(今回のテクスト)
『こう読めば面白い! フランス流日本文学 -子規から太宰まで-』柏木隆雄(阪大リーブル)
第一章 坪内逍遙の『小説神髄』と曲亭馬琴
[登場人物]
五十鈴れん
15歳の中学3年生。小さいときから内気で、人と話すことは苦手。好きなことは、文章を書くこと、絵を描くこと。将来の夢は、「エッセイストの人」。リスさんの気分になれるナッツ類が好き。お父さんの蔵書は自由に読んでいる。
五十鈴九郎(お父さん)
このブログの主。ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日出勤の会社員。山田風太郎を愛読する。小泉信三は嫌いだが、林達夫はわりと好き。
(子規を語り合ってから数日後の一月のある日)
れん ただいま…公園のツバキ、ヒヨドリさんに全部食べられてしまいました…はぃ。
お父さん お帰り。暖冬で、今年のツバキは遅いようだね。盛りになる頃には、暖かくなって他のエサも増えるから、ヒヨドリもやって来ないよ。
手、洗って、うがいしておいで。千葉のおじさんから、落花生を送ってもらったよ。
れん ほんと…?
(トトトトトト)(じゃばじゃば)(ころころころころ)(トトトトトト)
はぃ…ぉ待たせ、しました…。
お父さん 電話したら、速攻で、落花生を送ってくれたよ。
段ボールの緩衝材にマジックで書き殴ったこれ、きみへのメッセージだ。あいかわらず豪快な字だ。
「れん坊、元気か! ノコギリ山また行こうぜ!」
れん 千葉のおじさん、面白いです。はぃ。
お父さん れんちゃんは、一族のアイドルだからなあ。飲み物、何がいい?
れん ミルク…!
お父さん はい、どうぞ。
落花生の残りは、お母さんの晩酌用だ。
れん (ぱきぱき)(かりかり)
ぅん…落花生は、やっぱり千葉県産に限ります…はぃ。
(こっきゅこっきゅ)
はー。落花生には、ミルクが、よく合う…ね。
ぁれ?『小説神髄』? 買ってきた…の?
お父さん うん。読んだことなかったからね。
しかし、逍遥先生には申し訳ないが、柏木先生の説明だけで、お父さんには十分だったなあ。
れん もう一冊、いま読んでいるのは…山田風太郎さん、だね。講談社の、オレンジ色のカバーだから、すぐわかる…よ?『忍法八犬伝』? 八剣士が忍者…なの? (ぱきぱき)
お父さん うん。逍遥先生が、馬琴をさんざん否定するものだから、この本思い出してね。
この小説では、『南総里見八犬伝』の伏姫や八剣士は実在した人で、あの物語は実際に起きたことになっている。150年後の八剣士の子孫が、甲賀卍谷で修行をして、里見家のお取り潰しをめざす幕府の服部伊賀軍団とたたかうんだね。
れん お話が実話になっているのが、面白そうです…はぃ。
(かりかり)
お父さん しかし当代の八剣士は全然やる気がなくてね。修行途中で甲賀から逃亡したばかりか、お国にも帰らず、江戸で遊んで暮しているんだ。武士もやめちゃって、軽業師や狂言師や香具師や盗賊なんかになって、お家の危機なんか、知ったことかと思っている。
れん それで勝てるのでしょうか?(ぱきぱき)
お父さん どうだろう? 館山藩が改易となり、里見家お取り潰しになった史実もあるわけだから、負けちゃうかな?でもそれだけなら3ページで終わってしまうね。気になるなら、続きは読んでのお楽しみ。忍法帖シリーズは、中学生にはお勧めしがたいから、お母さんに見つからないようにね。
れん ぅん、そうする!
(こっきゅこっきゅ)
はー。実は、『くノ一忍法帖』は、もう読んでしまいました…はぃ。古典部シリーズ最新作で、ホータローくんが読んでるのが、そのご本だって、ぉ父さんが、教えてくれたから…。すごく、面白かった!
お父さん そうか。そんな話をしたこともあったね。れんちゃんは、将来、大物になるぞ。
しかし、風太郎作品は、逍遥先生が「小説脚色の法則」で避けるべきとした、禁じ手ばかりだね。「荒唐無稽」「趣向一徹」「重複」鄙野猥褻」(ひやわいせつ)「好憎偏頗」(こうぞうへんぱ)……しかし、逍遙先生のいうとおりに小説を書いても、つまらないだろうなあ。
れん 柏木先生のご本、『小説神髄』のお話は、難しかったけれど…面白かった…よ…?
