

自分の後ろにいる読者や視聴者にも

なるほど、と思ってもらえる

可能性が高まります。

 

なぜなら、インタビュアーは視聴者や読者の代わりに

話し手に話を聞いているからです。

(その意味では、読者や視聴者の知りたいことが何か、

理解している必要がありますが。)

 

それを、さらに、ちゃんと読者や視聴者に伝えられるか、

という問題はあるのですが、

自分がわからないものは、

人に伝えることもできませんから、

まずは自分がわかった、と納得できることは

とても大切です。

 

また、そうした答えが得られたということは、

そういう質問ができていた、

ということになるのでは? と思います。

 

ということで、

自分の質問がヒットしたかどうか、

それを自分の感覚で確認できるのが

インタビュー。

 

逆に言えば、

質問を準備しておいて、その答えを取りに行くのが

インタビュー。

 

そして、

質問はまったく準備せず、話し手の話を聞きながら

聞き手の中に湧いてきた質問をするのがコーチング。


そういうことが言えるのではないか、

と思います。

 

 

コーチングでは、ああ」は、

相手である話し手の中で起こることです。

話し手が、大きく「ああ!」とか言ってくれたり、

自分の中で起きたことについて

話してくれたりしない限り、

話し手の中に何が起きたのかはわかりません。

何らかの手応えを感じたとしても、

コーチは自分のした質問が機能したかどうか

本当のところはわからないのかもしれません

 

しかも、コーチングの質問の場合、

その瞬間に「ああ」を引き起こせれば

それでいいのかというと、

そうでもありません。


問われた時には「はあ?」と

さっぱりわからなかった質問が、

何日も、何週間も、時には何年も(!?)

心に引っかかっていて、

ついには潜在意識の中で考えていて、

そしてある時、ハッと答えがわかって「ああ!!」。

そんなこともあります。

そんな質問の方が、

ずっと深くて鋭い質問だったりします。

 

そう考えると、

質問が機能したかどうか、

それは、コーチである聞き手も話し手も

実はわからないのかもしれません。。。 

 

 

コーチングでコーチが質問するのは、

質問することで、話し手が、

・自分一人では見えていないところに

 スポットライトを当てられるかも、

・ものを見る視点を変えられるかも、

・その先を考えることで、前に進めるかも、

・・・・・・・・

そんなことを考える時だと思います。

 


人は、質問されると、答えを考え始めると言われます。

話し手は、答えようとして話すことで

自分自身の頭の中を整理したり、

自分自身の感情などにも気づくことができます。 

 

このように、自分で話す話を自分で聞くことにより、

自分の中に気づきや変化が生まれることを

コーチングでは「オートクライン」と言います。


この「オートクライン」は

すでに自分がわかっていることや、

すでに一度考えたことを話す時より、

初めてそれを話すときに、ずっと起こりやすいものです。


ですから、コーチは、「オートクライン」を願って、

話し手の話を聞きますし、

質問するときは、

話し手が初めて考えることになるであろう質問を

するようにします。

そういう質問は、初めから準備していることはできず、

ほとんどの場合、セッションの中で湧いてくる

生ものになります。

(もちろん、機能する質問を、道具としていくつも持っている

ということはありますが、どこでどれを使うか、

それは、その時に決めることになります。)



では、実際に、話し手にオートクラインが起きたかどうか、

あるいは、いつでも引き起こせるかどうか、

ということなのですが、

それは、わかりません。

 

「話し手のため」と言っても、

そこで行われている対話が、

本当に話し手のためになっているのかどうか、

それすらも、実は定かではありません。

 

「ため」というのは、あくまで

「目的」の対象者の方向を指すものでしかありません。

話し手のためになるように、と願うことは

自分がすることですからコントロールできることですし、

おそらくほとんどのコーチは、

それを願ってコーチをしていると思います。

けれど、本当に話し手のためになったのかどうか、

それは、結果でしかなく、

自分自身ではコントロールできないことです。

 

結果もコントロールしようとすること、

何かを意図して聞き取ろうとすること、

そんなふうに力を使うのではなく、

もっとすべてを手放して「聞く」。

エゴを手放して、もっとエコな感じで聞くことができたら、

きっと、ステキな聞き方ができるのだろうと思います。

 

私にとっては、それが課題です。

 

 

(※「オートクライン」については、

 こちらにいい記事がありました)

 

(つづく) 

 



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