気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

恵比島駅 そして 明日萌駅

2008-09-13 19:44:49 | 建物

前回UPした廃線になった炭鉱線はここJR北海道 留萌本線
恵比島駅(えびしまえき) から分岐していました

車掌車改造駅舎板で覆われてしまい倉庫のような佇まい、その横には

明日萌(アシモイ)駅
NHK制作の連続テレビ小説の『すずらん』
で(1999年4月5日から10月2日)舞台となり
主人公の一生を通して、鉄道員一筋に生きる養父の生き様、家族、炭坑と町の
栄枯盛衰などをからめながら描いていましたがそのロケ地になりました
この駅が使用され、撮影用の多数のセットが組まれて今は保存されていました

入り口から奥に入ると駅官舎が見えました 駅員の常盤 次郎(橋爪功)宅

駅の中に入ると人影! 人形にビックリ! 駅員は橋爪功に似せていました

「中村旅館」                     駅前通りも再現

画像 2008-08-24 沼田町JR恵比島駅


歴史的建物  旧永山邸・旧福山商店・旧札幌美以教会堂

2008-06-16 10:22:36 | 建物
サッポロファクトリの2回目の訪問で初めて横に公園が在ることが判りました。
 
竣工 旧永山邸 : 1880年頃(明治10年代前半) 
永山武四郎(ながやま・たけしろう 1837-1904)の私邸として建てられました。
武四郎(1837~1904)は、屯田兵司令官、第七師団長、第2代北海道庁長官を歴任
 
                             木造クラブ : 1937年(昭和12年)頃
1911年(明治44年)8月に三菱合資会社が買収し、
1937年(昭和12年)頃に北側部分を解体して木造クラブが付設され三菱工業寮となる
1985(昭和60)年札幌市が買い取り、敷地を公園として整備
 
ヤマツツジ                    ライラック?藤?(藤棚が有名?)
・次に北三条通を道庁方面に歩くと煉瓦造りの建物があります
 
竣工 旧福山商店:1907年(明治40年)
1891年(明治24年)創業、味噌や醤油の醸造を始めた福山商店の店舗として建設
同商店の醤油は、明治・大正時代にかけ道内一の販売量を占めていた、建物は
寄棟屋根の形態でアーチ型の玄関と窓が特徴的、明治期の赤レンガの商店
としては数少ないとのこと。
現在は喫茶店として利用されています。
・旧福山商店をあとにしさらに西へ移動、創成川沿いにあります。
 
竣工 日本基督教団札幌教会(旧札幌美以教会堂):1904年(明治37年)
札幌の街づくりの軸となった大友掘(現在の創成川)に面している、
中世ロマネスク風の教会建築です。
トンガリ帽子のような青い屋根の尖塔と札幌軟石の重量感が印象的です。
画像 2008-05-30 札幌中央区

歴史的建物  サッポロファクトリ リベンジ!

2008-06-13 12:06:09 | 建物

前回円山帰りの寄り道で標準レンズを持ち合わせていなかっいたのでリベンジ!
旧札幌麦酒会社工場
1876年(明治9年)9月、この地に開拓使麦酒醸造所が設立され、
翌年「札幌ビール」が発売されました。
 札幌麦酒会社は、この麦酒醸造所を譲り受け、1887年(明治20年)に
設立されました。
     
北3条通東6丁目より
開拓使麦酒醸造所の開設時は木造2階建てでしたが、相次ぐ増築を重ね
1892年(明治9年)には今の煉瓦造りに変わりました。
1892年ごろの建物の外観
その後さらに発展今の外観に変わりました


旧仕込室・汽機室は1915年ごろ        貯酒酵母室1909年ごろ
北3条通東3丁目より

なぜ北海道がビ-ルの発祥の地になったのか?
開拓使のお雇い外国人トーマス・アンチセルは1872年(明治5)、
道内の地質など調査時に、現在の岩内町で野生ホップを発見。
アンチセルは日本でも将来ビール産業が盛んになるという予見のもと、
開拓使にホップ栽培を建言したのが始まりです
 
北3条通の煉瓦の壁               東3側の壁

開拓使麦酒醸造所見学館

北2条通
相変わらず訪問は早朝の9時前、開いているのは喫茶店のみ
今度は中を見学にと思っています
開拓使麦酒醸造所★物語
サッポロビ-ル物語】
歴史的建物  サッポロファクトリ

画像 2008-05-30 サッポロファクトリ


歴史的建物  サッポロファクトリ

2008-06-01 02:59:26 | 建物

今回は円山公園へ初めて地下鉄で行ってみました。
その帰り大通での乗り換えを間違いそのまま・・・・
一駅目で下車そこは以前から行ってみようとしていた「サッポロファクトリ
以前は札幌ビ-ルの工場があり恵庭に工場が移転となり
空き地を大型商業複合施設として1993年(平成5年)にオープンしました。
しかし今回新しい施設が訪問目的ではありませんでしたくこの地は、
明治9年に創業された日本人の手による初のビール工場、サッポロビールの前身である開拓使麦酒醸造所だったところだからです。
この地の歴史的建物が残され商業施設となっているのです。レンガ館として
 
北3条通   明治25年築               北2条通
この北3条通も開拓使通と呼ばれた、歴史的な通です、この紹介はまたの機会に
 
ファクトリのレンガ広場に入ると

上を向くと壁だけを残して立っています?
         明治からの修復跡 
        この部分だけでも歴史を感じるレンガ建物です 
 
チョット奥を撮影                 煙突の土台には開拓使の文字

煙突に書かれた文字を望遠撮影
今回円山公園での撮影が目的でしたので望遠しか持たず
撮影し入りきらない場面も出来てしまいました、また来ようと思います。
札幌ビ-ル博物館を訪問しましたがレンガの建物はいいものです
歴史的建物  サッポロビ-ル 2008-03-22 01:07:16   
ただいままた新たな歴史建物を物色中
画像 2008-05-28 サッポロファクトリ


歴史的建物  サッポロビ-ル

2008-03-22 01:07:16 | 建物

1893年(明治23年)に札幌製糖会社の工場として建設されました。
その後、札幌麦酒が買い取り麦酒工場として活躍しました。
1965年(昭和40年)外観レンガをそのままに内部を改装し、サッポロビ-ル博物館
・サッポロビ-ル園が開設されました。

博物館に入る道に樽が積まれ白字で
「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」と書かれている
これは、サッポロビ-ルの前身である、「開拓使麦酒醸造所」の開業式
1876年(明治9)9月の記念写真に写っている樽にかかれた文字である。

  煙突 高さ49㍍ 周囲8㍍


屋根の部分を拡大すると

開拓使のシンボル「北極星」を表していて、その当時の商品名が
冷製『札幌ビール』で北極星をマ-クにしていました。
民間への払い下げで『ニッポンビール』に、1964(昭和39)年1月から
『サッポロビール』に変わりました。



ちなみにホップの栽培農家は私の田舎におり、サッポロビ-ルの
乾燥所がありました、いまは研究所になっていると思います。

建物 幅85㍍ 奥行17㍍ 高さ10㍍
画像 2008-03-12