京都 法金剛院のしだれ桜(待賢門院桜)
崇徳院(崇徳天皇)1119-1164 鳥羽天皇の第一皇子、母は待賢門院
法金剛院は、待賢門院が平安時代末に復興。 池を中心に極楽浄土を模した庭園が造られた。 西行を始め多くの歌人が訪れ、歌を残しているそうです。
満開の待賢門院桜
待賢門院(1101-1145)が薨じた時、崇徳院は26歳くらい。 その約10年後の保元の乱で、崇徳院方は敗北、院は讃岐に配流され、その地で崩御された。
崇徳天皇白峯御陵(香川県坂出市)
西行法師は、崇徳院の崩御後、慰霊のために当地を訪れた。そのとき通ったとされる道が「西行法師のみち」として整備されている。
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「西行法師のみち」 歌碑は三首とも崇徳院御製
・ 濱千鳥 跡は都へ通へども 身は松山に音をのみぞなく (源平盛衰記)
・ 瀬を早み 岩にせかるる瀧川の われても末にあはんとぞ思ふ (詞花和歌集)
・ 一たびも聞きし御法を種として 佛の身とぞたれもなりぬる (久安百首)
仏教伝来の地 石碑(奈良県桜井市金屋)
日本書紀にあるこの記述は、日本に仏教が伝来したことを示す最初の記録といわれている。 欽明天皇13年は西暦552年。
百済の聖明王の使者は泊瀬川を遡り、当時、大和朝廷の玄関口として賑わっていた海石榴市(つばいち)、現在の桜井市金屋に上陸したとされる。
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*主な参考資料
岩波書店 新日本古典文学大系⑩「千載和歌集」
法金剛院参拝案内
新潮社 辻邦生著 「西行花伝」
新潮社 日本古典集成 「山家集」
小学館 日本古典文学全集3 「日本書紀②」
著作・制作 KY企画