登場人物
五十鈴九郎(お父さん)
元左翼武闘派の会社員。会社の上司は、「こいつ、弊社のビン・ラディンですねん。東京でさんざん悪いことしたので、みんなで匿っています」とお客さんに自慢?していたらしい。一人娘のれんを溺愛している。ぬいぐるみを操るのが得意という特殊技能(?)を持つ。
五十鈴れん
文字とイラストをかくことをこよなく愛する中学3年生。幼いころは、失業中の父と、スヌーピーやミッフィーでぬいぐるみ遊びをして過ごした。今も甘えたいとき、言いづらいことがあるときは、ぬいぐるみを通じて対話してくることがある。最近、父親と一緒に映画『夜明けまでバス停で』を観た。
スヌ太
スヌーピーのぬいぐるみ。れんと生まれたときから一緒のバディ。本シリーズ「松尾芭蕉編」に登場。ダジャレやオヤジギャグのセンスは、父親譲りらしい。
(1)スヌ太が代わりに「しつもん」してくれました…はぃ
(夜。五十鈴家。原稿執筆中のお父さん)
お父さん はー。編集後記どうしよう。何も思いつかない。『水星の魔女』について書きたいんだが、読者の年齢層、高めだしなあ。
(コンコン ノックの音)
お父さん ん? どうぞ。
あ、れんちゃん……じゃなくて、スヌ太か。どうしたの?
スヌ太(れん) オマエ、ばくダンでひとをコロしたって、ホントか?
お父さん ほほう。それは初耳だね。だれに聞いたの?
スヌ太(れん) くまモン…じゃなくて、サクらだモン。
お父さん くまモンはいいヤツだけれど、ろくでなしのモンだね。しかし答えはノーだ。
スヌ太(れん) ホンとウニ? ウソついたら、ウニせんカン、くーわセロ! ゆびきたす!
お父さん ウニの軍艦巻き千貫? 私を破産させる気か。ユビキタスなんて、そんな欲望を遍在させるなよ。それに、痛風や動脈硬化で、私と同じ脳梗塞の道をたどるぞ?
スヌ太(れん) それは、ダメ! でも、ほんトうに、ほんトうに、ウソじゃない…んダナ?
お父さん もちろん。それとも、公安のいうことなんか信じて、生まれたときからバディのれんちゃんの父親を、刑務所に入れたいのか?
スヌ太(れん) そんなこと、おもうワケ、ねー!
そーゆー言い方するとユーことは、ホンのコツ、コロしたのケ?
お父さん スヌ太、新潟弁になってるぞ?
スヌ太 ほっとケーき。いぢめる…ジャなくって、アヤめル?
お父さん 殺めないよぉ。スヌ太、シマリスくんみたいに首をかしげてかわいいね。
スヌ太(れん) おダテと、もスらニャ、ノりたくねー! じゃ、コロすよてイは?
お父さん ない。
スヌ太(れん) ほンとダな?
お父さん れんちゃんが大学卒業するまでは、仕事頑張らないとね。
スヌ太(れん) れンをうラギったなら、ゆるさネー!
お父さん 心配するな。約束する。
スヌ太(れん) じゃあな! シごともいいが、はやくネロよ!
(ガチャ ドアが閉まる音)
(2)新宿クリスマスツリー爆弾闘争と10・20成田現地闘争
お父さん ふむ。爆弾かー。突然どうしたんだろう。『夜明けまでバス停で』を観たからかな?
ふぇーっくしょん! あー。秋の夜は冷えるぜ。
それにしても、ウニとかイクラとかカニ味噌とか、れんちゃんの寿司ネタの好みって、酒飲みのアレだな。一緒にうまい酒が飲めそうだ。
さ、仕事、仕事。ゴミ捨て場に住み着いていたチャントラー、いや今の名はトッポギを保護してくれた、保護猫カフェの話でも書こうかな。
猫カフェのスタッフの方々のネーミングセンスには、脱帽する。猫は液体だというけれど、あのだらーんと伸びた姿が、トッポギぽかったんだろうな。
(コンコン ノックの音)
お父さん どうぞ。スヌ太……じゃなくて、れんちゃんか。
れん ぉ仕事、ぉ疲れさま…! 差し入れだ…よ。くしゃみの声が聞こえたから…。
お父さん ほう! 奄美黒糖焼酎「れんと」のボトルと魔法瓶を持ってきてくれたの? 気が利くなあ。
(ざばざば)
(とくとくとく)
(こっきゅこっきゅ)
ふー。しみるねえ。
大人になったら、れんちゃんと一緒にお鮨つまみながらお酒飲みたいね。
そういえば、さっきスヌ太が話を聞きにきたよ。
もしかして、今日、公安が来た?
