学長のひやかし

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監視カメラ

2005年12月12日 | boyaki
通学路のカメラ設置を批判 田中康夫長野県知事 (共同通信) - goo ニュース

 新党日本が大敗した以来、お久しぶりの登場となった誤審知事(ウチワネタ)田中知事。全国的には分からないが、長野県内では相当支持率が落ちているとも聞く。私は他県民ながら、その手腕は結構評価しているのだが・・・。

  さて本題。このところの治安悪化で、子供たちの安全が脅かされ親御さんや学校関係者さんは心配でしょうがないだろう。そんな中、出てきた通学路監視カメラ設置案だが私も反対だ。

  その理由は三つある。
  第一にカメラそのものの問題。カメラ監視には限界があり、何かあったらすぐ駆けつけられるのか、壊されたらすぐに直す予算はあるのか、死角部分はどう補うのかなど不充分な問題点を全自治体が克服できるのかが心配。

  第二に景観の問題。繁華街や商店街などでは違和感はないが、田舎ではどうだろうか。せっかくのいい景色が台無しになり、いい意味での「いい田舎らしさ」が失われそうで怖い。どうしてもというなれば、送迎バスの方が適当ではないだろうか。

  第三に費用の問題。カメラ設置、監視する人の人件費、維持費等多額の金がかかる。同じ金ならそれこそ人件費としてかけた方がよい。新たな雇用にもつながるし、これから大量に第一線を退くものが出る、2007年からの団塊世代引退後の第2の活躍場とするのもいいだろう。人間の目が一番確かであるし、何より幅広い世代との交流する機会にもなるだろう。一番いいのは、近所の手の空いている人がボランティアで通学路に立つのがいい。何でも安直に機械に頼るのではなく、今こそ「ご近所の力」のような人間力が必要なときだ。

  
  思えば、自由を求めて人間はあれこれ頑張ってきたのに治安悪化で自分から進んでその自由を手放そうとしている。昔に戻れというつもりはまったくないが、かつてあった「安全」、「信用」はいずこへ行ってしまったのだろうか。IT機器に囲まれ、便利になったと浮かれていないで今こそ自分たちの生活を見直すべきときに来ているのではないか。防衛を熱心に考えるのも大事だが、もっとその根元にある異常者がたくさん生み出される世の中のおかしな構造みたいなものを皆で考えていくべきだと思う。