後藤健二さんが、帰らぬ人となってしまいました。
後藤さんの志、仕事、なぜ行ったのか、
彼の胸中、残された家族、特に奥様の思い・・・
いろいろと考えると、さまざまな思いがありますが、
言葉がうまく見つかりません。
なぜ、こんなことが起きるのか?
もう、起きないようにするにはどうしたらいいのか?
そんなことを、考えます・・・
昨夜、 NHKのスペシャル番組「追跡”イスラム国”」を見ました。
それを見ていて、この組織の誕生と成長の過程を考えました。
どこをそもそもの発端にするのか、
ということになると、
おそらく歴史をどんどん遡らなくてはならないでしょう。
物事は、単純ではありません。
ただ、今現在、どういう人たちが
この組織に入るのかといえば、
多くの場合、自分の置かれている現状に対し
憤っている人たちだということは言えそうです。
もともと、なんの罪もないのに、
争いに巻き込まれ、家族を殺されたりした人たちも
少なくありません。
そして、それゆえに生活にも困窮している若者、
そしてそれゆえに、あまり教育が受けられない人たち、
そして、偏見のもとに、差別を受けたり、
社会から排除されている人たち・・・。
彼らの多くが、「理不尽」さの中で、
孤独を感じたり、怒りを感じたり
そして激しい憎悪を感じたりしているのです。
そうした、世界中にあるマグマのような負のエネルギーが
いま、集まって、噴出し始めているように
思えてなりません。
そうだとすれば、一つの山の噴火に対応しても、
また別の山から噴火するだけです。
噴火する山を潰そうとしても、
出口を失ったエネルギーは、
さらに溜まって、別のはけ口を求めるだけでしょう。
西洋医学のように、対症療法をして
手術ばかりを繰り返しても、
その病にかかる体質自体を改善しないことには
もぐらたたきでしかありません。
まるでガンの放射線療法のように、
強すぎる対症療法をすると、
体自体が、ガンではなく放射線で死んでしまうように、
世界自体が壊れてしまうかもしれません。
20世紀は戦争の世紀と言われてきましたが、
対症療法的に武力で対処しようとしても、
地球という体は救えない、ということは
もはや、明らかだと感じます。
西洋式の対症療法だけではなく、
東洋式の原因療法、つまり、体質改善に
取り組む必要があると思います。
貧困や無知がなくなるようにする、
そして、疎外感や孤独感を感じる人が少なくなるように
一人一人ができることをする・・・
憎悪に憎悪で対応していては、
いつまでも戦争の世紀は続きます。
陳腐で紋切り型の言い方ではありますが、
地球を救うのは、やはり「愛」なんじゃないか、
と、そう思います。
自分たちがごきげんで生きるためには、
他の人もごきげんで生きられるようにする。
他の人がごきげんで生きられるよう考えることが
自分自身が安心してごきげんでいられるための
大きな前提条件である。
そう思います。
コミュニケーションも、そのためにある。
そんなことを以前も書いたことがありますが(→こちら)
改めてそうだな、と思います。
いまや、テロもどこか遠くの出来事ではなくなろうとしています。
平和を願うのであれば、やはり
まずはすぐそばにいる人たちの違う考えや、心の痛み、
そうしたものを受け止めていく努力から
始めていくことに意味があるのかもしれません。