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『怠ける権利』についての覚え書き 過重労働防止に向けて

2023年06月30日 | 政治・経済・労働組合


きょうは労働組合の新人研修会で講師です。今は昼休みを利用して資料の整理中。
研修会の準備で忙しく、ブログを更新できませんでしたので、テキストに使用する、私家版『労働組合入門』より記事のおすそわけです。オリジナルは4年前に書いたもので、加筆修正しています。
『資本論』や『賃労働と資本』はともかく、『怠ける権利』をテキストに使う左翼・労働運動家は、私くらいかもしれませんね。


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入院して『怠ける権利』について思い出す

2019年の4月半ばと6月半ば、私は二度にわたり脳梗塞を発症し、入院しました。

令和を病室で迎えた最初の入院は小脳梗塞で2週間、二度目は脳幹梗塞で右半身不随となり3週間の入院でした。この二度目の入院中に大脳梗塞も発症したので、小脳・大脳・脳幹、脳の全ての機関を梗塞でコンプリート?したことになります。

私が入院中の大半を過ごしたのは、脳卒中集中治療室(SCU)という場所で、緊急患者がかつぎここまれ、24時間体制で治療を行う病室です。ドクターやナースが常に忙しく動き回り、医療機器のアラームが鳴り続ける環境でした。

さまざまなハプニングもありましたが、入院中は、仮眠をしたり、読書をしたり、リハビリに励んだり、おおむね平穏に過ごしました。こうしてゆっくり時間を過ごすのは、働くようになって初めてでした。20年はき続けた、仕事と労働組合の二足のわらじは、自分で考える以上にストレスになっていたようです。

病院のベッドで思い出したのは、若い頃に読んだポール・ラファルグの『怠ける権利』でした。

「古代奴隷制身分の惨めな典型、キリストのように、《プロレタリアート》は老若男女を問わずこの一世紀来厳しい苦難の丘を営々と登っている。この一世紀来、強制労働が彼らの骨を砕き、肉体を痛めつけ、神経を苛んでいる。この一世紀来、飢えが彼らの臓腑をよじらせ、脳髄に幻覚を呼び起こしている……、おお、《怠惰》よ、われらの長き悲惨をあわれみたまえ! おお、《怠惰》よ、芸術と高貴な美徳の母、《怠惰》よ、人間の苦悩の癒やしとなりたまえ!」
(ポール・ラファルグ《怠ける権利》)

ちなみに「プロレタリアート」とは「労働者階級」を意味するドイツ語です。英語だとWorking Classでそのままズバリでわかりやすいですね。

プロレタリアートは「無産階級」とも訳されます。「資産を持たない階級」という意味です。「プロレタリア」という言葉は、古代ローマにおいて「自分の子ども以外に資産をもたない最下層の民(Proles)」に由来する造語だそうです。少子化が進む日本の労働者階級においては、古代ローマの最下層の民よりアンダークラスの人たちが急増中といえそうです。

ポール・ラファルグ(Paul Lafargue、1842年1月15日– 1911年11月26日)は、フランスの社会主義者です。カール・マルクスの婿(二女ラウラの配偶者)にあたります。資本主義社会における賃金労働の非人間性を批判した著作『怠ける権利』(Le droit à la paresse ドゥロワ・エ・ラ・パレッセ、1880年)を著したことで知られます。

『怠ける権利』というタイトルは、今もインパクトがあります。物わかりのよい顔をした経営者、管理職、あるいは労働組合のお偉方でさえも、「これはちょっとね、行きすぎだよ」「逆説にすぎない」と眉をひそめるでしょう。

しかし『怠ける権利』が今も色あせないのは、怠惰を個人の道徳的、精神的レベルからではなく、社会問題の視点から扱うための提言だからです。「過労死」が問題になる現在、その先見性とアクチュアリティはさらに高まっているといえるでしょう。


長時間労働の健康リスク 

やがて過労死に至る諸悪の根源が長時間労働です。長時間労働で問題になるのが、「脳・心臓疾患」による過労死リスク、そして「精神疾患」リスクです。

脳・心臓疾患は、動脈硬化等による結果病変または動脈瘤、心筋梗塞などの基礎的病態(以下「血管病変等」)が長い年月にわたる生活の営みの中で形成され、それが徐々に進行し、増悪する(さらに悪くなる)といった自然経過をたどり発症に至るものとされています。

この加重負荷の有無の判断については、発症前に「異常な出来事」「短期間の加重業務(1週間)」「長期間の加重業務(6ヵ月)」のいずれかに該当するか否かという枠組みが採用されています。