れん スヌ太、来てたの…? 公安さんは、来てない…よ。
どぅして、そぅ思うの…?
お父さん 私が爆弾で人を殺したことがあるかどうか、スヌ太に確認されたんだ。
公安が来たわけでもないのに、何でそんな話になったんだろう?
れん ごめん…。原因は、私…。
『夜明けまでバス停で』のパンフを読んでぃて、「こわぃかんがえ」になっちゃったんだ。それで、スヌ太に話を聞いてもらったの…。
だから、代わりにはなしを聞きに行ってくれたのかも…。
お父さん こわいかんがえ? 自分もホームレスになるかもしれないと思った? ホームレスになる前にも、なってしまった後にも、きみは行政や民間団体の支援を受けることができる。救いのないひどい世の中だけれど、助けてくれる人はどこかにいる。そう捨てたもんでもないさ。
私だってそうだ。革命家といえばかっこいいけれど、要はホームレスだったなあ。
れん 私、「ちかせんこう中」のぉ父さんの俳句が好き…。「パラソルや変愛鳥が木乃伊かな」とか「サザン聴く海の崖道帰れない」とか…。ひとりぼっちなのに、泊まるところもオフシーズンの浜茶屋や空き家や橋の下なのに、楽しそうなの。
ぁのね…映画のパンフにも出てきた、「10・20成田現地闘争」には、ぉ父さんも参加したんだよね? ぉ父さんが「旅」に出なければならなくなったのは、「じゅってん・にーまる」に参加したから?
ぁのね…ぇっと…それは…えっとね…爆弾…を使ったから…なの…かな?
お父さん 心配かけてごめんね。10・20では爆弾は使っていないよ。私は非戦闘員を巻き込む可能性のある爆弾闘争には一貫して反対で、それは「組織」と決別する理由にもなった。
私が姿をくらまさないといけなかったのは、公安リークをそのまま流したあるマスコミの誤報が原因だよ。個人名は出していなかったが、その条件に当てはまる人物は、私しかいなかったからね。
れん ぃまのはなし聞いて、安心した。ごめんなさい…。ネットで調べたら、すぐわかるのかもしれないけれど、ほんとうのことを知るのがこわくて…。だから、スヌ太に聞いてもらった…んだ。
お父さん そうだったんだね。心配させちゃって、ごめん。
れんちゃんがまだ小さな頃、スヌ太が似たようなことを聞きにきたこと、思い出したよ。
あの日も公安が家に押しかけてきて、怖い思いをさせちゃったね。あの日の夜も、スヌ太に叱られてしまった。
しかし、「1971年の新宿クリスマスツリー爆弾事件」と「1985年の10・20成田闘争」は、時代も違えば、政治的・思想的背景も異なる。この2つの事件の共通項は「黒ヘルグループ」だったというのも、なんでそうなるのか、あのインタビュアーはなにがいいたいのか、私にはわからなかった。
れん そうなんだ…。ぁのね、「黒ヘル」って、なに?
お父さん 1960年代のいつからだろう。新左翼セクトは、機動隊の警棒の乱打などから頭部を守るために、ヘルメットを着用するようになった。あれは三井三池闘争の炭鉱労働者の影響かな。
ヘルメットの色は、セクトの系列ごとに違っていた。中核・カクマルの革共同系は白、革共同系でも第四インターは赤、赤軍派で有名な共産同系は赤、革労協系は青、構造改革系のフロントは緑、どこのセクトにも属さないノンセクト・ラディカルは黒だった。
れん 赤が共産主義、黒は無政府主義の色…なんだよね?
