新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

いちばん読まれた記事

2023年09月27日 | このブログからのお知らせ
今日はGoogleの創業25周年だったんですね。
今日のDoodle(記念日・祝日を表現したGoogleロゴ)は、歴代ロゴが移り変わる動画でした。

25年前といえば、職場にインターネットが入って1、2年のころです。しかし、当時、Yahoo! Japanやgooのお世話になった覚えはありますが、Googleを使った覚えはありません。

それもそのはずで、日本語版サービスが始まったのは2000年9月、日本法人のグーグル合同会社が設立されたのは2001年8月でした。「I'm Feeling Lucky」機能は今もありますが、当時の検索ロボットの精度はまだ低く、どこにたどり着くかわからない楽しさがありました。流体力学について調べていたはずなのに、琴引浜の鳴き砂の情報にたどりついたのは、今も忘れられない良い思い出です。偶然見つけたある論文の感想として、「『病』は治す対象でなく生涯付き合っていく友である」と書いていますが、その数年後に糖尿病宣告を受け、十数年後に脳梗塞に倒れた自分の未来を予告するようなエントリとなりました。

年をとると、ついつい、「昔はよかった」という論調になりがちです。後述するように、このブログにも、検索ロボットのレベルの低さの恩恵を受けていた時期があったのですが、AIの能力があのころに比べて比較にならないほど成長した最近のほうが、知りたい情報にすぐたどり着けます。いまの私の趣味は、ハイキングですから、情報は正確なほうがうれしいです。

さて、昨日も9月26日も閲覧数535PV、閲覧者数264UUまで伸びました。

しかし、内訳をみると、Googlebotのシェアが40%で、200PVでした。Googlebotのアクセスを除くと、平常運転ですね。

このブログでいちばん読まれたのは、以下の記事ですが、これは当時のGoogleのアルゴリズムの問題が大きく関わっていました。


よく読まれた理由はただ一つ。

「中上健次」で検索すると、この記事がトップに表示される時期があったからです。ブログの記事を振り返ると、2012年10月から2017年1月にかけてこの現象が確認されています。

「現象」と書きましたが、ご一読いただいたらおわかりのとおり、中上健次は話のマクラだけで、本題は村上春樹批判で、検索のミスマッチですね。

この現象(Googleにとっては不具合)は、2018年ごろには解消しました。

すると今度は、この記事は箸にも棒にもかからなくなってしまいました。まあ、私のブログはともかくとして、以前は本のタイトルで検索したら、面白いブックレビューサイトやブログにたどり着けたのに、あの頃から、ネット書店へのリンクばかりになってしまいました。

これはこれでどうかなと思います。この記事は、当ブログのベスト記事とはいえないまでも、『ドライブ・マイ・カー』で炎上する以前に、春樹作品に潜む差別の問題を掘り下げた論考ではあるからです。

ただし、この記事では言及を避けているものの、いくつかのキーワードを組み合わせたら、ある「地域」(被差別部落を意味する関西の行政・総務用語)を特定できる情報が記載されています。この記事は、タイトルに反して、アーカイブの底で眠ったまま忘れられていくに任せようと思っています。

村上春樹批判は、特定の地域や人に結びつかないよう、改めて書き直しました。興味のある人はご覧ください。


春樹と中上の記事がこのブログの累積トップだったとすれば、このブログが一日でいちばんアクセスを稼いだのは、あるベストセラーに対するコメントが、作者の目に留まり、逆上され、「読解力のない読者の典型例」と紹介されたときです。朝起きたら、3000UUを超えていて、「何事が起きたのか」と思ったものです。ちょうど文化の日で休日だったかな。

私は次のように書いただけでした。

着眼や切り口はすごく面白い。
しかし冒頭で、
「マネジャーもしくはマネジメントについての本」
を探しに来た女子高生に向かって、
いきなりドラッカーの名前をあげる書店員の不自然さが、気になります。
ケガの功名で結果オーライとはいえ、
この書店員、全然、顧客視点に立てていないだろうとか。



運動部のマネージャーについて調べに来たのに、経営学の本をおすすめされるのは、やはり変ですよね。

しかし、今振り返ってみると、運動部のマネージャー向けの本というオーダーは、かなりむずかしいです。

児童書をつくっていたころ、図書館や書店の教育書コーナーを何度も回ったものですが、運動部のマネージャーに関する本は見かけたことはありませんでした。今はあるのかな? 女子が運動部のマネージャーを務めるという昭和の常識そのものが、現代のジェンダーフリーの常識に反しているよね?

レファレンス協同データベースに「部活のマネージャーの仕事について書かれている本はないか」という質問が寄せられているのを見つけました。しかし、紹介されているのは大学の卒業論文、教育書、学術書、そのベストセラーの4点きりです。

テーピングやストレッチの本をおすすめされて、いまいちだったところに、何気なく手に取ったドラッカーなる人の「マネジメント」を開いた名言に、なにかひらめいた。そういう自然な展開にできなかったのかな、と。「組織の目的は、人の強みを爆発させ、弱みを無くすこと」とか「目指すべき組織は、凡人でも非凡な働きができる組織」とか、意識高い人が喜びそうな名言がたくさんあるじゃないですか。そういう自然(?)な展開にはできなかったのか。

この私の指摘は、筆者の人にとって、痛いところを突いたようです。


コミカライズ版では、原作でチョイ役だった書店員はメインキャラに昇格し、経営学を学ぶ大学生という設定になっていました。

この作者の逆ギレに、私はあえて反論することもなく、放置しました。作者の恥知らずな傲慢さには、怒りより呆れを感じたからです。私の元々のブックレビューは、欠点は指摘しつつも、好意的なものだったんですけれどね。

この作家は、電子書籍にいち早く取り組み、「自分の著作は自由に自炊も代行もしてもらって構わない」と表明した漫画家の佐藤秀峰氏に対して、〈本は、購入した人の所有物ではありません。そもそも、太陽とか土とか水でできた紙を使ってできた本を、数百円払ったくらいで「所有」しているという考え方がおこがましい〉というトホホな妄言を吐いていたものでした。その後、お祖父さんが設立した名門出版社の社長さんに就任したわけですが(2年で退任)、出版社の社長として同じことがいえたかな? 

昨年上梓したゲームの歴史に関する著作は、ゲーム業界関係者から全編にわたって事実誤認や歪曲を指摘され、今年春、絶版・回収になったそうです。私はドラッカーをきちんと読んだことがないので、判断は控えてきましたが、ある人もいうように「誤読しまくり」だったのでしょうね。

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