今日、現場労働者には、技術革新に即応するためのスピードや高い品質、コストの圧縮など、さまざまな高いレベルの仕事が要求され、労働者が受ける心理的負荷も増加傾向にあり、労働者が属する職場環境も、ますます労働者に過重な心理的負担がかかりやすくなっています。

過重な心理的負荷がかかる労働環境であるかといって、すべての人が精神障がいを発症するわけではありません。以前は同じ環境に耐えられたのに、あるときから絶えられなくなり、精神障がいを発症することだってあります。脳・心臓疾患、精神障がいの発症リスクは、個々の労働者の性格(ストレス脆弱性、ストレス処理能力)や年齢、業務経験、業務内容によって、大きく異なります。

精神障がいは、①心理的負荷の強度、②ストレス耐性、③ストレスに対する対処技能の相関バランスが崩れたときに発症するものと解されています。

「精神障がいの認定基準」も、精神障がいの発症は、環境由来の心理的負荷(ストレス)と、個別の労働者の反応性、脆弱性との関係で、精神的破綻が生じるか否かで決まるという「ストレス−脆弱性理論」に依拠しています。ストレスに対して強いか弱いか、気分転換がうまくできるかは、性格の一部です。上司は部下とのコミュニケーションの中で、部下のストレス耐性を把握することが必要になっています。


健康と安全を最優先する経営へ

健康と安全を最優先する当社の経営風土は、過去の労災事故の反省と教訓を踏まえて労組の諸先輩が勝ち取ってきた原理原則です。

健康問題では、いまお話した長時間労働の問題を抜きに考えることができません。時間外労働のルールについては、「労働問題FAQ」で触れているのでそちらをご覧いただくとして、現在の労使の取り決めでは、時間外労働は1日2時間が暫定的な上限だと思ってください。業務が忙しくて、1日2時間を超える日があっても、週5日で10時間以内、月20日で40時間以内が目安です。

時差出勤の営業の仕事では、残業は最長でも10時間、翌日の午前4時30分までです。これは電車の始発が動き出すまでの時間です。

近年はこうした仕事は激減しましたが、徹夜してでも業務を完了しなければならない場合もあります。しかしその場合でも、完徹(カンテツ。徹夜勤務終了後そのまま所定労働時間内勤務を行うこと)は禁止です。朝、業務に引き継いだ後は帰宅して、翌朝まで休養しなくてはなりません。


日本人は真面目で勤勉だったのか

さて、ラファルグの『怠ける権利』に戻りましょう。

明治以降、日本は資本主義社会の仲間入りを果たし、近代化を推し進めましたが、それは人々を幸せにしたでしょうか。

私の答えはNOです。

明治維新間もない1871年、欧米諸国との交際や外交交渉、海外事情の視察を目的として、岩倉具視を団長とする「岩倉使節団」が派遣されます。岩倉使節団の記録係で、佐賀藩出身の久米邦武は、スペインにはシエスタ(昼休憩)の習慣があるというのに、イギリスでは「懶惰(らんだ)・怠惰(たいだ)」が許されず、道を歩むにも小走りを強いられ、働きづめで、産業文明国でありながら後進国の日本より未開の野蛮国に見えるという、驚きととまどいを書き記しています。

江戸時代、武士の平均的な働き方は、朝方10時ごろにお城に出勤し、14時には城を出るというもので、平均労働時間は4〜5時間でした。大工さんは、1日3度の休憩があり、それを差し引くと勤務時間は4時間程度で済んだといわれます。イギリス労働者の置かれた悲惨な状況は、カルチャーショックだったでしょう。

日本人は真面目で勤勉だといわれます。しかし近代以降、工場経営に携わった専門家、特にドイツ人は、そうは思わなかったようです。

1912年に出版されたドイツ人のヘーバーの「日本の産業労働」には次のような偏見に満ちた日本人論があります。この人が実際に日本に行ったことがあるかどうかはわかりません。

「モンゴル人に単純労働以外にもっと早いスピードを教えるのは無理であろう。かれは平気で1時間でも14時間でも手で紡ぐ。かれは殆ど疲れないが、他面では殆ど全力をあげて働かないし、もちろん労働には楽しみも感じない。労働時間を減らすと、生産も丁度同じだけ減る。労働時間を増やすと、生産もあがる。賃金をあげると、すぐ出勤する日が減る。お腹が空いているとか、宿がないという特別な条件がなければ、働くことはかれの目には無理なことなのであり、いやナンセンスなのである」