お父さん よく知っているね。 クリスマスツリー爆弾事件は、ノンセクト・ラディカル、党派に属さない急進左翼の「黒ヘル」グループが起こしたものだ。
この爆弾闘争には、何か具体的な勝利目標、攻撃目標があったわけではない。武装闘争を先鋭化することにより暴力革命の先駆的状況を作り出そうというものだった。
れん 「せきぐん派のしょくんのユイぶき論」…とおなじ?
お父さん そんなマニアックなフレーズ、よく覚えていたね。
そうだなぁ。たしかに、赤軍派の諸君と、唯物論ならぬ唯武器論で、空想的で冒険主義のところは共通している。しかしそれに輪をかけて、独りよがりで、観念的で、空論的なものだった。
クリスマスツリー爆弾闘争を起こしたグループは、リーダー格のK氏の名字をとって「Kグループ」といわれたりするけれど、赤軍派と違って、組織らしい組織や、規律や綱領があるわけでもなく、K氏も「委員長」とか「書記長」とか、代表者だっわけではない。
彼らがノンセクトという立場を選んだのも、人間が集団化すると同時に不可避的に存在する組織という桎梏を超越しようとしたからだという。ここは、あの頃流行っていた吉本隆明の『共同幻想論』の影響を感じるところだね。
れん シッコク…? ぇーっと…手かせ足かせ、自由を束縛するもの…かぁ。
でも、いまの考え方、ほんとうは組織や集団が嫌いなぉ父さんの考え方にも近いような気がするかも…ぉ父さんも、「党内アナキスト集団」とぃわれたてぃたんだよね…ぉ母さんに聞いた…
お父さん アナキストか。そうかもしれないね。でも、当時も今も、自分がなんとか主義者という自己規定は、どうだっていいなあ。
左翼運動・組織の現実に幻滅・絶望した私は、フェリックス・ガタリとアントニオ・ネグリの『自由の新たな空間 闘争機械』という革命論に出会って、たちまち夢中になった。
私が今も革命的左翼の立場を堅持し、労働運動に取り組んでいるのも、この本に出会ったことが大きい。
しかし、忘れてはならないことがある。ネグリに影響を受けたイタリアの左翼学生たちは、極右の攻撃から労働組合の防衛をめざして武装自衛組織を結成したけれど、当の労働者大衆の支持を得られず、赤い旅団という最悪のテロ組織に変質してしまった。このアウトノミア運動の敗北とテロリズムへの変質は、
既成左翼の乗り越えをめざしたノンセクト革命運動が、無差別爆弾闘争という最悪の結論に至ってしまったのと、同時的な問題だ。
「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ」という、例のアレだね。
れん ニーチェさんだ…ね。
お父さん うん。そうか、ごめん。10・20闘争のはなしを聞きにきたんだったね。
10・20は、中核派・戦旗派(西田派)というセクトが主導したもので、黒ヘルグループにも加わった人たちがいたけれど、あくまで主力はセクトだった。中核派も戦旗派も暴力革命をめざす組織だけれど、この闘争の直接の目標は成田空港の二期工事の実力阻止だった。これも極左冒険主義の極地ではあるけれど、具体的な政治目標があったところは、クリスマスツリー爆弾闘争とは異なる。武器も鉄パイプや火炎瓶、投石で、爆弾は使用していない。催涙弾の水平射撃で顔面を破砕されて失明した人はいたけれど、反対派にも機動隊にも死者は出ていない。われわれも「決して殺すな」と指示を受けていた。
れん よかった…。失明した人はぉ気の毒です…はぃ。でも、火炎瓶だって、亡くなった人ぃるんだよね…?
お父さん もちろん。なんだって武器になるし、なんだって人を殺せるよ。ことばだって凶器になる。だからなんだって取り扱い注意だ。
れん ぁのね、柄本明さんが、インタビューで「僕は何も聞いてないです。わかったけどね」「演じやすいも演じにくいもないですよ。いつも、書いてあるセリフを言うというスタンスです」とインタビューに答えていたのが気になったの。
ぉ父さんも、バクダンさんが「社会の底が抜けた」って、ぃまの政治への怒りを語るあのシーンで、一瞬「ふむ?」と首をかしげたよね。でも、急に肩から力が抜けて、微笑ったような雰囲気がしたよ。
お父さん そうかー。うん。「文学だなぁ」って思ったんだ。
れん でも、パンフの柄本さんのインタビューを読んでいるとき、眉間にしわが寄ってちょっと険しい表情になったから、もしかして、と心配になっちゃった。
お父さん そうか…。突飛な発想かもしれないけれど、ある意味、柄本さんはバクダンさん本人かもしれないんだ。
れん ぇっ! そうなの…?
