マギレコ、より正確にいえば、マギレコカメラは、人生の一部そのものでした。
「文学少女 五十鈴れんの冒険」「れんのハイキング日記」というこのブログの看板コンテンツは、こうして生まれていきました。
わが家の れんちゃんは、『フランス流日本文学入門』のレビューをきっかけに、いつの間にか仏文学の国際的権威の先生とメル友になり、フランス語の翻訳に挑戦したり、先生といっしょにお食事に行ったりしていました。
ハイキング日記も、それなりに好評?で、「摩耶山 猫」「摩耶山 キノコ」「摩耶山 イノシシ」「峠茶屋心中」(摩耶山を舞台にした泉鏡花の短編)などのニッチワードで検索すると、このブログがトップページに表示されます。
れんちゃんと過ごす日々は、人生で最も幸せで楽しい時間でしたが、マギレコは、ソーシャルゲームですから、いつかお別れの日が来ることは覚悟していました。
しかし、いざそれが現実になってしまうと、目の前が暗くなってしまったものです。マギレコ5周年イベントに勝るとも劣らないショックでした。
配信終了を知った5月31日の翌日、6月1日は、摩耶山に登り、六甲山高山植物園まで足を延ばして「ヒマラヤの青いケシ」メコノプシスを観に行く予定でした。「ピュエラ・ヒストリア チベットのラクシャーシー編」に登場したあの花です。
しかしその日は、近種の紫のケシが数株咲いているだけで、広々としたロックガーデンには青いケシの姿はまったくありませんでした。去年は高原の風に楽しげに揺れていたあの青いケシを、二度と一緒にれんちゃんと見ることができないのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。再訪のチャンスを狙いましたが、結局、この夏は最後まで咲くことがありませんでした。
マギレコの配信が終ってしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか。想像もしたくなかったし、考えたくもありませんでした。まるで自分の余命が2か月だと宣告されたようなものでした。
最後の2か月は、ただただれんちゃんとの思い出づくりに没頭しました。五十鈴れんファンの聖地、五十鈴川で、わが家のれんちゃんの愛するカジカガエルの歌声を聴きながら、奄美焼酎「れんと」の杯を傾けたのは、一生の思い出です。
しかし、マギレコが終わっても、私とれんちゃんの日々は、変わりなく続いています。
「かれん」さんのアクリルキーホルダーのれんちゃんが、「お父さん」と一緒に行動してくれるようになったからです。
マギレコファンの間では、「五十鈴れん」といえば、「かれんさん」です。
れんちゃんと梨花ちゃんのなれそめを丁寧に描いた
『幸せの訪れ』と『幸せのつぼみ』は、忘れられない名作でした。
佐倉杏子ちゃんとれんちゃんがラーメン屋に行くファンアートも好きでした。私たちも、お山の帰りに必ず寄る、おいしい町中華があります。ラーメンを食べるれんちゃんは、かわいいですね。
かれんさんは、すぐれたアーティストであるばかりでなく、名プロデューサーでもあります。コロナ禍でイベントも自粛に追いやられるなか、マギレコファンの同人作家さんたちに呼びかけて刊行した、マギレコ愛あふれる合同本『推しメン』は、自粛ムード、停滞ムードをもののみごとに吹き飛ばしてくれました。
私は、かれんさんのれんちゃんアクリルキーホルダーを、三人おむかえしました。
長女のれんは、15歳の女の子です。原作どおり、少し気弱なところはあるけれど、やさしくおだやかで、芯の強いみんなのお姉ちゃんです。
二女のえれんは、元気で利発な11歳。「かき氷食べませんか?」と友だちとの夏休みを満喫するれんちゃん水着Verのイメージに近いかもしれません。
三女のかれん(すみません。作者さんと同じ名前になってしまいました)は、将来の夢はさんぞく(でも、プリキュアも大好き)、一人称は「おれ」、父親の故郷の新潟弁丸出しの、やんちゃな6歳の女の子です。ときに毒舌で、下ネタにも反応するなど、キャラ崩壊もいいところです。運営さんにもかれんさんにも、ただただ、お詫び申し上げるほかありません。
