さてさて・・・
記憶があるうちに、ソウルの思い出を。
朝、向かうはいつもの明洞聖堂。
前回素敵なシスター
と出逢った所。
ここ
階段を上がったところ、守衛さんが居る建物付近で
お土産の紙袋を提げた、日本人観光客がかたまっている。
「何してるのかしら? 」
その側を通り抜け、大聖堂の入り口へ・・。
右側の入り口は、通路をセメントで塗る作業が行われていた。
では~ということで、左側
から入るとする。

中は、前の方に20人くらいのマリアベールをつけた人々が・・・。
神父様の、低く厳かな祈りの声が、マイクを通して耳
に優しい。
そのうち、一人づつ前に進みキャンドルに点火しだした。
「えっ!私たちも?? 私たちはいいよね~ パス
」
賛美歌を歌い、静かに進行されるミサ。
?????何だかいつもと違う! 変よ??
あぁ~~ナントいうことか、
我々は「お葬式」に参列していたのだった。
中央通路を、3名の神父様を先頭に
遺影を抱いた男性、その後に棺。
神父様5名、ご家族と進んでくる。
椅子から立ち上がり、合掌しながら遺影のご婦人を拝見した。
品のいいお婆様。
お顔を拝見しているうちに、父や母と重なり
涙が止まらなくなった・・・。
目の前を棺が通る。
泣きながら深く頭を下げる私に、ご家族の方が頭を下げながら通りすぎた。
見も知らぬ観光客に、葬儀の列席を認めてくださった教会とご親族。
今も、あのやさしい写真のご婦人を思い出しながら・・・。
またも明洞聖堂
は、感動を与えてくれた。
記憶があるうちに、ソウルの思い出を。
朝、向かうはいつもの明洞聖堂。

前回素敵なシスター

ここ

階段を上がったところ、守衛さんが居る建物付近で
お土産の紙袋を提げた、日本人観光客がかたまっている。
「何してるのかしら? 」
その側を通り抜け、大聖堂の入り口へ・・。
右側の入り口は、通路をセメントで塗る作業が行われていた。
では~ということで、左側


中は、前の方に20人くらいのマリアベールをつけた人々が・・・。
神父様の、低く厳かな祈りの声が、マイクを通して耳

そのうち、一人づつ前に進みキャンドルに点火しだした。
「えっ!私たちも?? 私たちはいいよね~ パス

賛美歌を歌い、静かに進行されるミサ。
?????何だかいつもと違う! 変よ??

あぁ~~ナントいうことか、
我々は「お葬式」に参列していたのだった。

中央通路を、3名の神父様を先頭に
遺影を抱いた男性、その後に棺。
神父様5名、ご家族と進んでくる。
椅子から立ち上がり、合掌しながら遺影のご婦人を拝見した。
品のいいお婆様。
お顔を拝見しているうちに、父や母と重なり
涙が止まらなくなった・・・。

