れんちゃんに叱られたとおり、12日は熱中症になりかけました。
おかげで、久しぶりに夏休み気分を満喫できました。風に吹かれながら木漏れ日の下で大の字になって休むのは気持ちのいいものです。
13日は、エアコンの効いた部屋で寝転がって積読の本を読んで過ごしました。
さて、ゴジラ第二作『ゴジラの逆襲』では、劇中では大阪市内のロケ地が、どう見ても神戸に見えるという話の続きです。
本編には出てきませんが、特典画像で、ケーブル駅で撮影したキャストたちの記念写真が収録されています。
初めて摩耶ケーブルに乗った12日の夜、久しぶりにこの映画を観直しました。
航空自衛隊のセイバー戦闘機の編隊が、光に強く反応するゴジラを、照明弾で大阪湾の外に誘導しようとする場面。まさか四国や淡路島なら上陸してもいいだろう、ということじゃないよね?
この照明弾の閃光を見上げるゴジラが、なんかかわいいのです。『シン・ゴジラ』で戦闘ヘリを見つめるゴジラは、このシーンへのオマージュかな。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で、幼いヴァイオレットが蝶を見つめる場面も思い出しました。
航空自衛隊のこの誘導作戦は失敗し、ゴジラは大阪に上陸してしまいます。
陸上自衛隊(半年前の第一作では、まだ警察予備隊でした)の戦車隊や多連装砲が迎え撃つのは、いま海遊館のある天保山のあたりです。
大阪市民が逃げ惑うシーン。
この立派な石垣があるのは、神戸市の御影あたりに見えるのですが、どうでしょう。
ゴジラが大阪湾に出現し、市民が逃げ惑うなか、社長令嬢のヒロインが、郊外の自宅に車で送られる場面です。
劇中では「大阪市」だし、特典画像のキャプションも「大阪ロケ」なのですが……。大阪市内に、大阪城以外であんな立派な石垣があって、しかも海が見える高台のスポットって、ありましたっけ?
これはヒロインが自宅の窓から、コンビナートが爆発、大火になった大阪方面を眺めているシーンです。
私は最初、当時は白浜青松の海岸線が広がっていた浜寺公園あたりかなと思っていました。
しかし、「いざとなれば裏山に逃げるんだ」と主人公はヒロインに言い残して、大火が燃え盛る大阪に引き返していくわけですが、「裏山」があるのは神戸や芦屋ですね。
神戸からは大阪空襲もこんな風に見えたのかなと思います。この当時は神戸や芦屋も自然のままの海岸線が残っていたのがわかります。火災の火は合成だと思いますが、貴重な映像遺産だと思います。
これは、ケーブル車内から撮影されたおぼしき写真です。
どこだろう? はっきりとはわかりませんが、摩耶山とは、少し違うような気がします。
いま知ったばかりですが、『ゴジラの逆襲』が公開された1955年に、奥摩耶ロープウェイ(現在の星の駅・虹の駅間)が開業し、現在の自然観察園にはジェットコースターが走る「奥摩耶遊園地」があったそうです。だから、次の写真も、摩耶山掬星台の可能性もある、と思ったのですが……。
しかし奥摩耶ロープウェーと遊園地の開業は1955年7月12日。『ゴジラ』のヒットを受けて、わずか数か月の製作期間で製作された『ゴジラの逆襲』の公開は、1955年4月24日です。
この主演の二人が佇むテラスも、おそらく六甲ケーブルの山上駅周辺なのでしょう。いまの六甲ガーデンテラスですね。なお、このシーンは劇中にはなく、ポスター用に撮影されたものです。
六甲ガーデンテラスは、前を通り過ぎたことがあるだけなので、いつか立ち寄って、このスチールと照合してみたいと思います。
これも六甲山上ケーブル駅周辺で撮影したのかなあ。
当時はアメリカ軍の基地になっていた六甲山最高峰は、ガーデンテラスのあたりからは、こんな風に見えるような気がします……。
結論をいえば。特典画像のスナップのケーブル線は、残念ながら土曜に乗った摩耶ケーブルではなく、六甲ケーブルのような気がします。ロケ地も灘・御影周辺だったのではないでしょうか。撮影が終わった後、六甲山上まで足を延ばしたのでしょう。
さて、『ゴジラの逆襲』は、第一作の反核のテーマは後退し、ライバル怪獣アンギラスが登場して、後のエンタメ路線・プロレス路線の基礎を築いた作品です。ゴジラの造形も初代とは異なり、二代目以降は「昭和ゴジラ」といわれるようです。
私は正義のヒーローになってしまった昭和ゴジラが苦手なのですが、本作では、ロケ地となった大阪のなつかしい風景を見ることができる点は、気に入っています(私の考えでは神戸も)。
これは大阪城天守閣と旧陸軍第四師団司令部庁舎(旧大阪市立博物館)です。この風景はいまもなんとか残っていますね。
これは天守閣の石垣に座って、京橋方面をバックにした写真かな?