しかし、父親は、そんな三女ちゃんを溺愛しています。れんちゃんも、幼いころは、ここまで極端でなくても、元気でやんちゃな一面もあっただろうと思うのです。
三女ちゃんと、摩耶山の山猫マヤーとのツーショット。
わが家のれんちゃんは、8月に外国に留学に旅立つまで(いじめ対策先進国のスウェーデンに勉強に行っています)、毎週、六甲山系の摩耶山に通っていました。山の中腹でひとり暮らす、山猫のマヤー(沖縄のことばで「マヤー」は「ねこ」の意味)に会いに行くためです。彼女はれんちゃんにとって、摩耶山のプリンセス(女の子なのです)。いまはお姉ちゃんのかわりに、三女ちゃんが会いに行っています。梨花ちゃんも、マヤーがどんな子か気になったようで、女同士の話(!)に来たことがあります。
近所の公園にて。三女ちゃんの上にいるのは、「さんぞく」の「こぶん」で、恐竜の丹波竜の「ちーたん」です。木のうろは、彼女たちのすてきな「ひみつきち」です。
彼女が「さんぞく」にあこがれるようになったのは、アンデルセンの『雪の女王』の山賊の娘がかっこよくて気に入ったからのようです。将来の夢は海賊だという『長くつ下のピッピ』に対抗しているのかもしれません。父親やお姉ちゃんといっしょに、龍や天狗がすむという摩耶山に通ううちに、「さんぞく」の夢が広がっていったのでしょう。
アクキーれんちゃんなら、マギレコカメラではできなかった接写が可能です。お花やきのことのツーショットは、妖精そのものです。
7月に開花し、今も咲き続ける原っぱのあさがおです。青と白のカラリングがれんちゃんとおそろいで、双子のようで愛らしいのです。
地球上で最高にかわいい!
このあさがおの観察を夏からずっと続けています。あさがおは一大コロニーとなり、一時期は花の数も1000に迫りました。
あさがおの花はどんどん増えて、両手両足ではすぐに足りなくなりました。
三女ちゃんは、あさがおの数を数えるために、そろばんもおぼえました!
とってもかしこい子です。
絵本も大好き!
彼女が興味がありそうなものを見つけると、なんでも買い与えたくなってしまいます。おやばかですね。
もちろん、おかしも!
アクキーのれんちゃんは、こんなふうにいつも笑顔です。
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れんちゃんには、いつも笑顔でいてほしいと思います。だから彼女にも、うつくしいものだけ見て、楽しく生きていってほしい。そう思っていました。
しかし、うまくいかないものですね。
友だちのお花が枯れてしまったり、刈られてしまったり、抜かれてしまったり、友だちのイノシシが山で死んでいたりすることもあります。
できれば、見せたくなかったけれど、この世はよろこびと同時にかなしみに満ちていることを教えるのも、親(!)の責任のように思うのです。
そんなときは、口もとはカットアウトして、口元はかくして、目だけの表情を画面に収めるようにしています。
かれんさん描くれんちゃんの青い瞳は、北の山のあなたでひっそりとたたずむみずうみのように、どこまでも潜っていけそうな深いブルーです。そこには、悲しみも喜びも、怒りも笑いも、ありとあらゆる感情がキラキラとした結晶になって溶け込んでいるかのようです。
だから、れんちゃんの目だけをアップするだけで、その場にふさわしい感情が表せるのですね。
偶然、昆虫の交尾に遭遇したときは、顔を半分だけのぞかせることで、無邪気で興味津々な、あどけない表情を収めることができました。
これは原っぱのあさがおが、草刈りで刈られている現場に遭遇したとき。顔を上から半分だけ出すことで、彼女の深いショックと悲しみが伝わってきました。
