日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 四
・大津皇子の謀反に関わった者への後始末
・天武天皇のために無遮大會を設ける
二十九日、
詔して、
「皇子大津は謀反をしようとした。
詿誤(あざむ)かれた、
吏民(りみん)や帳內(とねり)は、
やむをえない。
今、皇子大津はすでに滅んだ。
從者で皇子大津と坐に当るものは、
皆、赦すこととする。
ただし、
礪杵道作(とちのみちつくり)は
伊豆に流すこととする」
といいました。
また、詔して、
「新羅の沙門の行心(こうじん)は、
皇子大津と謀反したが、
朕は法に加えることに忍びない、
飛騨国の伽藍(てら)にうつす」
といいました。
十一月十六日、
伊勢神祠に奉していた
皇女大来(ひめみこおおく)が、
還り京師(みやこ)に至りました。
十七日、
地震がありました。
十二月十九日、
天渟中原瀛眞人天皇
(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
のために、
無遮大會(むしゃだいえ)を
五つの寺、
大官、飛鳥、川原、小墾田豊浦、坂田で、
設けました。
二十六日、
京師(みやこ)の孤獨高年に
布帛(ぬのきぬ)を賜りましたが、
各々差がありました。
潤十二月、
筑紫大宰が、
三つの国、高麗、百濟、新羅の
百姓、男女、
あわせて僧尼六十二人を献りました。
この歲、
蛇と犬が相交わって、
たちまち、倶に死にました。
・吏民(りみん)
役人と人民
・帳內(とねり)
=ちょうない・律令制で、親王・内親王に与えられ、その護衛や雑役を務めた下級官吏
・皇女大来(ひめみこおおく)
大来皇女。大津皇子の姉
・無遮大會(むしゃだいえ)
貴賤・僧俗・上下・男女の区別なくだれにでも財施・法施を行う法会
(感想)
(朱鳥元年10月)
29日、
詔して、
「大津皇子は謀反をしようとした。
あざむかれた、
役人と人民、舎人はやむをえない。
今、大津皇子はすでに滅んだ。
従者で大津皇子の連坐に該当するものを、
皆、赦すこととする。
ただし、
礪杵道作は伊豆に流すこととする」
といいました。
また、詔して、
「新羅の沙門の行心は、
大津皇子の謀反に関与したが、
朕は法によって罪を加えることに忍びない。
よって、
飛騨国の伽藍に移すように」
といいました。
11月16日、
伊勢の神祠に奉していた大来皇女が、
京師に戻ってきました。
17日、
地震がありました。
12月19日、
天武天皇のために、
無遮大會を五つの寺、
大官、飛鳥、川原、小墾田豊浦、坂田で、
設けました。
26日、
京師で一人暮らしの高齢者に、
布、絹布を与えましたが、
各々差がありました。
潤12月、
筑紫大宰が、
高麗、百済、新羅の三国の
百姓・男女、あわせて僧尼、
62人を献上しました。
この歲、
蛇と犬が交接しました。
たちまち、ともに死にました。
最後のお話。
蛇と犬が相交
わざわざ、
歴史書に記載するとは…
何の意味があるのか?
気になります。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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