イスラエルのガサ空爆、地上侵攻弾劾!
イスラエル国家解体、パレスチナ解放! イスラエルを支持するアメリカ帝国主義、イギリス帝国主義、西欧帝国主義、日本帝国主義打倒!
平和と民主主義の名の下に、世界人民は団結せよ!
……今後は、エントリの頭に、この話を置いておこうかな。いわゆるサヨクや反日が嫌いな人は、これを機にこのブログをブロックやリフォローしてくださるよう、お願いします。
で、今日の記事ですが。
この日曜、阪神が38年ぶりに日本一になったんですか? 私は何も知らずに寝ていましたよ。
月曜、こんなツイートがありました。
このツイートには、「そうだったんだ。あれも阪神がアレした年だったんだ」といろいろ感心してしまいました。人間の記憶って、いい加減なものですね。
・日航機墜落
これはよく覚えています。テレビを見て、坂本九が犠牲になったことを知った父が、「九ちゃん死んだのか」と絶句していたことも。
この年の8月に両親は離婚しました。この頃には、両親はお互いの愛人の家に入り浸り、家にいなかった記憶があるのですが、ときには帰ってきていたんですね。
・プラザ合意
当時われわれの「指導機関」であったセクトの機関紙で、何か論評が出たはずですが、何が書いてあったかの記憶は、当然ながら蒸発しています。このプラザ合意以降、ドル安・円高が一挙に進み、バブル経済の原因になっていきます。海外旅行ブームもプラザ合意以降ですね。プラザ合意は中曽根のキャッチフレーズだった「戦後政治の総決算」ならぬ、「戦後経済の総決算」だったかもしれません。
・8時だョ!全員集合終了
漫才ブームの後もなお、「全員集合」が80年代なかばまでがんばっていたことには、驚き、また敬意も感じました。今にして思えば、あくまで生放送にこだわり、舞台を基本にした「全員集合」は古典芸能に通じるものがありました。よいものを見させてもらって育ったなと思います。
・NTT JT発足
電電公社民営化粉砕! しかしJTについては、組織のステートメントは、何かあったかな。電電公社の労働者同志には、いろいろお世話になりました。
・スーパーマリオブラザーズ発売
ファミコンの「マリブラザーズ」は、この年だったんですね。当時小学生の弟がハマっていて、付き合いで遊ばせてもらいましたが、全然上達しなかったです。
・つくば万博
父が弟を連れて行っていました。吉本隆明が河合塾の講演でつくば博に言及していたと記憶しますが、『ハイ・イメージ論』の関連でしょう。
・豊田商事会長公開殺人事件
ありましたねえ。しかし、リアルタイムより、内田裕也の『コミック雑誌なんかいらない!』で見た記憶のほうが、印象に強いかな。
・農薬入りオロナミンC事件
聞いたことがあるような……です。検索して、ウィッキーさんの記事を見たら、記憶も蘇るのかもしれませんが。
・バック トゥ ザ フューチャー公開
・シティハンター連載開始
この二作が1985年だったのは、ほんとうに驚きでした。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、1984年日本公開作品と思い込んでいたのですが、この年の12月公開でした。
『シティハンター』も、『週刊少年ジャンプ』13号、2月下旬の連載開始でした。この年にはもうアニメ放送が始まっているくらいの認識だったのですが。
村上春樹の『1Q84』ではないけれど、革命運動に加わった1984年を境に、私の人生は一変しました。だから、自分の越し方は、1984以降、以前で考えることが多いのです。これらの作品は、小市民的生活を送っていた1984年以前に出会っていたのだろうと思ってきました。前者は家族みんなで楽しんでいた、マイケル・J・フォックスの『ファミリー・タイズ』、後者は男兄弟の楽しみだった『キャッツ・アイ』の記憶が上書きされ、改ざんされてしまったのでしょうね。
・シンボリルドルフ7冠達成
・第1回 競輪グランプリ開催
これは知らないなあ。さすがに競馬や競輪には手を出していませんからね。
・神田正輝 松田聖子結婚
そうかー、二人が結婚したのはこの年だったんですね。
神田沙也加さんが亡くなって残念です。
・アフタヌーンショーやらせ事件
「これ、聞いた覚えあるけど、なんだったけ?」と思って検索すると、やらせリンチ事件があったようですね。
・KKドラフト
なんだそれ? 甲子園で活躍したPL学園の清原・桑田の二人をめぐって、1985年のプロ野球ドラフト会議で指名争いが発生したのだとか。それはなんとく記憶にはあります。ふたりとも同時代、同世代のスターでしたから。でも「KKドラフト」なんていわれていたんですね。
・携帯電話発売
携帯電話デビューは、この年だったんですね。私が初めて携帯電話を持ったのは、1995年でした。携帯電話の原型となる自動車電話のデビューは、1979年でした。
・ビックリマンブーム
さすがにリアルタイムでは、よく知らないです。
弟も高学年で、いわゆる対象年齢ではありませんでした。
しかし、バイト先で小さな人が夢中になっているのを目撃したことはあります。シールを取り出したあとは、包装パッケージは、チョコの入ったまま捨ててしまうのですね。
ブーム時にはアニメ化もされたのが、最近、リバイバルしているようです。
・国鉄同時ゲリラ事件
この闘争には、私は加わっていません。表向きの理由は、前月の「10・20成田闘争」で、「負傷者リスト」に入っていたからでしたが、この頃から指導部との対立も深まっていたことも一因だったかもしれません。
われわれは労働戦線においては、あくまで原則的に合法路線を主張しました。しかし、武闘にかけては、自他ともに認める党内最強軍団(!)でしたから、あの場にわれわれがいたら……と、今でも思わないではいられません。
38年前、阪神がリーグ優勝を飾った直後、千早町のF社の壁は、阪神ファンの労働者同志により、阪神優勝を伝えるスポーツ新聞で埋め尽くされたのだとか。最近亡くなった、この年の都議選で惜敗したHさんが落選したのは、日帝読売ジャイアンツファンだからだと、暴言を吐いていたのだそうです。
阪神リーグ優勝4日後、〈革命的猛虎軍団〉の諸君も加わった、10・20成田現地闘争について、若干の記憶を書こうと思ったのですが、疲れました。興味のある方は一年前の記事をご参考に。
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