吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

いざ!平泉 その4

2022年05月16日 | 音楽雑記
さあ改めて中尊寺目指して3度目の月見坂上り。
1度目より明らかに足取りが軽くなっている。
もしや若返ったか?
これは仏国土平泉の、はたまた健太郎義経公の清らかなオーラを浴びた効能か?

そこで一句

極楽を 見たり心は 足軽(アシガール)
京花


あら、道端にタケノコ発見‼ 掘りたくなるけど、ダメダメ~!


入れないけれど瑠璃光院への門からの景色、異世界につながる風情がよきかな。



峯薬師堂の目の御守りが有名らしく
細かい字が見えづらくなったポンコツな我が目を癒したい。


春の藤原まつり期間中の行事として、
金色堂前では郷土芸能の行山流都鳥鹿踊りが奉納されています。
なかなかの迫力

中尊寺は天台宗の僧、円仁が850年に開山。
奥州藤原家の始祖、藤原清衡公が1105年ごろから浄土思想を体現する寺院として大規模な造営に着手しました。
前九年合戦(1051~1062年)で陸奥を勢力圏とする安倍氏が滅亡。
後三年合戦(1083~1087年)で出羽を勢力圏とする清原氏が滅亡。
壮絶な戦いの末残された、両家の血を引く藤原清衡公は、合戦で亡くなった人々の魂を慰め、戦いのない平和な仏国土をこの世に実現しようとする意志を表すため、東北地方の中心に位置する平泉を拠点として、一大文化都市を築いたのです。
中尊寺はその思想を表す象徴的なお寺なんだそう。

古来から蔑称である「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、都からは討伐と圧力で支配する対象とみなされてきた東北地方にあって、特産品である金、漆、馬などの交易を通じて都との関係を良好に保ちつつ、自治を確立。
今でいう「ソフトパワー」の重要性に気づいていたとは、なかなか先進的。
現代の我々も学ぶところ大きいと思いますが……。


その思想を具現化した金色堂を見学。1968年に創建された現在の覆堂の外観です。


内部は撮影禁止なので、公式サイトでご覧ください。
https://www.chusonji.or.jp/know/konjikido.html


3つの須弥壇(仏壇)が据えられ、その内部には藤原三代、清衡、基衡、秀衡それぞれの遺体がおさまった棺が安置されています。
秀衡の棺の側には第四代泰衡の首を入れた首桶も。
須弥壇は黄金や螺鈿(貝細工)で装飾され、極楽浄土とはまさにこのような世界かと思わせるような夢見心地の空間。
マルコポーロが「東方見聞録」の中で、日本を「黄金の国」と形容したのは中尊寺の金色堂の噂を聞いたからではないかという説があるくらい、一度見たら忘れられないインパクトでした。



経蔵 つまりお経を収めていた倉庫。
中尊寺には、「紺紙金銀字交書一切経」(紺色の和紙に一行ずつ交互に金字と銀字で書き付けたお経)など、他に類を見ないお経の巻物が多数所蔵されていますが、かなりの部分は戦国時代に豊臣秀吉によって運び出され、現在では「中尊寺経」として、高野山や観心寺などに所蔵されています。


金色堂覆堂
創建当初は野ざらしだった金色堂は50年ほどして全体をカバーする覆堂が建てられたと考えられています。
室町時代中期に現存する形になったとされ、現在あるのはかつて金色堂を覆っていた堂。1968年に現在の覆堂が建てられたことにともない、敷地内の別の場所に移築されました。



内部に入って構造を見ることができます。


もう一つ深いご縁に感動したこと。
1950年(昭和25年)に行われた藤原四代の遺体学術調査の際、泰衡公の首桶から蓮の実が発見されました。その実から発芽を試みる研究が行われ、800年の時を経てついに1998年(平成10年)花が開いたそうです。
感動。
中尊寺蓮は全国各地に株分けされており、その一か所が新潟県の白山神社。
実は私、その花を2018年7月に見ておりました。
そのいわれを聞いて感動し、「いつか平泉に行って親株も見たいな」と思っていたのを思い出しました。
今回はまだ花の時期ではありませんでしたが、7月の開花時期に中尊寺再訪を画策中です。
種はまさにタイムカプセル。

「発掘というのは発見じゃない、再会だ!」by日本史担当木村先生(アシガール第9話より)。

800年の眠りから覚めて現代によみがえった蓮の花は、現在の風景を見て何を思うのでしょうか?

写真は2018年に新潟の白山神社で見た蓮の花。

中尊寺敷地内のレストランで自然薯蕎麦、お休み処でお抹茶をいただいたり、宝物館をや芭蕉の句にまつわる展示を見たりと、盛りだくさん。
あ~濃くて消化が追い付かない。

月見坂を下り、駅方向へ歩いているとちょっと違うルートを発見。
金鶏山への矢印が書かれた看板。
ゆるやかな坂を上ると用水路を発見。



照井堰(てるいぜき)は、850年も前に開削されたそうです。
毛越寺の浄土庭園の池の水はどこから来ているのだろう?と気になっていたので、謎が解けてよかった~!
さらに進んで行くと、平泉文化遺産センターに行き会う。
16:30で閉館のところ、滑り込みで「もう閉まりますよね?」と聞くと、「どうぞ、どうぞ」と快く入らせていただけました。
急ぎ足で館内ぐるっと見学しましたが、興味深そうな展示で改めて来ようと思いました。
係の人に「金鶏山って登ると大変ですか?」と聞いてみると、
「金鶏山は登山道が整備されていなくてかなり大変ですよ。
登るようなところではないです」とのこと。
無謀な登山を試みなくてよかった。
山頂に教塚があるというのでちょっと興味があったのですが。


駅に向かう途中見つけた魚屋・旭屋さんで、歴代の義経公の写真に加えて前日の東下り行列の写真が掲示されているのを発見。

プリント写真を無料配布されているのです。
なんと太っ腹!
ご主人と少しお話すると「持って行っていいよ」と健太郎くんの写真プリントをくださいました。
本当に優しい方ばかりで、とても穏やかな静かな時間の流れる平泉を堪能した一日となりました。
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