あいかわらずテレビのない生活なのだが、今年の大河は見たい。「プロレタリアには祖国はない」と日頃公言しながら、故郷への思いはまた別で、戊辰の戦争にはいろいろな思いもある。こんな記事を読めばなおさらだ。
◆綾瀬はるか、原爆で亡くなった大伯母の言葉を胸に大河演じる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130113-00000015-pseven-ent
「苦しみを乗り越え、前を見て歩こうとした八重の生きざまを見てもらうことで、被災地の力になれたら」
綾瀬はるかさんが広島出身なのは知っていたが、大伯母さんが原爆で亡くなっていたとは(合掌)。
2005年、戦後60周年特別企画のドキュメンタリー番組で広島の実家を訪れた際、祖母にこんな話を聞いたという。
「お姉さんが広島に行くのにね、“洋服がいるんよ、縫ってくれ”と私に言ってね。それで縫ってあげたのよ、ブラウスを。そしたら、それを喜んで着て行ったんよ。それが最後じゃった。お姉さんと一緒におったんは」
そして、こんな風に頼まれたという。
「私も長く生きておらんから、あんた、忘れんようにね。戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなダメなんよ。女性の力で戦争を起こさんということをせなダメよ」
あの日の朝、大伯母さんはブラウスを着て、空襲を受けた街の復旧作業に向かったという。戦争末期なのに、洋装のブラウスが許されていたのか? それは土木作業に準じたものではなかったのか? ブラウスは似つかわしくなかったのではないか?
「実は、もんぺの下に身につけていたそうです」(ノンフィクション作家・梯久美子さん)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/129240.html
被爆者の着ていた衣服を写真記録におさめた石内都さんの『ひろしま』評より。
原爆ドームにいまも保管されている、若い女性たちが着ていた衣服には、戦時中とは思えないおしゃれでかわいいブラウスが多いらしい。花柄、水玉模様、ギンガムチェック、ジョーゼット。
戦時中はもんぺに防空頭巾がデフォルトで、おしゃれなんか圧殺されていたのとばかり思っていた。おれもおどろいたが、戦争ものを数多く手がけるノンフィクション作家もおどろいた。被爆者の遺品を、こんな風に美しく撮ることに、「罪悪感」は感じなかったのかという質問に、石内都さんは、こう答えたという。
「全然。だって、あの服たちは、女の子たちが着ていたときはもっときれいだった。それをきれいに撮ってなぜいけないの」
亡くなった中沢啓治さんに聞かせたい。こうの史代さんにとって、中沢さんは尊敬する漫画家であるばかりでなく、ご尊父と同い年で、他人ごととは思えなかったという。「複数の『ヒロシマ』」(青弓社)のインタビューで「こうのさんみたいに若い世代が育ってくれればいいね」という一文が嬉しくてぼろ泣きしたそうだ。おれもわがごとのように嬉しい。
http://6404.teacup.com/kouno/bbs/smartphone/index/detail/comm_id/7060/
◆綾瀬はるか、原爆で亡くなった大伯母の言葉を胸に大河演じる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130113-00000015-pseven-ent
「苦しみを乗り越え、前を見て歩こうとした八重の生きざまを見てもらうことで、被災地の力になれたら」
綾瀬はるかさんが広島出身なのは知っていたが、大伯母さんが原爆で亡くなっていたとは(合掌)。
2005年、戦後60周年特別企画のドキュメンタリー番組で広島の実家を訪れた際、祖母にこんな話を聞いたという。
「お姉さんが広島に行くのにね、“洋服がいるんよ、縫ってくれ”と私に言ってね。それで縫ってあげたのよ、ブラウスを。そしたら、それを喜んで着て行ったんよ。それが最後じゃった。お姉さんと一緒におったんは」
そして、こんな風に頼まれたという。
「私も長く生きておらんから、あんた、忘れんようにね。戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなダメなんよ。女性の力で戦争を起こさんということをせなダメよ」
あの日の朝、大伯母さんはブラウスを着て、空襲を受けた街の復旧作業に向かったという。戦争末期なのに、洋装のブラウスが許されていたのか? それは土木作業に準じたものではなかったのか? ブラウスは似つかわしくなかったのではないか?
「実は、もんぺの下に身につけていたそうです」(ノンフィクション作家・梯久美子さん)
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/129240.html
被爆者の着ていた衣服を写真記録におさめた石内都さんの『ひろしま』評より。
原爆ドームにいまも保管されている、若い女性たちが着ていた衣服には、戦時中とは思えないおしゃれでかわいいブラウスが多いらしい。花柄、水玉模様、ギンガムチェック、ジョーゼット。
戦時中はもんぺに防空頭巾がデフォルトで、おしゃれなんか圧殺されていたのとばかり思っていた。おれもおどろいたが、戦争ものを数多く手がけるノンフィクション作家もおどろいた。被爆者の遺品を、こんな風に美しく撮ることに、「罪悪感」は感じなかったのかという質問に、石内都さんは、こう答えたという。
「全然。だって、あの服たちは、女の子たちが着ていたときはもっときれいだった。それをきれいに撮ってなぜいけないの」
亡くなった中沢啓治さんに聞かせたい。こうの史代さんにとって、中沢さんは尊敬する漫画家であるばかりでなく、ご尊父と同い年で、他人ごととは思えなかったという。「複数の『ヒロシマ』」(青弓社)のインタビューで「こうのさんみたいに若い世代が育ってくれればいいね」という一文が嬉しくてぼろ泣きしたそうだ。おれもわがごとのように嬉しい。
http://6404.teacup.com/kouno/bbs/smartphone/index/detail/comm_id/7060/