お父さん あのインタビュアーも、もう少し調べて、ネットに公開されているクリスマスツリー爆弾事件の判決文くらいは目を通しておくべきだったんじゃないのかな。だったらもっと良いインタビューになった。
柄本さんは本当に役者の中の役者だね。あくまで映画のなかの人物であるバクダンさんを忠実に演じていただけだ。同世代の松田優作は、何度も脚本家にシナリオを書き直しさせたり、アドリブでセリフを変えたりしたそうだ。演じる役と一心同体になりきるところは二人とも一緒だけど、アプローチの仕方は正反対だ。
無期懲役の判決を受けた新宿クリスマスツリー爆弾事件のリーダーは、柄本さんと同世代の演劇関係者だったんだよ。柄本さんは、NHKの大道具のアルバイトで、日大全共闘議長の秋田明大さんと同僚だったそうだ。
しかしプロの役者である柄本さんにとって、そんなことは関係ない。脚本(ほん)のとおりに演じるだけ。まさにプロの中のプロだと思ったよ。
(3)あのサングラスはどうしたんでせうね…はぃ。
れん じゅってん・にーまるに、バクダンさんも加わってぃたのかな…?
お父さん それはないんじゃないかな。バクダンさんが三里塚闘争に参加したのは、三里塚農民・学生が機動隊と衝突した68年の成田デモあたりのエピソードじゃないかなと思うよ。
1971年の強制代執行阻止闘争は、機動隊3人の死者が出た文字通りの戦争だった。さらぴんのサングラスを壊されたというプチブル的、牧歌的な感傷など入り込む余地はなかったと思う。
れん ぷちぶる的…? プチブルジョア的?
「きょうさんしゅぎ」は、「しゆうざいさん」を否定するから、サングラスを壊されて怒るのは、「ぷちぶる」的なの?
お父さん コミュニズムが否定するのは、あくまでも生産手段の私有だよ。
きみのお気に入りの色鉛筆やアクセサリーやぬいぐるみを共有化しようという話ではない。日記のノートやスマホは、他人には見られたくないだろ?
ヘルメットにタオルにサングラスは、ゲバ学生の3点セットだった。私の若い頃にはもう1000円くらいで手に入ったけれど、あの当時はサングラスは高価だったのかな。さらぴんのサングラスを壊されて悔しがったバクダンさんは、まだ素朴なノンポリ学生だったんだろう。ごめん。ノンポリ、知らないか。ノンポリティーク、非政治的ということ。
れん 「のんぽり」だから「ぶんがく」的なの?
お父さん 「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」
れん 「ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ、落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ」
西條八十さんの詩だね…? それがどうしたの?
お父さん あのサングラスはどこに行ったのでしょうか、…という感じかな。
私は、農民を追い出し、死に追いやり、農地を奪った政府・空港公団、催涙弾の水平射撃で東山薫さんを虐殺し、同志の顔面を破砕して失明させた機動隊への暴虐は絶対に許せない。しかし、個々の機動隊員に恨みはない。ライオンがシマウマを倒し、プロレタリアートがブルジョアジーを打倒する、これは自然のルールであり、階級闘争の掟というだけだ。
しかしバクダンさんが語るサングラスのエピソードに、映画『人間の証明』で引用された、西條八十の詩を思い出したんだ。
『夜明けまでバス停での脚本(ほん)を書いた脚本家さんは俳優でもある。叔父さんと同い年でね。デビュー作のときは、まだ16歳か17歳だった。ほんとうに、こんなきれいな女の子がいるのかと思ったものだよ。
しかし彼女は、自民党本部に放火したり、成田空港に突撃したり、駅を炎上させ国鉄をゲリラで止め、米軍基地や皇居に飛翔弾を放っていた「過激派」をリアルタイムで知る世代でもある。
自分の弟と同じ年のあの美少女が、「あなたにだって、忘れてしまっただけで、あの闘争で失ってしまったもの、置き去りにしてしまったもの、壊されてしまったものが、あるんじゃないですか」って、聞かれたような気がしたんだ。生まれてから一度も汚いものなんて見たことのない純粋そのままの瞳、一度も嘘をついたことのない白い歯をきらきら輝かせながら。
そんなことは考えてみたこともなかったよ。うん。文学だねえ。
れん ぉ父さんも、バクダンさんの「サングラス」のような思い出がある?