お父さん 面白い? それはすごいね。
れん 馬琴さんの…小説七則が…バルザックさんの『人間喜劇』に通じるのも、すごい、と、思いました…。私も、いつかは、小説、書いてみたいから…はぃ。
「主格」「伏線」「襯線」(しんせん)「照応」「反対」「省筆」「隠微」、全部覚えてしまいました…はぃ。
お父さん そうだね、馬琴の七則のところは面白い。商業コピーにも応用できる。新潮文庫の「想像力と数百円」は、無限の可能性とお手軽さのコントラスト、すなわち「反対」の技法だね。あの人も、昔はいい仕事もしていたんだよなあ。
れん でも、逍遥さんは、馬琴さんを、否定するばかりじゃなくて、良いところは、認めていたのに、勧善懲悪の…旧弊な?古い?…過去?のものって…批判したところばかり、注目されちゃって、みんな、馬琴さんのこと忘れちゃう…なんて、ひどい…よ。ちゃんと、読んで…よ!…はぃ。むぅ。
お父さん 学問の世界ではそうかのかもしれないけれど、エンターテイメントの世界では、『里見八犬伝』がなければ『ドラゴンボール』はなく、『ドラゴンボール』がなければ『ジャンプ』の黄金期もなく、今の『鬼滅の刃』のヒットもなかっただろうね。
馬琴の名前や作品が忘れられても、人びとの心の中に、今も『八犬伝』は生きている。そんなところかな。
れん ふーん…。
(こっきゅこっきゅ)
はー。ぃまの、ぉ父さんのことばに、挿絵をつけるとしたら、青空に、馬琴さんの笑顔を、大きく描いたら、ぃい…のでしょうか?
お父さん はっ、なんじゃそりゃ。
れんちゃんも、いうようになったねえ。たしかに、今のは「おれたちのたたかいは、これからだ」の打ち切りエンドみたいな言い方だったね。
お父さんさんも、馬琴七則は、今回、柏木先生のテクストで初めて知った。しかし、否定されても、その否定されたテクストのほうが否定したほうより長く生き続けることがあるんじゃないのかな。
れん たとえば?…どういうこと…かな?
お父さん うーん。悪い例になるけれど、『ゴーダ綱領批判』で、マルクスが批判したラサールかな? マルクスに否定されたことで、反共思想家の小泉信三に注目されて、人買い人売りのパソナの竹中平蔵の「労働力商品」の錬金術を生み出すインキュベーターの形成に一役買っている。階級闘争の原理原則を欠如したラサールの「公正な分配」の行き着く先は、「みんな平等に貧乏になれ(ただしおれたちは除く)」だね。今もラサールは生き残り、マルクスのテクストより猛威をふるい、この世に害悪と呪いを振りまいている、……と、これはれんちゃんも社会に出ればいずれ直面する問題ではあるけれど、お父さんマターだな。
れん 「竹中平蔵つまみ出せ」…ですね? 理論は、知ってる。はぃ。
お父さん 理論は知っているのか。すごいな。
うーん。れんちゃんが興味関心を持ちそうなことでは、何があるだろう。
キリスト教異端のグノーシス派……カタリ派……エックハルト……
れん カタリ派…は、知ってる!よ!
『サマー・アポカリプス』読んだから。カケル君…かっこよかった…。
お父さん そうか。お婿さんにはおすすめしないけどね。
そうだ、笠井潔といえば、コムレサーガだ。まつろわぬ民の出雲神話だよ、れんちゃん!
れん 出雲神話…? 因幡の白うさぎ…の、ぉ話でしょうか?
お父さん そうそう。日本最古の歴史書の『古事記』の三分の一ほどは、出雲神話で占めてられているんだ。天皇家としては、後に「日本」と命名される葦原中津国を、天孫により建国されたことにしたかったけれど、しかしこの列島に、すでに先行する支配者がいた。さすがにこの「事実」は、否定できなかったんだね。『古事記』の後に編さんされた『日本書紀』では、出雲神話を割愛しようとしたけれど、国造り神話と、国譲り神話だけは、抹消できなかった。
それにもし、この国に因幡の白うさぎのお話がなかったら、どう思う? 夢のない、つまらない、退屈な国だと、思わないか? 『古事記』わざわざこの神話を記録に残したのも、大昔から人気のあるお話だったからだと思うよ。
れん それなら、わかる…よ…。
逍遥さんの『小説神髄』が『古事記』で、馬琴さんの『小説七説』が出雲神話…だって、ぉ父さんは、いいたい…のかな?
お父さん そういうことにしておこうか。あんまり良い例とは思えないけれど、バルザックに比肩する豊かな可能性に満ちた馬琴七説を含むが故に、小説というジャンルがこの世にあり続ける限り、『小説神髄』は読まれ続けていくであろう。
というわけで、打ち切りエンドだ。挿絵には、青空をバックに、馬琴さんと逍遥さん二人の笑顔を描いておいてね。
れん 未来に希望をつなぐ、きれいなエンディングになりました…はぃ。
お父さん お母さんが帰ってくる時間だよ。今日はお父さんの先輩の命日だから、湯葉とお麩と水菜のうどん、とろろごはんに付き合ってね。君たちにはお魚を焼こう。
れん 私も精進料理で、ぃいのに、ぉ母さんもダメだって。とろろごはんは前にも食べたけれど、ぉうどんは珍しい…ね?
お父さん 馬琴が京都の食文化をさんざん酷評しているのをネットの記事で読んでね。「京にて味よきもの。麩。湯皮。芋。水菜。うどんのみ」だってさ。今では餃子の王将も天一もあるのにね。もう35年にもなるのか。亡くなった先輩も、京都の大学だっんだよ。
この間、美術館の帰りに寄った新世界のお蕎麦屋さんです…はぃ。
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