古今東西 珠玉の言の葉めぐり

これまで心に響いた珠玉の言葉を写真とともに掲載します

2012年 8月号

2012-08-23 | 言の葉

和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)(1846-1877)

ウィキペディアによると、将軍家茂と皇女和宮の夫婦仲は良かったそうです。
家茂は長州征伐の最中に慶応2年(1866)7月大阪城で病没。
その後、和宮が土産として所望していた西陣織が彼女のもとに届けられたが、
和宮は「空蝉の唐織りごろもなにかせむ綾も錦も君ありてこそ」の和歌とともに、これを増上寺に奉納した。
これは後に袈裟に仕立てられ、空蝉の袈裟として増上寺に現存するそうです。
写真は、もちろんその袈裟ではありません。







「勝地本来無定主 大都山属愛山人」 白楽天(白居易)(772-846)
和漢朗詠集 藤原公任撰 1013年頃成立

写真は八ヶ岳山系 硫黄岳山頂で、昭和60年8月撮影。
「向こうに見える山は左から、横岳、赤岳、阿弥陀岳」とのことです。








「渡り懸けて藻の花のぞく流哉」 野沢凡兆(?-1714)

写真は梅花藻の花。




*主な参考資料
 ウィキペディア
 新潮社 新潮日本古典集成「和漢朗詠集」
 講談社 「百人百句」大岡信著


著作・制作 KY企画
  

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