リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 四十九 ・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする ・漢人と唐人の踏歌 ・大射



日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 四十九

・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする
・漢人と唐人の踏歌
・大射



八年春正月二日、
正廣肆を直大壱の
布勢朝臣御主人
(ふせのあそみみぬし)と
大伴宿禰御行
(おおとものすくねみゆき)に授けました。

封を人ごとに二百戸増やしました。
前と通して五百戸。
並びに氏上(うじのかみ)としました。

七日、
公卿等を饗(もてな)しました。

十五日、
御薪(みかまぎ)を進めました。

十六日、
百官人等を饗(もてな)しました。

十七日、
漢人(あやひと)が、
蹈歌を奏じました。

五位以上が、射しました。

十八日、
六位以下が射しました。
四日でおわりました。

十九日、
唐人が、蹈歌を奏じました。

二十一日、
藤原宮に幸しました。
卽日、宮に還りました。

二十三日、
務廣肆等の位を、
大唐・七人と
肅愼(みしはせ)・二人に授けました。

二十四日、
吉野宮に幸しました。



・氏上(うじのかみ)
古代における 氏 うじ のかしら
・肅愼(みしはせ)
古代に北辺に居住した辺民に対する呼称



(感想)

持統天皇8年春1月2日、
正広肆を直大壱の
布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行に
授けました。

食封をひとり200戸増やしました。
前と通算して500戸。
並びに氏上としました。

7日、
公卿らを饗応しました。

15日、
御薪(みかまぎ)を献上しました。

16日、
百官人らを饗応しました。

17日、
漢人が、踏歌を演奏しました。

五位以上が、大射しました。

18日、
六位以下が、大射しました。
4日でおわりました。

19日、
唐人が、踏歌を演奏しました。

21日、
藤原宮に行幸しました。
即日、宮に還りました。

23日、
務広肆などの位を、
大唐人・7人と肅愼人・2人に授けました。

24日、
吉野宮に行幸しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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