今日は関東大震災で10万5千人の人が亡くなって99年目だ。そして、関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言が広がり、各地で朝鮮人が迫害され、虐殺された。これが事実に基づかないことは、当時の司法省の報告でも、朝鮮人や、朝鮮人と間違えて中国人や日本人を殺傷した日本人が500人以上いるのに、殺人・暴行、放火、強盗、強姦の罪で起訴された朝鮮人が一人もいないことからもわかる。
加藤直樹『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』を知って取り寄せた。朝鮮人虐殺を否定するフェイクはネットにとどまらず、現実社会を侵食し、言論と政治を歪めるに至った。全国紙の新聞社の記者が、「朝鮮人虐殺があったと言い切ってしまって大丈夫か」と校閲担当者にいわれたというエピソードには、日本の言論はそこまで劣化したのかと思わないではいられなかった。さらに小池都知事は朝鮮人虐殺犠牲者への追悼文を拒否して久しい。虐殺否定論者が誤りを書き散らすのは簡単だが、それが事実でないことを根拠をもって一つひとつ示していくのは大変な労力がいる。加藤氏ら朝鮮人虐殺否定のデマやフェイクと対決してきた方々の苦労がしのばれるが、私も本当に腹立たしくて仕方ない。
今日は、朝鮮人虐殺が確かに存在したことを伝える、折口信夫(釈迢空)の歌と詩を紹介しておきたい。
7月から沖縄旅行に出かけていた折口は、9月3日に横浜港外に到着、翌日上陸し、谷中清水町の自宅まで徒歩で帰宅した。その途中、芝増上寺山門あたりで自警団から朝鮮人に間違えられあわや暴行を受けそうになり、そのときのことを歌に詠んでいる。
晩年の折口と同居し、師の死を看取った弟子の岡野弘彦氏の『折口信夫伝』からの孫引きになるけれど、「自歌自註」から引用しよう。
「増上寺山門
国人びとの 心〈ウラ〉さぶる世に値〈ア〉ひしより、顔よき子らも、頼まずなりぬ
大正十二年の地震の時、九月四日の夕方こゝを通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に値〈ア〉つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふような事が出来なくなつてしまつた」
岡野氏は、「折口の心が一番の激しさを示す時は、彼が世間に対して大きな公憤を発する時であった」と書いている。朝鮮人虐殺を歌った「砂けぶり」も忘れがたい。同書より抜粋。
両国の上で、水の色を見よう。
せめてもの、やすらひに─。
身にしむ水の色だ。
死骸よ。この間、浮き出さずに居〈ヲ〉れ。
水死の女の 印象
黒くちゞかんだ 藤の葉
よごれ朽〈クサ〉つて 静かな髪の毛
─あゝ そこにも ここにも
横浜からあるいて 来ました。
疲れきつたからだです─。
そんなに おどろかさないでください。
朝鮮人になつちまひたい 気がします。
夜になつた─。
また ろうそくと流言の夜〈ヨル〉だ。
まつくらな町を 金棒ひいて
夜警に出かけようか
井戸のなかへ
毒を入れてまはると言ふ人々─。
われへへを叱つて下さる
神のつかはしめ だらう
かはゆい子どもが─
大道で しばいて居たつけ─。
あの道─。
帰順民のむくろの─。
おん身らは 誰を殺したと思ふ。
かの尊い 御名において─。
おそろしい呪文だ。
万歳 ばんざあい
ここに引用したのは全集に収録された決定稿で、第六連は、初出時点ではもっと直接的でグロテスクであった。
「かあゆい子どもが、大道で、
ぴちゃへへしばいて居た。
あの音。
不逞帰順民の死骸の――。」
「ぴちゃぴちゃ」というフレーズ、そして残酷でグロテスクな描写に、私は乱歩の『踊る一寸法師』のラストシーンを思い出してしまった。月下で、液体のしたたる生首に食いつきながら楽しげに踊り狂う一寸法師そのままではないか。
