吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

ゆらぎとうねり

2023年09月22日 | 音楽雑記
http://www.saohtomos.com/saohtomos2014/current.htm

陶芸家の畠山圭史先生の「ゆらぎとうねり」展に行って来ました。
ちょうど来場者が途絶えたタイミングで、
たくさんお話させていただきました。

「ゆらぎとうねり」は先生の長い作陶経験を経ての
いい意味の「開き直り」であると。
それが作品から心地よい波動となって伝わり
心身が浄化された感覚をいただけました。

何事もそうでしょうが、
基本の体得だけで大変な時間と労力を要するのは自明のこと。
陶芸の場合だと
左右対称に成型する技術や、
使いやすさや美しさを追求するプロセスは、
どの作家さんたちも通過してこられたことでしょう。
実用性と芸術性の狭間で苦悶されることも
経済的な折り合いで妥協せざるを得ないことも
想像に難くありません。

そのあたりは、畠山先生が作陶指導をされた
NHKの朝ドラ『スカーレット』で描かれています。
主人公の息子、川原武志が病と闘いながら
追及してついに完成させた
「水が生きているお皿」は畠山先生の作品で、
前回の展示会でそのシリーズの現物を拝見して感動。

今回はそこに「ゆらぎとうねり」というテーマが加わった
ある意味、「弾けた」作品たちの集合でした。
「弾けた」と言っても端正で静謐な湖のような透明感は根底にあるのですが。

作陶していて自然とゆらいでいく流れに
逆らわないでみたとのこと。
ゆらぎは、大きな作品であればあるほど大きくなる
ろくろの中心部では動きが小さくても
中心点から遠くなればなるほど増幅されて大きくなる。
それをあえて矯正せず、
作品のなりたがる「ゆらぎとうねり」に自然に寄り添ってみたとのお話でした。
以前であれば、技術の未熟さをさらしているような気になっていたけれど、
経験を経た今は、ある意味「これでいいのだ」と
自信をもってさらけ出せるようになった
とおっしゃっていました。

お話を聞いて、
曲がりなりにも人前で演奏する一音楽人として
音楽にも通づるものがあると僭越ながら共感。

何事も、まずはいかにセオリーをきっちり再現するかに腐心する過程から始まる。
バレエだって基本の手足のポジションがあり
音楽だって基本となる音階やリズムがあり
表現者たちは
それを安定的に再現できる技術を身に着けようと
何年、何十年とかけて日夜トレーニングに励むわけですね。
(私はまだまだ精進が足りない!)
そのプロセスがあって初めて
思うような表現を自分なりにコントロールできるようになっていくわけですね。
でも、そこに留まらないのが人間。
何かそれを超えるところから呼ばれているような感覚が芽生えてくるのでは?
だからといって基本をすっ飛ばしてよいのではなく
基本を愚直に実践してきたからこそたどり着ける
新しい扉なのかなと
おぼろげに感じる今日この頃。
大きな気づきをいただきました。

今回は先生手作りのアクセサリーも多く、勾玉形ペンダントに魅入られ、そのまま身につけて帰りました(注:ちゃんとお会計済)

包装紙として、別の展示会に出した作品を小さく切り分けた和紙を2枚選ばせていただきました。これも素敵。
どの作品も光の当たり具合で表情が微妙に変わる繊細さが素敵でした。
9月30日まで

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