教皇パパ・フランチェスコ(フランシスコ一世・ローマ法王)様、司教様、主任司祭板垣神父様そして、皆様おはようございます。
パリ同時襲撃があったとのことですが、私は、今日の朝のMSNニュースで、やっと、ある程度の情報を見ました。
思うに、現実的な宗教戦争というよりは、細かい心理学的な問題によって、宗教戦争に置き換えられてしまったように思います。
やはり、イスラム国の、或は、イスラム教徒の皆さんの冷静を求めたいと思います。
イスラムの皆さんと同じような、或は、それ以上の苦しみも、東南、東アジアでの人々も苦しんできていることを思えば、
全てを、利益に基づいて、考えないで、いかにして、生きる力を、保つための努力をするか、またどうやって、具体的な戦闘を避けるかが重要です。
どちらも、落ち度はあるわけだし、そこまでこだわってしまっても結論は、出ないことをこだわっているのではないでしょうか。
ただ、確かに日本でもそうなのですが、いつ訪れるか解らない、ある人々の未来において、彼らが理解して活躍したと仮定した利益の要求は、
やはり無理があることは、どのような社会でも同じだと思いますが、なかなか、そのような問題を、邦人、異邦人問わずに、理解されることは、
非常に難しいと思います。とはいえ、誤りを含みながらの共生である事は、正しいと思える人ほど、受け容れなければなりません。
もう一度良く考えて、国際的な平和について、日常社会での平和について、考えてほしいと思います。
私も、日本の将来の可能性として、日曜日について、主日ミサに出られないことは残念でも、しなければならないことが沢山あって、
日々の早朝ミサで代用せざるを得ません。しかし、将来についての可能性を信じつつ頑張りたいと思います。
究極的な一致は難しくとも、同一神ならば、同一の父であるとも言える中で、神を信じるべきだと思います。
ソロモンの箴言19章20節~23節を転記します。
忠告を聞き、教えを受け入れよ。そうすれば、お前は後になって賢くなる。
人の心には多くの計画があるが、主のみ旨だけは変ることがない。
人間のもたらす実は慈しみ。貧しい者は残虐な者に勝る。
主を畏れることは、命に至ること。満ち足りて憩い、災いに遭うことはない。
以上転記終わり。
それでは、この世界に神の平安があることを信じつつ祈ります。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti
パリ同時襲撃があったとのことですが、私は、今日の朝のMSNニュースで、やっと、ある程度の情報を見ました。
思うに、現実的な宗教戦争というよりは、細かい心理学的な問題によって、宗教戦争に置き換えられてしまったように思います。
やはり、イスラム国の、或は、イスラム教徒の皆さんの冷静を求めたいと思います。
イスラムの皆さんと同じような、或は、それ以上の苦しみも、東南、東アジアでの人々も苦しんできていることを思えば、
全てを、利益に基づいて、考えないで、いかにして、生きる力を、保つための努力をするか、またどうやって、具体的な戦闘を避けるかが重要です。
どちらも、落ち度はあるわけだし、そこまでこだわってしまっても結論は、出ないことをこだわっているのではないでしょうか。
ただ、確かに日本でもそうなのですが、いつ訪れるか解らない、ある人々の未来において、彼らが理解して活躍したと仮定した利益の要求は、
やはり無理があることは、どのような社会でも同じだと思いますが、なかなか、そのような問題を、邦人、異邦人問わずに、理解されることは、
非常に難しいと思います。とはいえ、誤りを含みながらの共生である事は、正しいと思える人ほど、受け容れなければなりません。
もう一度良く考えて、国際的な平和について、日常社会での平和について、考えてほしいと思います。
私も、日本の将来の可能性として、日曜日について、主日ミサに出られないことは残念でも、しなければならないことが沢山あって、
日々の早朝ミサで代用せざるを得ません。しかし、将来についての可能性を信じつつ頑張りたいと思います。
究極的な一致は難しくとも、同一神ならば、同一の父であるとも言える中で、神を信じるべきだと思います。
ソロモンの箴言19章20節~23節を転記します。
忠告を聞き、教えを受け入れよ。そうすれば、お前は後になって賢くなる。
人の心には多くの計画があるが、主のみ旨だけは変ることがない。
人間のもたらす実は慈しみ。貧しい者は残虐な者に勝る。
主を畏れることは、命に至ること。満ち足りて憩い、災いに遭うことはない。
以上転記終わり。
それでは、この世界に神の平安があることを信じつつ祈ります。
Pietro Francisco Xavier Francisco Hiroyuki Sawaguti