お父さん うーん? あの催涙弾、どうしたんでしょうね……ええ、三里塚十字路で、僕に命中した催涙弾ですよ、とか?
れん ぇっ! 命中しちゃったの…?
お父さん 三里塚十字路には催涙弾の薬莢が散らばっていて、翌日、反対同盟の方々が回収すると、1400発以上あったということだよ。取っといても仕方ないし、不燃物のゴミになったのかな?
1400発のうち2発は私に当たったんだ。1発はヘルメットをかすめただけだけれど、2発めは、腹部に命中した。防弾衣かわりにサラシで少年マガジンを巻いていなければ、内臓を傷めたかもしれない。衝撃で宙に浮いて、2、3メートルは吹っ飛ばされたよ。
れん もぅ…そぅぃう危険なことは、しないで…ね?
お父さん うん。そう願いたいね。しかしまあ、機動隊相手のゲバルトより、炎天下で農薬を散布する防除作業のほうが、はるかにキツくて大変だけれどね。ヤッケにゴーグルにマスクの完全武装スタイルが一緒なだけで。
そういえば、今年の栗拾いには、れんちゃんの小学校入学記念に植樹した栗の木と、同い年の小さなお客さんが来てくれたね。栗の木の寿命は五十年というけれど、さすがに40年後、50年後に生きているとは思えない。しかし栗の木を育てることは、若い人たちと一緒に未来を生きるということなんだなって思ったよ。過去の総括、歴史の検証も大切だけれど、未来を創り出していかないとね。
(4)希望はどこに?
れん 映画にはたくさん人が観に来てぃたね。ぉ父さんもぃってたように、そのこと自体が、私も希望だと思った…よ。
お父さん もう少し、若い人が多ければいいなと思ったけれどね。1800円のチケットは、いまの若い人には高いのかもしれない。ネット配信などで、若い人にも見てもらえる機会が増えたらいいね。
「自助・共助・公助」という菅前首相のスピーチが流れるシーンがあった。要は自己責任、自助でなんとかしてくれ、政府は何もしないぞということだね。政府は何のためにあるのか。バクダンさんのいうように、社会の底が抜けてしまった。
「自己責任」という言葉を初めて聞いたのは、いわゆるイラク日本人人質事件だった。
れん イラク日本人人質事件…?
お父さん そうか。れんちゃんが生まれる前だね。
第二次湾岸戦争のとき、政府のイラク渡航自粛勧告を無視してイラクに渡った人たちがいた。戦争下の子どもたちのボランティアのため、ジャーナリストとして現地の情報を伝えるため、戦争を阻止する人間の盾になるため、イラクに向かった理由は人それぞれだ。最初は3人、続いて2人、合計5人の人たちがイラクに渡り、現地の武装勢力に拘束されてしまった。
政府の渡航自粛勧告を無視したんだから、「自己責任」だと当時の福田官房長官は公言した。マスコミも、この政府見解をそのまま垂れ流し、イラクに渡航した平和活動家を非難する世論を作りあげた。政府とマスコミに扇動された人びとは、人質になった平和活動家のために税金を使うべきではないと主張し、人質やその家族はマスコミによって一斉にバッシングを受け、家族の自宅にも脅迫電話があったという。
「人質」になったうちの1人のWさんは、同じ平和・人権団体に属していたというご縁があってね。イラクの渡航費もささやかながらカンパしたんだ。お金を出したんだから私も「共犯」だ。
私も有休をとって、集会の防衛に駆けつけた。街宣車に乗った右翼も5人か10人、押しかけてきたけれど、それ以上に、会場に入り切らないほど多くの人が詰めかけたのには驚いた。世論は自己責任論一色のように見えたけれど、そうじゃないと考える人たちも大勢いたんだ。
『夜明けまでバス停で』が興行的にもヒットしているのにも、あのときと同じ希望を感じるよ。いつ誰もがホームレスに転落するかわからないこの社会はおかしい、しかも殺されてしまうなんて、と考えている人が大勢いるからだと思う。『腹腹時計』の評価はともかくとして、この映画には社会を変えていく力がある。
れん パンフレットに、「私達は爆弾のかわりに映画をつくった」とぃう言葉がぁったね…。私にも、なにかできることがあるかな…?