明治時代、別のドイツ人が書いた本にはこうあります。

「日本人の多くは、だらだらしていて、時間をまもらず、あまり能率的ではなく、いつもキセルをのんだり、お茶を飲んだり、話をしたりする。金儲けや節約はまだ自己目的ではない。この人々は機械での一定の精一杯の労働には慣れにくいのである」

大正時代のドイツの貿易協会の機関誌には、こう書いてありました。

「日本の労働者は、近代の工場を支配すべきこの軍事的規律に服しようとはしない。かれは好きなときに休みをとって、好きなときに出勤して、好きなときに家へ帰るのであるが、こういう行動の結果として叱られたら、かれは退社する」

しかしここで描かれる日本人は、実に楽しそうではありませんか。産業大国になったところで、常にあくせく働き走ることを強いられ続け、しかも貧富の差が激しくなり、近代化以前よりもっと悪い暮らししかできないなら、働くことにどんな意味があるのでしょう。

高度成長時代には……あるいは私の若いころにも……「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ 二日酔いでも 寝ぼけていても タイムレコーダー ガチャンと押せばどうにか格好が つくものさ」(植木等『どんと節』)という、のんびりしたところが残っていたものです。いまではそんなゆとりはありませんね。ITやネットの進歩でアナログ作業、力仕事から解放され、時短が実現したかわりに、次から次へと仕事をこなさねばならず、労働密度はかえって上がってしまいました。
 
植民地の南国キューバで、フランス人の父とクリオーリョ(現地生まれの黒人)の母との間に生まれたラファルグや、東洋の不思議の国から来た久米には、「懶惰・怠惰」を許さぬ文明が、危険なものに見えたのでしょう。


『怠ける権利』の現代性

ラファルグは、パリ・コンミューンのたたかいに敗れた後、マルクスの盟友・エンゲルスが提供しようとした遺産相続を断り、隠遁生活を送り、1911年11月26日、69歳で、妻ラウラとともに自ら命を絶ちました。ラファルグの遺書は、今日の尊厳死にもつながる問題を提起して、世界中の社会主義者や労働運動家に衝撃を与えました。この有名な遺書も、引用しておきます。

 「私から生活の快楽と喜びを一つ一つ奪い去り、体力と知力を剥奪していった過酷な老いが、私の気力を麻痺させ、意思を打ち砕き、自分や他人の重荷にならぬうちに、心身ともに健康である時、自ら死ぬものである。
数年来、私は七十歳を越えぬことを決意してきた。死への門出をこの歳(69歳)に定め、決意を遂行する手段──青酸の皮下注射──を整えてきた。
私が四十五年間、わが身を捧げた立場が、近い将来、勝利することを確信して、このうえない喜びをもって死ぬ。
共産主義万歳!
国際社会主義万歳!」

ラファルグは、「生活の快楽と喜び」を奪い去る老いを呪詛しています。だからといって、自殺するのが正しいかどうかは、安易に答えは出せません(安易に答えを出すことは、老人に死を強要することになるでしょう)。しかし「生活の快楽と喜び」が人生の中心にあり、それを維持するためには意思と気力が必要であるということばは、重い意味を持っています。ラファルグの義父であり、師であったマルクスはこう書いています。

「労働者にとっては、十二時間の機織り・紡績・穿孔・廻転・シャベル仕事・石割りが、彼の生命の発現だ、彼の生活だ、といえるであろうか? その逆である。生活は、彼にとっては、この活動が終わったときに、食卓で、飲食店の腰掛けで、寝床で、はじまる。その反対に十二時間の労働は、彼にとっては、機織り・紡績・穿孔などとしては何の意味もなく、彼を食卓や飲食店の腰掛けや寝床につかせる儲け口として意味があるのだ」
(カール・マルクス『賃労働と資本』)

まだ仕事を始めたばかりの新人も、押し寄せる年波には勝てないおじさんも、家に帰る頃にはぐったり疲れて寝床に倒れ込むしかありません。組織の歯車のようなルーチンワークの生活は、学生や新社会人のときにはあった夢や希望、あこがれなどを打ち砕いてしまうものです。

「生活の快楽と喜び」を生み出す源泉であり、人間の生命の発現そのものである人間の労働を、モノと同じ労働力商品として扱う人間疎外の構造に、ラファルグ、そして師のマルクスは資本主義の根本矛盾を見出したのです。


よく働くことはよく怠けること

マルクスは、この娘婿について「あのばかの頭をかち割りたい」と罵っていたそうですが、ラファルグはラファルグで、マルクスの傲慢で尊大なエリート主義に対する批判や反発もあったろうと思います。4番打者とエースだけ、大谷ひとりで野球はできないように、エリートだけでは社会は成り立ちません。弱い人、だめな人、足りない人、困った人も、みんなと一緒に楽しく幸せに暮らせる社会が、本来の共産主義のめざす世界なのです(旧ソ連や東欧、中国、北朝鮮などの「社会主義」は、人びとが革命に託した理想と希望を裏切り、党の独裁に転落したスターリン主義にすぎません)。

