第一生命は1902年9月15日創立され、今年創立110周年を迎えます。
その記念行事として、マッカーサー記念室一般公開
が行われ、最終日22日に行ってきました。
第一生命館は、歴史的建物に高層ビルを増築するはしりの建物です。
旧第一生命ビルに隣接した渡辺節設計の旧農林中金の敷地に高層棟を建て、元の建物のデザインを残して
1995年、第一生命のDと農林中金のNをとって名づけられたDNタワーとして完成しました。
どこまでが古いものなのか新しいのかがよくわからない建物です。
お堀越に見る建物は堅牢でとても美しく、マッカーサーが一目見て気に入ったのがうなずけます。
お昼すぎに着くと、整理券は15時30分。
ササーッと見学して帰るつもりだったのでうろたえましたが、
銀座でお買い物をのんびリ楽しみました。
5分前に到着し、入館記帳と荷物検査を終え、エレベーターで6階へ。
この建物は昭和27年に連合国軍に接収され、6年10ヶ月の間連合国軍総司令部(GHQ)がおかれました。
マッカーサー記念室は、当時の内装と家具を保存してあります。
机は、引き出しのないもので、ダイニングテーブルのようにも見えました。
展示してある写真から
床や梁が気になります。
マッカーサーは どんな想いで この椅子に座っていたのでしょうか。
第一生命と言えば頭に浮かぶのは サラリーマン川柳。
はっとするものや、笑いがこみ上げてくるものなど
いつも和まさせていただいています。
その記念行事として、マッカーサー記念室一般公開
が行われ、最終日22日に行ってきました。
第一生命館は、歴史的建物に高層ビルを増築するはしりの建物です。
旧第一生命ビルに隣接した渡辺節設計の旧農林中金の敷地に高層棟を建て、元の建物のデザインを残して
1995年、第一生命のDと農林中金のNをとって名づけられたDNタワーとして完成しました。
どこまでが古いものなのか新しいのかがよくわからない建物です。
お堀越に見る建物は堅牢でとても美しく、マッカーサーが一目見て気に入ったのがうなずけます。
お昼すぎに着くと、整理券は15時30分。
ササーッと見学して帰るつもりだったのでうろたえましたが、
銀座でお買い物をのんびリ楽しみました。
5分前に到着し、入館記帳と荷物検査を終え、エレベーターで6階へ。
この建物は昭和27年に連合国軍に接収され、6年10ヶ月の間連合国軍総司令部(GHQ)がおかれました。
マッカーサー記念室は、当時の内装と家具を保存してあります。
机は、引き出しのないもので、ダイニングテーブルのようにも見えました。
展示してある写真から
床や梁が気になります。
マッカーサーは どんな想いで この椅子に座っていたのでしょうか。
第一生命と言えば頭に浮かぶのは サラリーマン川柳。
はっとするものや、笑いがこみ上げてくるものなど
いつも和まさせていただいています。
chamekoは GHQと言うと 青春の なかった
青春 を いろいろ 思い出します。なんといっても 市政会館 で仕事が終わってから 検閲文書を タイプして 今で言うアルバイトをして 生活していました(父を空襲で亡くした後)。今で思えば スゴーイ アルバイト代でした。
予想以上の混雑でしたが、
スタッフの機敏対応で
気持ち良く見学できました。
年齢層高めでしたが、老紳士の
実話が聞けて楽しかったです。
知っていながら重い腰が上がる事はありませんでした
最終日の15:30だと最終組では?
次の機会(あるとして)を待ちますが、そのとき情報が入るかな?
当時はアルバイトもいろいろあったんですね。
戦後家族を支えて、さぞ大変だったでしょう。
接収された建物の中でもここは別格で、GHQの総司令部の置かれた部屋がこうやて保存されているのは貴重だと思います。
今度ゆっくりアルバイトのお話、聞かせてくださいね。
ZERTさんの丁寧な記事に頭が下がりました。
初日だなんて、心掛けがいいですね。
私の整理番号は、3400番台で、200人定員とは思えませんでした。
どこまでが古い建物なのかわからず、ついきょろきょろしてきました。
普段公開していない場所見たさに行ってきました。
みなさん、しっかりチェックしていてさすがです。
私の後は、3時50分からの整理券を配っていました。4時過ぎても公開はあったようです。
残念ですが、こうして中の様子を
写真で見る事が出来てよかったです。
近くの明治生命館とともに、
マッカーサーの時代を物語る貴重な建物ですね。
接収された建物は、どれも見事な建物ばかり。
GHQの審美眼に脱帽します。
堅固な外観のでマッカーサーが気にったのかも知れませんね。
まあ~、よくご存知で!
来日した時、そう若くなかったマッカーサー元帥ですが、座右の銘だそうですね。
「青春」 胸がキュンとする響き…好奇心とともにいつも心のなかに持ちたいものです。