お濠の水が青々していて、私たちおやこも好きな場所の一つです。
私が大阪に来たころは、さすがに天守閣の本丸には、出店はありませんでした。しかし、極楽橋の前にあったお店は、こんな雰囲気でしたよね。あのお店もなくなってしまいました。
阪急うめだも、リニューアル前のほうがよかったなあ。
最近の近代建築物も、リニューアルするのはいいですが、なんで超高層ビルを屋上に突き立てるんでしょうね? 空に向かって墓標が伸びているようです。「屋上屋を架す」とは、あのことじゃないのかな。
大阪駅も、リニューアル前はこんな感じでしたね。
これは淀屋橋駅。今も雰囲気は残っています。
さて、大阪築港(天保山)に上陸したゴジラとアンギラスは、バトルを繰り広げながら大阪城方面に近づいてきます。安治川(あじかわ)沿いに大阪市中心部に進んできたのでしょう。
大川(旧淀川)は、中之島で堂島川と土佐堀川に分岐して、中之島の南端でまた合流して、安治川となって大阪湾に注ぎます。この堂島川と土佐堀川が合流するあたりに、昔は水上生活者もいて、宮本輝の『泥の河』の舞台になっています。
これはゴジラ上陸のドサクサにまぎれ、警察の護送車から逃亡したおじさんたち。
中之島で、ゴジラとアンギラスが暴れているのを見て、淀屋橋駅に逃げ込むわけですが……。
地下鉄の駅構内に逃げ込むおじさんたち。
淀屋橋駅のランドマークが、セイコーの石原時計店の石原ビルであり、現ミズノの美津濃ビルでした。
右の美津濃ビルに、ゴジラかアンギラスに破壊された、セイコーの石原時計店の石原ビルが倒れかかってきます。石原ビルと美津濃ビルの間にあるのが、白洋舎ビルなのは、今も同じです(現在は同じくらいの高さのビルになっています)。
美津濃ビルは、1927年7月、「美津濃運動用品株式会社」の本店としてスタート。戦火にも耐えて生き残った近代建築の名品でした。長く淀屋橋、そして大阪のランドマークでしたが、淀屋橋の再開発に伴い、2021年6月末をもって閉店しました。
ゴジラたちに破壊されるのはあくまでミニチュアですが、これも貴重な映像記録だと私は思います。
倒れゆく津濃ビル。
さて、淀屋橋駅に逃げ込んだおじさんたちの運命ですが……。
ビルの倒壊と同時に、駅舎に土佐堀川の水が流れ込んでくるではありませんか!
ゴジラとアンギラスが暴れて、土佐堀川の堤防が壊れて、決壊してしまったのでしょう。
このゴジラ映画の時代の大阪の古写真に、雨のあと、中之島公園が水浸しになっている写真がありました。堤防も今ほど高くなく、怪獣たちが暴れたらひとたまりもなかったでしょう。
駅構内に流れ込む水。
この水は特撮による合成ですが、駅構内や、地下鉄入口や改札口は、実写です。貴重な映像遺産だといえるでしょう。
地下鉄御堂筋線が開通したのは、昭和初期の1933年です。
御堂筋線は、梅田駅を出発して、堂島川、土佐堀川の下を通過して、土佐堀川を渡った淀屋橋の橋詰にある淀屋橋駅に着きます。
当時の技術では、軟弱地盤の川の下にトンネルを掘るのは至難の技でした。だからこの川の下のエリアは、川底を掘り返して、鉄筋コンクリート製の大型筐体を連結したトンネルを埋設し、上から土をかぶせて埋め戻す工法が取られています。
二代目ゴジラは50メートル、重さ2万トンだそうですが、そんな超重量の怪獣が二体も暴れたら、川底のコンクリートトンネルも、天井を踏み破られてしまったでしょう。堤防が決壊した改札口からも、トンネルからも水が流れ込んでくるわけで、激流に飲み込まれたおじさんたちは、助かる望みはなかったでしょう。
『ゴジラの逆襲』を観てから、20年以上、神戸とおぼしきロケ地のことが、ずーっと気になっていたんですよね。あのケーブルが摩耶ケーブルでなかったのは残念ですが、長年の疑問が解決してよかったです。
お書きの通り神戸が舞台になっているのでしょうね。神戸のほうが絵になりますものね。
懐かしい写真をたくさん見せてくださり、ありがとうございました。
ゴジラが上陸するのが天保山です。
あの戦車隊は伊丹から来て待機していたんだろなあと考えるのも楽しいです。
天保山は7年前あるイベントで訪ねたのが最後です。寂れちゃったなあと思いましたが、インバウンド後は賑わいを取り戻したのでしょうね。
まあ、栄えているのは天保山ハーバーランド周辺だけで、少し離れると、いまもゴジラ映画の風景が残っているように思います。
渋谷のNHKホールまで、ゴジラ60周年祭の音楽祭(劇中曲を生オーケストラで演奏しながら映画を上映)を観に行ったのはもう8年前。宝田明さんも健在でした。
テレビ番組の視聴率アップのために、キングコングを探しに行くというストーリーも、斬新でした。