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姜 尚中 「在日」

2011-10-11 | レビュー
姜 尚中 「在日」

在日2世として生まれた著者の自叙伝。
これまで生きてきた中で出会い、姜氏の人生を方向づけることになった人々の生きざまを描き出しながら進んでいく。

熊本の朝鮮人集落の中で生まれ、底辺で生きる人々の悲哀に満ちた暮らしを目の当たりにし、貧しくて弱い朝鮮人であるという自己認識を持つ。
文盲であった母の情緒不安定気味な行動や、おじさんとの触れ合いを、貧しい中でも何か温かみのある思い出として語っている。

青年期に、もう一人の伯父さんに成功者としての朝鮮人のイメージを持つ。この実の伯父は日本の大学を出、戦時中は憲兵であったという。
日本で結婚もしていながら、戦後韓国に帰還し、弁護士として成功を収めている。時代に翻弄され、孤独な最後を迎えることになる伯父ではあるが、在日として自己矛盾を抱えながら生きた例として、氏に少なからぬ影響を及ぼしているようだ。

韓国の軍事政権に対する抗議行動を日本で行う。韓文研という組織に属し、祖国の活動の後衛として活動することに自らのアイデンティティを見出そうとする。
金大中氏の誘拐事件・キンキロウ事件・同じ在日2世の自殺。日本が経済成長し豊かさをわがものとする半面、在日たちの暮らしは常に闇を抱えたままであった。在日をどう生きるか、その手掛かりをマックスウェーバーの宗教社会学に求め、学究の徒となる。

ドイツ留学時にギリシャ移民の子としてドイツに暮らす学生と交流を深める。ドイツの中のトルコ人やギリシャ人、またはユダヤ人といったマイノリティである人々のあり方に在日を重ね合わせる。

日本に戻り、在日朝鮮人の指紋押捺反対運動の先陣を切る。その中で支援活動をする牧師と出合い、
洗礼を受けるきっかけにもなる。
「何にでも時がある」と教えられた言葉が印象的だ。

その後は、大学の講師や助教授を務めつつ、著作やメディアを通じて持論を展開する。日朝関係やイスラム主義への共感など、ナショナリストから煙たがられる論客ではあるが、そこにはマイノリティとして生きる「在日」の視点があり、グローバル化した現代、さまざまな民族問題を避けて通れない日本に必要な視点を提供している。

現東京大学大学院教授。

姜 尚中氏 講演会

2011-10-11 | お出かけ
姜 尚中氏 講演会 2011年10月5日 
「受け入れる力」

 テレビの討論番組では辛口の論客、NHK「日曜美術館」ではその穏やかな語り口で
おなじみの多才な政治学者 姜 尚中氏 現在、東京大学大学院教授
著書に「在日」「母」「悩む力」「愛国の作法」「日朝関係の克服」「政治学入門」「ナショナリズムの克服」
「マックスウェーバーと近代」「オリエンタリズムの彼方へー近代文化批判」など

 雨にもかかわらず満席の講堂。ほとんどが女性ということで緊張されているとの前置きで
いつもの静かな口調で語り始められました。
 講演会の内容について。 

 震災・原発事故・世界的不況 世の中不安なことだらけで、先が見えない私たちは、いかに生きるべきか
文盲であったお母さんの在日1世としての苦労や生き様、言葉を手掛かりに、姜さんの思いを話されました。
 不確実な時代に不安とどう向き合うか、その答えは、受け入れること。自分の出自や、どうしようもない不幸、悲劇を受け入れる。不安は常に付きまとうもの。不安が消えてなくなるというのは似非預言者。どんなに不幸な現実から逃れようと悩んだところで、結局はすべて「死」が洗い流してしまうのだから。(ブリューゲル「死の勝利」)
人間は科学の子であると同時に、自然の子でもある。自然界の大きな連鎖の中で、人間を生き物としてとらえたとき
そこに生きる力を見出すことができる。例えば、熊田千佳慕氏の描く絵に見られるような、昆虫たち。
昆虫は、ただひたすらにたくましく生の営みを続けている。その、命を輝かせている瞬間こそが美しい。
現実を受け入れて懸命に生きる。今ここで輝くことが、不安を抱えながらも生き抜く力になる。
不幸な現実を目の当たりにして暗い中に私たちはいるけれど、こうこうとした光の中よりもむしろ、
ほの暗い中での方が希望の光を見つけやすいのでは?

参考
ブリューゲル「死の勝利」「母」「祈る手」
デューラー「自画像」
熊田千佳慕
V.E.フランクル「夜と霧」
トルストイ
夏目漱石
白土三平

聴衆がPTAということもあり、専門的な難しい話は控えめで、わかりやすく、姜 尚中氏の、キリスト教を土台とした真摯な生きざまに触れる、実り多い講演会でした。
著書「あなたは誰?私はここにいる」(集英社新書)の販売と購入者へのサイン会があった。先週買って家に置いてきた私は、残念。