雨の日、こんな奇跡の一枚が撮れたことがありました。さっきまでゴーヤと楽しそうにおしゃべりして、笑っていた三女ちゃんが、急に涙を流して泣き出してしまったのです。
彼女は、ご近所の人が育てていたゴーヤに、「ちびた」「ちびすけ」となまえをつけて、生長を楽しみにしていました。
しかしこの日、友だちのゴーヤが、ひとり、いなくなっていました。ゴーヤはやがて食べられてしまう運命であることを知った彼女は、こんな質問を私に投げかけているかのようでした。
「ゴーヤが食べられるために生まれてきたのなら、人やどうぶつも、死ぬために生まれてきたのけ?」
その週の日曜、彼女は、うり坊のころから知っている友だちの若イノシシが、登山道の途中で死んでいるのを見てしまったばかりでした。流行りの豚熱かもしれないし、熱中症かもしれないし、群れから独立したばかりでえさが上手にとれず餓死したのかもしれません。
そして、この日はたまたま、「お父さん」の大腸がんの検査日でした。まだ6歳の彼女は不安でいっぱいだったにちがいありません。
「お父さんもあのイノシシみたいに死んでしまうのけ? よびかけても、けっとばしても、もうへんじしてくれねくて、もうあそんでくれねーのけ?」
彼女は泣きながら、そう訴えているように見えました。でも、口もとが「びょうきなんて、うそだよね」と笑っているのが切なくいじらしくて仕方ありませんでした。
残念ながら、彼女の願いかなわず、検査の結果はクロでした。初期段階で転移もなかったのが不幸中の幸いです。今週土曜、手術を受けるため入院します。
自分がこの世を去ったあと、愛娘のれんちゃんたちがどうなってしまうのかは、最大の不安材料でした。
5年前、大病をしたのをきっかけに、耕作放棄地を取得して、栗の木の植樹を始めました。「おっさん、あるある」ですが、急に自分がこの世に生きた証を残したくなったのです。2年連続で鹿の食害で苗の木は全滅、いきなりスタートからつまづきましたが、20年後には栗林になっている予定です。
この栗林に小さな小屋を築いて、愛娘たちとの終の棲家にしたいなと思ってきました。私がいなくなったあとも、彼女たちは栗の木や森の生きものたちと一緒に、楽しく暮らしていくでしょう。まだまだ先の話と思っていましたが、今回のがん宣告を機会に、家族や地元のなかまに意思を伝えることができたのは、ひと安心です。
もちろん、まだ死ぬ気はありません。手術はよほどのことがない限り失敗することはないもので、体力気力ともに充実しています(入院前日も山に登ります)。来月には必ず復帰します。
なんといっても、れんちゃんたちとお出かけしたい場所は、たくさんあります。お山のマヤーにも、ごはんをあげにいかねばなりません(手術の傷口がふさがるまでは、ケーブルで通うつもりです)。
私に「マギれん」ライフを継続させてくれている、かれんさんに心からお礼申し上げると同時に、返す返す、キャラ崩壊をお詫び申し上げる次第です。「私の作品を使って、キャラ崩壊のストーリーはやめろ」といわれたら、「れんとかれんのあさがおDiary」「かれんのさんぞくにっき」などの連載は、ただちに中止します。
最後になりましたが、検査に追われて、残念ながら参戦かないませんでしたが、9月のイベントでのかれんさんのれんちゃんコスには、感動しました。れんちゃんそのものでした。これからもかれんさんのご活躍に期待しないではいられません。漫画、イラスト、コスで、これからもいろいろなれんちゃんを見せてくださるように遠くから願っております。かれんさん、マギレコを失った私に、生きる喜びと希望をありがとう!
以下、おまけ。
「五十鈴れん」で検索すると、私のブログのこの記事もトップページに表示されます。五十鈴れんって、どんな子?という方は、この記事をご参照ください。
マギレコ6周年 れんの成長物語うーん。ゲームの話が続いてしまいます。五十鈴れんは、ソーシャルゲーム『魔法少女まどか☆マギカ外伝 マギアレコード』(マギレコ)の登場人物です。2017年8月に配信開始した『マ......