ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

幸福の女神様の気持ち

2013年01月20日 | ●セルフコーチング



今日、子どもたちのものを片付けていて、
ふと「幸福の女神さま」の気分が
わかった気がしました。


我が家の子どもたちの中には、
着るものでも持ち物でも
自分の納得するものにとってもこだわる子と、
こだわらない子の、
大きく二つのタイプが存在します。

こだわる子は、
たとえば、お料理でも、
食器選びや盛りつけにまでこだわり、
それらがないがしろにされていると
母親である私にも、厳しい指摘をしてきます。
こちらとしても、ちょっとばかり
取り扱い注意を心がけます。

一方、こだわらない子は、
ほとんど文句を言うことなく、
与えられたものを享受してくれます。

親とすれば、
「何でもいいよ」と言ってくれる子は
ありがたい存在です。

何かが足りないとか、
同じ品質のものをそろえられず、
誰かが我慢をしなくてはならない時、
たいていは「何でもいいよ」と言ってくれる子が
言ってみればその損な役回りを引き受けてくれるからです。

もちろん、それは不公平だからと、
親もきょうだいも
その時々で調整をしたり、譲り合ったりしています。

とはいえ、 
やはり、「なんでもいいよ」と言ってくれる子には、
いつも損な役回りを押しつけて、
かわいそうなことをしているなあ、と
今日は、自分を反省しました。


そして、同時に思いました。
家での場合はこんなふうに
「調整しよう」という力も働きますが、
これが一般社会だとどうだろうか? と。


同じ製品を買ってくれるクライアントが二人いたとして、
一人は、事細かに、製品に注文をしてくる。
一人は、「なんでもいいですよ」と言っている。
後者は、ある意味ありがたいお客には違いないけれど、
それが続くと、
「何でもいいって言ってるんだから、
何でもいいんじゃない?」
と、受け手の方にもそんな気持ちが湧いて、
ほんとに「どうでもいい」扱いを
してしまうのではないかしら?

本来あってはならないことだと思いますが、
人間、そんなものかもしれないと思いました。



「何でもいい」の後には、
「御社の製品を信じているから」
という言葉が続くのかもしれませんが、
「どうせこの程度でしょうから」
という言葉もありなのだと思います。

そうなれば、
言われた側も、そんなに期待されていないなら……と、
いわゆるピグマリオン効果の逆で、
されていない期待に沿って(?)
残念な結果を出すことになるかもしれません。

もちろん、
あれこれと注文のうるさいお客も、
信頼しているからこそ要求する場合と、
信頼していないから要求する場合と、
両方の可能性があるかもしれません。


ただ、どのケースでも、
「自分の欲しい物は、これこれこんなふう」と、
はっきりと言われた場合は、
言われた側は、
言われたとおりのモノを提供しようとする可能性が、
言われない場合に比べて高まることは確実でしょう。



「何でもいい」というオーダーより、
「カツ丼!」などという
「明快なオーダーの方が、
確実に、早く対応できる
というものです。



そう考えると、
「幸福の女神様」も
案外とそんな気持ちなのかもしれない。
明快なオーダーの人には答えやすいのかも。
そう思いました。







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