廊下で女生徒が話している「公開恋文」って、ヴァイオレットが代筆したシャルロッテ王女の恋文かな? だったら面白い。書いた本人が目の前を通っているわけで、このことが知られたら、「騎士姫様」人気はさらに爆上がりだろうな。 イザベラが喘息の発作を起こした夜のエピソードについて、書き損ねてきた。咳き込みながら、イザベラは主のいない隣のベッドを、少し恨めしそうに見つめる。なぜこんなとき、ベッドにいないのか。し . . . 本文を読む
今日は忙しくてレイトショーしか行けなかった。今日で11回め、ブログの記事も8本めだが、まだまだこの作品は見飽きないし、魅力も語り尽くせない。 せめてラスト上映らしい今週(金曜日に上映予定があるから、嬉しいことにまだ続演のようだ)くらいは、年休を取って、一日中この映画を観て過ごしたいくらいだ。今年は2度の入院で、有給休暇も残り少ないのが無念でならない。 さて、今回の記事は、今までの感想の勘違いや事実 . . . 本文を読む
パンフレットの設定図によれば、エイミーと別れたとき、テイラーは5歳らしい。雪が降る場面ばかりだったから、一冬の物語かと思っていたが、背も伸び髪も伸びている。街角に立つエイミーがちらつく雪を見上げるのは、季節がめぐり、また長い冬がやってきたことを示していたのだろう。エイミーとテイラーが出会ったのも、別れたのも冬で、まだ戦争中だったのだろう。「戦争」が終わったのは4年前だが、5歳だったテイラーは10歳 . . . 本文を読む
この映画のラストで、モネの『日傘の淑女』と同じアングルで捉えられたエミリーは、日傘を落としてしまい、一人称も「わたくし」から「僕」に戻ってしまっている。このときエミリーが着ているドレスはすみれ色。エンディングでは、舞踏会で着ていた白いドレスだ。エミリーは、ヴァイオレットに本当に恋をしていたんだなぁと思う。 エンディングの日傘を差したヴァイオレットは、エイミーに会いに行く途中かと思ったのだが、カモメ . . . 本文を読む
土曜は朝の開場からレイトショーまで、一日中映画館にいた。『ジョーカー』と『エンテベ空港の7日間』、そして、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』を4回。日曜は朝早いから、夕方の回だけにしようと思ったのだが、たまには一日中、好きなものだけ観て過ごす贅沢をしてみたくなった。この映画は、何回観ても見飽きない。何度観ても発見がある。 答え合わせ。最初、ベネディクトいわく、テイラーはヴァイオレットの名前を . . . 本文を読む
4回めを見終えた。エイミーは自分と同じ身寄りのないテイラーを拾い、妹として育てる。エイミーは、テイラーを守るために自分を跡取りとすべく迎えに来た父親と「契約」を交わし、名前を捨て、「イザベラ・ヨーク」として生きることを決める。 このときのテイラーは、まだ意味のある単語を喋れないが、ホットケーキも食べられ、離乳も終わっているらしい。言葉の進み具合から、「2歳前後ではないか」という考察を見た。さすがマ . . . 本文を読む
お客様の少ない限界ブログとはいえ、4週目ともなれば、多少のネタバレを書いても許されるだろうか。「全てのネタバレを生まれる前に消し去りたい」と願う人は、このエントリを読まないことをすすめる。もちろん、これを読んだ程度のことで、本作の魅力は少しも減じることはない。某まとめニュース管理人さんのように、作品の面白さを0.0001%くらい上乗せすることができたら嬉しい。 地元の洋食屋さんで、ナイフとフォー . . . 本文を読む
何回も観た映画はいくつもある。たいてい、あのシーンをまた観たいという明確な理由があった。 土曜に3回めを観に行った『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』は、他の予定さえなければ、土曜も日曜も、朝から晩まで一日中映画館にいて、すべての回を観ていたい。私はすっかりこの映画のとりこになってしまった。 この映画は、どのシーンも素晴らしい。一つとして無駄なシーンがない。好きなシーンはいくつもある。しかし、 . . . 本文を読む
火曜の夜、思い立ち、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』を、もう一回観てきた。 前回のエントリの答え合わせ。 タイトルにしたセリフは、「おれたちは幸せを運ぶんだろ?」だった……ような気がする。これはまた観に行って確認したい。 「湖」と書いた場所も、水のせせらぎの音がしたので、川なのかもしれないし、泉が湧いているのかもしれない。 空に手を差し伸べるシーンが、より一層 . . . 本文を読む
「見つけたよ / 何を? / 永遠を太陽を溶かしこんだ / 海だ」 冒頭、船のデッキに立ち、海を見つめ、空を見上げる男の子に、私はこのランボーの詩を思い出した。この感想は、当たらずとも遠からずだったらしい。本作のコンセプトは「生きることに絶望していた少女が『永遠』を見つける物語」(パンフレットより)なのだから。 いまはただ、この作品に巡り合えた喜び以上に、京アニは何という美しいものを見せてくれたの . . . 本文を読む