ウィキペディアによると、井真成は717年、遣唐使として唐に渡り当地で病死した。
阿倍仲麻呂や吉備真備と同時代の人。
近年、中国でその墓碑が発見された。 工事現場で掘り出された後、人手に渡っていたとかで、
どこでいつ掘り出されたかも分からないという。
墓誌の抄訳は以下の通り
『姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。
生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。
学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。
ところが思わぬことに、急に病気になり、開元22年(734年)の1月に官舎で亡くなった。
36歳だった。 皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。
体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰らんことを願う。』(ウィキペディア参考)
写真は、井真成の故郷であったのではないかと言われている大阪府 藤井寺市にある葛井寺の白藤。
宮沢賢治(1896-1933)
写真は神奈川県 相模川で2002年5月撮影。 右側の写真はクリックすると拡大します。
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「たまくしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ」
源実朝(1192-1219) 『金槐和歌集』より
箱根大観山から芦ノ湖を望む。2012年4月撮影。
富士山の下にある山は三国山。昔は、山頂から相模、伊豆、駿河の三国を望めたのであろう。
現在は山頂を神奈川県と静岡県の県境線が通っている。
* 主な参考資料
ウィキペディア
筑摩書房 宮沢賢治全集 第16巻
新潮日本古典集成 『金槐和歌集』
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