からだが冷えると、こころまで風邪を引いてしまうようです。
「頭寒足熱」といいますね。
臓器のある上半身と下半身では、なんと温度差が5℃あるそうです。ただでさえ上半身と下半身の温度差があるところへ、感情が荒ぶると、「頭に血が上る」というように、さらにこの温度差が広まるのだとか。
足は心臓から遠い位置にある上に、身体が重要な臓器のある胴体や脳へ血行を確保しようと働くので、どうしても足は後回しにされやすいようです。
「手の冷たい人はこころが温かい」も、決して俗信や迷信でなく、このバリエーションなのかもしれません。血が「こころ」の心臓、そして脳みそに回っているだけの状態といいましょうか。
若くしてお亡くなりになった、「百合の伝道師」りくごうさんの「まどマギ」ファンアートより。
「スケオネ」こと「魔法少女まどか☆マギカ SCENE0」 最新話を観たあとで、この作品をあらためて読み返すと、心にしみます。
微ネタバレですが、「SCENE0」file4では、まどかとほむらがケーキ屋さんの制服のペアルックで、ケーキ作りに仲良くチャレンジします。こんな話を見たら、りくごうさんはどんなに狂喜していたでしょうか。
「SCENE0」file4の、まだ非情になりきれず、まどかの希望をかなえるためにほむらが奮闘するこの物語は、りくごうさんの作品を含めた幾千万点はあるまどマギファンアートに対する、公式からの「アンサー」だったでしょう。
「まどマギ」は、本編は「ファウスト」、新編は「眠れる森の 美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」のバレエ三部作の古典作品の世界観を借りてきたわけですが、「SCENE0」では中島敦の「山月記」になるのかもしれません。
「ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了(しま)う前に、一つ頼んで置きたいことがある」
「SCENE0」では、主人公の愛生まばゆのクラスメートの巴マミが国語の授業でこのくだりを朗読しています。また別の周では、登校中の女子生徒が「予習してきた?」と友人に問われ、この一節を暗唱するシーンがありました。
「己がすっかり人間でなくなって了う前に」って、ワルプルギスの夜とのたたかいに敗れ、力尽きたまどかが、魔女にだけはなりたくないと、ほむらに託した最後のことばと一緒ですね。それはほむらにとって、何度も同じ時を繰り返す呪いのことばになりました。
戦争もまた、人間が人間であることを許さないものです。イスラエルの閣僚には、ガサ市民を「Human animal」(人もどきでも訳したらいいのでしょうか)と呼んだそうですが、いま彼らはナチスと同じことをやっています。
ナチスにも影響を与えたニーチェという思想家がいました。左右のエリート主義者は、ニーチェのいう「畜群」すなわち「けだもの」にすぎない「人間」を超える「超人」になろうとして、「けだもの」以下の蛮行を行ってきたのです。
と、ここでアニメの話に戻れば、りくごうさんには、『魔法使いプリキュア』『けものフレンズ』という素晴らしい作品を教えていただきました。
『けものフレンズ』二期のゴタゴタに、つくずく失望されたようで、投稿数も減ってしまった後に知らされた訃報でした。
もしりくごうさんが昨年放映された、『リコリス・リコイル』『水星の魔女』『ぼっち・ざ・ろっく』などの百合神アニメ作品を見ていたら、どんなに喜んでいただろうかと、残念でなりません。このスケオネも。