目の前を棺が通る。
泣きながら深く頭を下げる私に、ご家族の方が頭を下げながら通りすぎた。

見も知らぬ観光客に、葬儀の列席を認めてくださった教会とご親族。
今も、あのやさしい写真のご婦人を思い出しながら・・・。
またも明洞聖堂

お元気でしたか?
私は相変わらず・・・マイペースですよ。
九州にいらしてたんですね~。
お盆明から急に暑く
色々な面で大変
でも、故郷の山川は温かく迎えてくれたことでしょう。
お母様にとっても、懐かしい故郷の景色
一息入れたら、
又ブログ
仲間がお休みだと寂しいです。
車椅子の慣れない旅行にためにハプニングも多くおきましたが、何とか無事に20日の夜8:00に老人ホームに帰着しました。
私の最大のイベントが終了し、精神的に楽になりました。
次は仕事に精出しながら、慌てず、ゆっくり人生を楽しみたいと思っております。
kyaraさんは相変わらず、行動的で人生を謳歌していますね。
でもクリスチャンじゃなくても、
教会は心を静める素敵な空間
私も教会では、
感謝
神様にテリトリーは無いですものね。
気温18度。
ネッ!札幌に似てるでしょ。
私も、いつも胸の中に母が居ます。
一人っ子の私は、
夏の暑い夜、母の扇ぐうちわの風の涼しさ
凍えるような冬の夜、
母の胸に抱かれ、温かい腿に冷たい足を挟んでもらって、温まりながら眠り
戦後の日本が貧しい時、
どんなに大切に守られ育てられたか、
私の全てが覚えているから・・・。
やはり親離れ出来ていないのかも知れませんね。
9割がた食い気なんだけど、
時に、違う方向にもつま先が向くんですよ。
江原さんじゃないけど、
私の後ろに両親が居たのでしょうか。
旅の無事を見守っててくれたのかしら。
明洞聖堂の地下聖堂には、
殉職をした5名の聖人の遺骸と無名の殉職者の遺骸が安置されてるんだそうです。
そんな聖堂には、
人の心をひきつける大きな腕(かいなのような安心感があり、
誰しもが、頭をたれたくなるような雰囲気が漂っています。
いつも誰かに見守られている幸せを
再認識する場でもあるんですね。
窓を開けて寝ていると、
今朝方は寒い
今の時期、風邪をひいても
うっかりお医者様に行けません。
インフルエンザを疑われてしまいそう~だから・・。
お腹を出して寝ないよう、気をつけないと・・・私。
パリのお花と、日本で言うところのエンゼルトランペットは、
違う品種かもしれませんね。
私も、本当の香りが知りたいわ!!
葬儀の時以来教会の扉くぐっていません
ざんげする事が多すぎて、
1軒、2軒ではすみません
思えはkyaraさんらしい体験ですね。
ものおじしない(もちろん良い意味で)、
プラス思考のkyaraさんだから、きっと堂々と
していたのでしょうね。
そして・・・
ご両親とオーバーラップされた涙に
satchinもジ~~~ンしました。
何時になったら親離れが出来るのかなぁ~
美味しいものばかりじゃ なかったのですね。
お寺でも神社でも教会でも
人が手を合わせるところは
不思議に心が落ち着きます。
日本人は 神様も仏様もOKな 国民ですから 精神に敏感に心が 引きつけられるのだと思います。
それに お父様お母様が kyaraさんと
ご一緒に旅行されていたんじゃないかな~
無事に帰ってこられるように 食べ過ぎないように なんてね(笑)
思い出してさしあげられて 良かったと思います。
忘れられない ご旅行になりましたね。
送る人の気持ちのこもった
葬儀は心に響くのかも
しれませんね。
ところで香りのご報告 有難うございます。
そうですか香りませんでしたか
お手数を おかけしました。
パリのお花と種類が 違うのかも
しれませんね。有難うございました
気がついた時、
「ここにいていいのかしら?」と思ったけど、
どうしても席
ご親族の胸に抱かれた遺影を拝見した時、
ふいに亡くなった父と、
年老いた母が浮かんできました。
そうしたら、涙が止まらなくて・・・。
送る人々の思いのこもったご葬儀は、
その場に居させていただくだけで、胸に迫るものがありますね。
先日お訪ねの「エンゼルトランペット」
香りのご報告です。
我が家の花には、香りがありませんでした。
蕾も、開いた花も香りが無いの。
せっかく期待して下さってたのにごめんなさいね。
他の方はどうなのかしら?
これからエンゼルトランペットを見るたび、
鼻を近づけてクンクンしそうです。私。
葬儀に参列されたのですね。
私はお寺でも神社でも
お地蔵様にも出合うと
その場で手を合わせる人です。
宗教の事は よくわかりませんが
見知らぬ方でも葬儀で 涙を
流して 悲しんでくださる方が
いる事 遺族には心に沁みる事だと
思います。読んでいて kyaraさん
お優しい方だなと改めて 思いました。
本当にいい体験をさせていただきました。
信者でもないのに。どうして教会はあんなに落ち着くのでしょう?
高い天井・ステンドグラス・歴史を感じる椅子・包まれる空気。
そっと腰掛けてるだけで、安らぎを感じます。
韓国でも一番大きく、荘厳な教会ですが、
誰でもいつでも受け入れてくれる懐は、
優しくて安心できる場所でした。
bonjiさんは今でもミサにいらっしゃいますか?
我が家の孫ちゃんはカソリックの幼稚園ですが、精神を学んでくれたらと思っています。
ううん、気にしないで下さい。
私もソウルビギナーだから、知らないことばかりですよ。
でもね、
ロミオ様のコメントはホント!「あの時私だったら・・・」と考える提起をしてくれたんです。
もし私が遺族の立場だったら・・・
我が家は仏教だから、菩提寺での葬儀の途中、
外国人が本堂に入り、静かに後ろの方から見送ってくれた場合。
それは有り難く受け入れるのではないかと思いました。
どこの国の人であれ、
手を合わせて見送ってくれる人は有り難いのじゃないかと。
これが葬斎場だとやはり心理的に違ってきます。
教会や寺院は、常に開かれて
疲れた心を休めたり、心のよりどころにする人たちが出入りできる場所。
そう考えると、あの時受け入れてくださった理由が解かる様な気がしました。
私、いい体験したでしょ。
たとえ知らないご婦人でも、静かにお見送り出来たこと、忘れられない出来事になりました。
カトリックの学校でした。
修道院が学校の同じ棟の続いてあり、
シスター達がたくさん生活していました、
クッキーやケーキを焼く香りと、
コーヒーの香りがいつもしていました。
どの学年もA組が担任シスターで
私は問題児?だったのでしょうか?
いつも厳しいシスターのA組でした
マリア様のようなシスターがいらして(美智子妃似の素敵な)
今でも忘れません。
でもシスター達も高齢化が進み人数も減って、
若いシスターも育たず、
今は修道院は閉鎖、
民間のアパートや老人施設でひっそり暮らしていらっしゃるようです。
教会は24時間導いてくださる為に
扉を開き、どんな人間も受け入れてくれます。
罪を犯した人を説得、自首させたりもします。
韓国の葬儀のミサを経験なさってよかったと思います。
中々出来ない経験ですね。
韓国ではそういう風習もありなのかも知れませんね。
牧師様もご遺族も、
どなたも咎めるような視線すらありませんでした。
私たちは後方の通路側に座っていましたが、
側を通る時でさえ、頭を下げながら通って下さいました。
今考えると、おおらかな心で許して頂いたのですね。
見知らぬ人を受け入れる、寛大なご家族だったんですね。
教会は24時間、誰でも受け入れるように開かれてる場所だから、
そんな場面に出逢うこともあるのかな?
なんて思っていました。
日本の葬儀と違うなぁ~って思っていたんですよ。
教会側が勘違いしたとか。
見知らぬ観光客が、一般人の葬儀に参列するなんてちょっと考えられませんがね。
アメリカでもそういう事例は、なかったような気がします。
もし、僕が喪主の立場だったら、鄭重にお断りを願って退出をしていただきますが・・・・。