車を手放して(→詳細はこちら)、1ヶ月が経ちました。
時々、家にいる末息子が
「ねえ、駅まで送ってくれない?」
なんていう言葉を口にします。
そして、私が
「ん? 自転車で?」
と言うと、
「あ、そうだったね」
と言って、もうわが家には車がないことを
思い出すのです。
そんな会話が、このひと月あまりで、何度かありました。
わが家の子どもたちにとっては、
車は生まれたときからあるもので、
その車内空間は、彼らにとっては
わが家の1部屋のようなものでしたから、
車が無い、という感覚は
生まれて初めて持つ感覚だと思います。
さて、
車のない生活が始まって、
一つとっても実感したことがあります。
それは、私の時間が増えたということ。
「送って」「迎えにきて」と言う家族のひと言で、
15分、30分、1時間という細切れの時間が
これまでの28年に
いったい、何百回、いえ何千回、あったことでしょう。
それが、もう、ないのです。
私の所有する時間から、
そうした時間が消えたのです。
自分の時間が長くなった気がしても、
不思議ではありませんね。
今も、ひどく雨が降るときなどには
「ああ、迎えに行ってあげたいなあ」
と思うことがあります。
でも、無いものは無い。
私自身も、家族も、潔く、諦めることができます。
その感覚、なんだかとてもさわやかです。