小関智弘氏の『粋な旋盤工』(1975年)は、高度成長時代の日本を支えた町工場の労働者たちを描いたノンフィクション小説の古典的名作です。

本書には、こんなエピソードが紹介されています。1時間の生産ノルマが10個なのに、中途採用の腕のいい職人が13個も14個も作ると、先輩の職人たちは、みんなでその人に辛く当たるというのです。そのうちその人も空気を読んで、みんなと同じ10個のノルマに落ち着くそうです。逆に、腕が悪く、1時間に7個か8個作れない不器用な職人がいた場合には、ノルマが一人平均10個になるように、みんなでカバーするというのです。

利益を求める会社としては、みんなに11個、12個生産できるようになってほしいでしょう。しかし不器用な仲間にも家族がいて生活があります。労働者同士、お互い助け合い支え合い、守り抜いていく美徳と風習、相互扶助の精神は、労働組合が守り抜いていかねばならないものです。

今の社会は怠けることをよくないこととしていますが、怠けるには知恵がいるのです(怒られないための愛嬌も必要ですね)。

人類の進歩の歴史は、人間を楽しく楽にする技術の進歩、すなわち怠ける技術の進歩です。

働いていたら、いろいろなことがありますが、「生活の快楽と喜び」だけは忘れないようにしてください。学生時代の趣味が楽しめなくなったら、要注意です。労働組合のクラブ活動なども積極的に活用して、よく遊び、適度に怠けていきましょう。それが、結果として、仕事にも活力とアイデアをもたらすでしょう。と、最後はいい話風にまとめておきます(「労組のせいでみんな働かなくなった」と会社からクレームが来たら、それはそれでまた余計な仕事を増やしてしまいますからね。階級闘争を貫徹すべき労組の仕事も適度に怠けることが必要なのです)。

ポール・ラファルグ(1842‐1911)



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4 コメント

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Unknown (水仙)
2023-06-30 16:31:48
『怠ける権利』という言葉は面白く、そして言いえていますね。

読ませていただいて、とても勉強になりました。
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Unknown (kuro_mac)
2023-06-30 16:45:20
droitは、英語のrightと同じく、「権利」のほかに「健全な」「公正な」「正しい」「道理」という意味もあります。
水仙さんもあまりがんばりすぎず……鯖寿司おいしそうでした。なれ寿司は時間を調味料にする主婦の味方ですね。
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Unknown (angeloprotettoretoru)
2023-06-30 16:49:19
少なくとも江戸時代の一般町人の暮らしぶりは、のんびりしていて勤勉とは正反対のものだったようですね。暑い日は無理に働かず、身体に水で練ったうどん粉を塗って終日寝そべっているとか。
勤勉に働かないと怒られるようになったのは、いつ頃からでしょうか。
少なくとも労働は戦争ではないし、労働者は兵隊でないのは確かです。命をかけてまで働くのはナンセンスです。
でもいつの頃からか、日本から労働者が消えて経済戦争の兵士ばかりになってしまったようです。
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Unknown (kuro_mac)
2023-06-30 23:32:06
バロリスタさん、こんばんは。

コメントありがとうございます! 新人研修会と歓迎会を終え、先ほど帰ってきたところです。

唯さんの「汚い声」が気になりつつ、マギレコの「まどか先輩」「悪魔ほむらちゃん」「ホーリーマミさん」のキャラ崩壊が気になる私としては、距離の取り方に悩んでいます。最近はハイキングにハマっているし、まずは普通に「ヤマノススメ」からですからね?(なんの相談?)

セクトを離れ、肉体労働に明け暮れていたころ、行き帰りの電車やバスのなかで、フーコーの『監視と処罰』(邦訳・監獄の誕生)を、鉛筆でゴリゴリ傍線を引きながら熱心に読みました。西欧においても、西欧をモデルにした日本においても、工場・軍隊・学校、そして刑務所の誕生と、機械的に訓練された「労働者」の登場はワンセットだったのではないでしょうか。

いわゆるカタギとなり、進学塾のクライアントを担当したとき、低学年のクラス担当には、まずは小さな人たちを席に座らせ、話を聞く体勢をとらせるところからスタートだと聞きました。明治に来日した外国人技師も、同じような苦労を味わったのかもしれませんね……。
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