大人たちも、「かの尊い御名において」天皇陛下万歳といいながら、「不逞帰順民」を死骸に変えていったのである。折口が「わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふような事が出来なくなつてしまつた」と書く気持ちも痛いほどわかる。
村井紀氏は「神のつかはしめ」という表現を、「朝鮮人」(最終形では「井戸のなかへ 毒を入れてまはると言ふ人々」と婉曲表現になっている)を日本の神々の下僕として植民地支配を神話化するものだと糾弾しているという。
私は村井氏の批判に、中野重治の「雨の品川駅」の「日本プロレタリアートの後だて前だて」という表現をめぐる論争を思い浮かべた。すなわち、朝鮮人革命家を「後だて前だて」と呼ぶのは、帝国主義本国人民の植民地の被抑圧人民に対する民族エゴイズムなのか、あるいはプロレタリアートの国際的連帯を意味しているのかについての論争である。前者の立場は、「盾」を日本人プロレタリアートの弾除けの意味として捉えている。戦後、極左冒険主義的な軍事路線に走ったとき、最も英雄的戦闘的に闘い抜いたのが朝鮮人革命家たちであり、屈服した日共中央に裏切られ切り捨てられたのも彼らであった歴史を思い重ねれば、この主張にも一定の根拠はある。
だから、左翼的には、村井氏の批判は興味深いのだけれど、折口は宣長のような無邪気な国粋主義者ではない。私は、折口のマレビト論に着想を得た小松和彦氏の『異人論』を思い出す。マレビトたる朝鮮人は、異族の神そのものではないのか。非常に皮相な言い方になってしまうが、柳田的な「常民」たちのムラの秩序と日常を維持・回復するためには、マレビトは徹底排除され、殺され、「神」として祀られなければならないのである。ここでは、以下の論考をご紹介しておきたい。
日本人とは「平らかな生を楽しむ」人びとだと思っていたのに、どうして一旦事があると、こんなに荒みきってしまうのだろうか?
戦後の折口は、神道と自らの戦争責任に関連して、こんな発言をしている。
「神道はあまりにも光明・円満に満ちた美しいものばかりを考へてをり、少しも悩みがない。記紀を入れば古代人の苦しみが訣つて来る筈であるが、日本人の苦しんだ生活を考へようとはしなかつた。神道が他の宗教と違ふ点は、その中に罪障観念がないことである。……古事記に素戔嗚命の罪悪のことがあるが、それはあまりにも叙事詩的に現れてゐるので、宗教的な罪悪感が少い」(「民族教より人類教へ」)
これが安倍極右政権を支え、右翼政治家の総本山となった神社本庁創立一周年記念における講演だというのも、なかなか興味深い。神社本庁がスポンサーとなった日本会議という連中も、その支援を受けた右翼政治家どもも、御用ジャーナリストどもも、「光明・円満に満ちた美しい」ゼニの輝きにしか興味がなく、少しも悩みがなく、罪障観念も全くゼロではないか。
講演会場に居合わせた岡野氏の回顧によれば、しかしこの書き起こしは要点のメモだけにとどまっていて、話の緻密さに欠けるという。折口の話はもっと生々しかった。特攻隊の死をもいとわぬいさぎよさの心根に触れて、ああいうむごい計画を軍の高級参謀や司令官が考え出して若者達に強いたのも、当の若者や当の日本人も心痛みながらもそれを認め、受け入れて、みずからの命を死地にほろぼしていったのも、日本人が緻密な教義体系のある宗教を生み出さず、罪障観を持たなかった、あるいは罪障観が脆弱であったことによるのだということを述べたのだという。折口の養子となった最愛の弟子である藤井春洋が硫黄島で戦死したとき、なすすべを持たなかった悔恨が、そこには籠められているのであろう。
罪障観を持たない、乱歩のエログロ小説の主人公のような体だけ大きな「かわゆい子どもたち」だからこそ、「尊い」ものの名を叫びながら朝鮮人を虐殺し、また戦時下では特攻隊の若者たちを死地に追いやる、残酷なことができた。東京・大阪、全国の都市が空襲に遭っても、沖縄が犠牲になっても、広島・長崎に原爆が投下されても、おろおろするばかりで自ら戦争をやめることもできなかった。
私は折口が歌人釈迢空として初めて世に問うた歌集『海やまのあひだに』に収録された若き日の歌を思い起こす。
「いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり」
私は朝鮮人虐殺否定論者たちに、そのフェイクをばらまく指や舌の根をもぎ取ってやりたいような、激しい怒りを覚える。
私は折口の時代批判の精神、そしてその「公憤」の精神に学びたい。折口は、ライフワークの源氏物語の紫式部に用例のある「おほやけばら」という言葉を用いて、「公腹が立つ」といったらしい。たとえ自分が第三者で、自分の利害には関係なくても、人の犯した罪や悪に怒る心を忘れてはならない。過去は偽ることも忘れることもできるが、打ち消すことはできないのである。
>増上寺山門
國びとの心(ウラ)さぶる世に値(ア)ひしより、顔よき子らも、頼まずなりぬ
「自歌自注」『折口信夫全集・第二十六巻・P.272・一九七四年新訂再版』(中央公論社)
>大正十二年の地震の時、九月四日の夕方ここを通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警團と稱する團體の人々が、〜
「自歌自注」『折口信夫全集・第二十六巻・P.274・一九七四年新訂再版』(中央公論社)
この「歌」などは「自注」がなければ、もう、何の意味かわからないという人々が急増しているような気がしていて、怖い世相になったなと。
一九八〇年代中曽根政権時代でさえ、今より遥かに、そして大いに議論沸騰していましたからね。
ではでは。
私は昔、東北の田舎の温泉宿でいかにも好々爺という老人が、戦中に大陸で「チャンコロ」の赤子を空に投げあげ、銃剣で受ける「遊び」をしたと、懐かしい思い出話として得々と話すのを聞いて戦慄しました。
日本人には、超自然なるものへの畏れはあるものの、人としての信仰世界には、富貴や来福、家内安全の願いがあるだけのようです。だから、平時は善き人と見える人物が、一朝事あると、グロテスクなバケモノに変身し得るのですね。
私も「自歌自註」がなければスルーしてしまったろうなあと思います。「心」(ウラ=裏=内面)という古語を用いるのも、「顔」(カホ=外面)とパラレルな表現になっているとか、辞書を引かないとわからない。「値」で「あふ」と読ませているのも、仏教用語の「値遇」を知って、初めてピンと来ます。
折口の公腹について、岡野氏は飢饉の東北を旅した後の「水牢」を紹介しています。その野卑な罵詈雑言は、西成のおっちゃんの生地丸出しで、宣長を罵倒した秋成を思い起こさせます。高山彦太郎と重なる心情を歌いながらも、三条大橋のたもとのあの土下座像のようにイデーの前に全面屈服することはない。生活者の土性骨がある。
先夜、テロルや凶悪犯罪がなかったことにされる近未来のディストピアを描いた「リコリス・リコイル」について話した若者は、1980年代にはまだ生まれていません。現在、そして未来について語る努力をしなければと思います。
ブログいつも楽しく、また勉強になります。
おっしゃること、大変良くわかります。
近世に来日したポルトガルの宣教師が、日本人は動物には優しいのに人間には冷酷である、またすぐに人を殺してしまうと書いていたのを思い出します。「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「ホームレスの命はどうでもいい」と書いて炎上した自称メンタリストがいましたが、昔からの国民気質なのかもしれません。
関東大震災ではマイノリティである朝鮮人が犠牲になりましたが、それは同胞を犠牲にした特攻隊の悲劇とパラレルだったと思います。愛国心が外敵への憎悪と同時に同胞に対する冷酷な態度に結びつくと正しく洞察したのは幸徳秋水でした。
現世利益を追い求めるあまり、太宰治風にいえば「家庭の幸福は諸悪の根源」ということになってしまうのかもしれません。良きパパ良きママ、良き子どもであるためなら、自分も他人も犠牲にして、どんなひどいこともできてしまう。
コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。