お父さん 文章を書くのが大好きなれんちゃんは、すごい武器を持っているぞ。書くことは大きな力だよ。いまこそ、社会を変えていくために、立ち上がらなければならない。そのためには人のこころを動かさないといけない。人のこころを動かすのは、ことばの力だからね。
れん ぅん…この映画の感想、友だちに伝えてみるね…。くしゅん。
お父さん ごめん。カップを空けて…お湯できれいにして…アルコール消毒して…どうぞ。白湯で温もってね。
れん ぁりがと…。ふーふー。こくこく。ほっ。
ぁのね、最後に一つだけぃい? パンフレットで、長谷川和彦監督が…ぉ父さんの好きな『太陽を盗んだ男』の監督さんだよね…「たった一つの不満は、『石を振り上げる男』の描写だ。俺はこの男にも感情移入してみたかったのだ」と書いてぃるよね。ぉ父さんはどう思った…かな?
お父さん ほほぅ。れんちゃんは、どう思った?
れん ぁの男の人も、本当に悪人とぃうわけではなくて、道に落ちてるゴミを拾って、ぉ店の人に感謝されてぃる場面はぁったけれど…でも、感情移入はできないかも…。三知子さんのこと「バイキン」とぃうシーンがあったけれど、人のことを、ゴミのように思ってぃたということでしょ? 私も…
お父さん ごめん。そうだね。れんちゃんも、辛かったね。
うん。感情移入はむずかしいなあ。石で頭部を殴ったらケガだけでは済まない。実際、亡くなっているし、後遺症だって残る。ほんとうに社会の底が抜けてしまった。
しかし映画を見て、キャリーバッグで家財道具一式、持ち運んでいた路上生活者がいたのを思い出したんだ。混雑したスーパーで鉢合わせになって、迷惑だなぁと思ってしまったことがある。
あの長谷川監督のコメントを読んで、私も、路上生活者に見えない石を振り上げている一人なのかもしれないと反省したよ。
三知子さんも私だけれど、あの男だって私なんだという、そういう切り返しがあると、もっと素晴らしい映画になったね。苦しんでいる人がいても、それは所詮他人の苦しみで、自分には関係ないと目を背けているのは、誰しも一緒のはずだよ。
れん ぅん…。モデルになった本当の事件でも、多くの人があの女性を見てぃて、心配してぃたのに、何もできなかったんだよ…ね。二度と悲劇を繰り返さないために、私も見てみぬ振りはやめるようにしたい…な。明るくて、人と触れ合うのが大好きな人だったんだよね…。
どうかこの映画を、一人でも多くの人に観てもらえますよぅに…鎮魂と再生の祈りをこめて…はぃ!
11月になっても、元気に咲き続ける朝顔を応援するれんちゃん。
この大林さんの事件記事を読んで、暗く哀しく辛い感情がわいていました。
(;つД`)
場所が大阪なら、周りの人は放っとくことはなかったでしょう。
特に話好きだった彼女にとっては、大阪の水は合ったようにも思います。
人柄からも受け入れてくれる所はあったと思いますよ!
子供たちの世話をする飲食店だとか…ボランティアとか…
しかし、犯人は絶対に許せませんねぇ!
( `Д´)/
誰にも迷惑かけてないでしょうに!
身勝手な犯行!間違いなく重い殺人罪に匹敵する犯罪ですよ。
悲しいですねぇ。
( ω-、)切なすぎます。
あの犯人、飛び降り自殺で亡くなったようです。
https://bunshun.jp/articles/-/53435
ゴミ拾いのエピソードは拾えているのですが、携帯もガラケーで、ネット情報は遮断し、差別扇動のYouTuberに影響を受けたというのは、本人のイメージとは異なるようです。
本来は手に手を取って連帯すべき弱者や困窮者が、バトルロワイヤルのように殺し合いを強要され、見世物にされている。そんな地獄図会のようです。