弥彦神社とカチカチ山を
荒唐無稽に比較してみるうちに、
混乱してしまったが、
カチカチ山の媼と翁は、イザナミとイザナギではないかと思えてくる。
(伊弉諾王朝があったと仮定しての話だが)
すると、忘れていた疑問を思い出した。
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生者と死者の住む領域に境界場所があるとする神話は、三途の川などとも共通する思想であり、世界各地に見当たる。日本神話での黄泉比良坂は古墳の石造りや、棺を納めた石室に通じる道からの印象とも考えられている。
『古事記』では上巻に2度登場し、出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)がその地であるとする伝承がある。「ひら」は「崖」を意味するとされる。
祓いの観念と関連があるものともされる。
男神・伊弉諾と一緒に国造りをしていた女神・伊弉冉がカグツチを産んだことで亡くなった。悲しんだイザナギは彼女に会いに黄泉の国に向かう。イザナミに再会したイザナギが一緒に帰ってほしいと願うと、彼女は「黄泉の国の神々に相談してみるが、消して、自分を見ないでほしい」と言って去る。なかなか戻ってこないイザナミに痺れを切らしたイザナギは、駆使の歯に火をつけて暗闇を照らし、彼女の醜く腐った姿を見てしまう。怒ったイザナミは、鬼女の黄泉醜女(よもつしこめ。醜女は怪力のある女の意)を使って、逃げるイザナギを追いかけるが、黄泉醜女たちは彼が投げた葡萄や筍を食べるのに気を取られ、役に立たなかった。イザナミは代わりに雷神と鬼の軍団・黄泉軍を送りこむが、イザナギは黄泉比良坂まで逃げのび、そこにあった霊力のある桃の実を投げつけて追手を退ける。最後にイザナミ自身が追いかけてきたが、イザナギは千引の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぐ。閉ざされたイザナミは怒って「愛しい人よ、こんなひどいことをするなら私は1日に1000の人間を殺すでしょう」と叫ぶ。これに対しイザナギは「愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて1日に1500の子を産ませよう」と返して黄泉比良坂を後にし、2人は離縁した。
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黄泉醜女に筍ー葡萄ー桃と投げるわけだが・・・
筍ー葡萄までは、納得できる。
一つには 時間の経過
筍が出てくる頃から葡萄ができるまでの間、逃げまくった。
と、考えられる。
もう一つは、時間稼ぎ。
筍は掘りたてなら生で食べられる。
黄泉醜女が皮をむいている間に逃げられる。
葡萄も一粒ずつ、皮をむいで、食べていれば
その間に逃げられる。
(もちろん、なんで、筍と葡萄なのか、よく判らないが・・・)
ところが、突然、最後に、桃が出てくる。
神仙樹の思想(中国とか)もあるだろうとは思うが
本当に、それだけだろうか?
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霊力のある桃というのが、後付け感がある。
葡萄でも、食べつくすと追いかけてくる。
ちくちくした産毛のある桃はたべにくい・・・
と、いう
三度目の時間稼ぎなら、まだ、しっくりする。
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と、いうよりも、
三種の食べ物自体、何らかの「霊力」があると思う。
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もしかすると、三種の神器の原型にかかわるのかも。
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黄泉平坂の話はギリシャ神話にもよく似た話がある。
これをもってしても、
後付け神話、もしくは、
伊弉諾王朝の滅亡を象りしているしているのかもしれない。
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九州 八戸神社に伊弉冉だけが祀られていて不思議に思っていた。
名前から、祀り替えがあったのは、間違いないとおもっていたが、
古来天神社と称したが明治四年字大谷西脇熊野大神社、字菅ヶ谷山神社、字後山産社同字丹生大明神、字深瀬大山祇神社、同字山神社、字替崎荒神社、字梓山梓大明神を合祀し社号を八戸神社と改め村社に列せられた。
深瀬天満神社は明治十年復社した。
『宮崎県史蹟調査』によれば、所蔵棟札として天明元年丑年(1781)八月、延岡城主内藤備後守政脩代祠官西幡麿守祐致他一枚が記されている。
全部の祭神が、変えられず、合祀されたかどうか・・・
八戸神社なので、ヤハウェを隠しているだろうと思う。
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飛騨口碑においては、
古事記の現代語訳で、「イザナギの命とイザナミの命」天地のはじめを読んでいくとこう書いています。
『天の神様方の仰せで、イザナギの命(みこと)・イザナミの命(みこと)の命御二方(みことおふたかた)に、「この漂っている国を整えてしっかりと作り固めよ」とて、りっぱな矛(ほこ)をお授けになって仰せつけられました・・・』
この続きを読んでいくと、神話化し過ぎて史実が解らなくなっています。
飛騨に伝わる口碑では、伊邪那岐命(イザナギのみこと)は、初代大淡上方様(おおあわのうわかたさま)から数えて34代目の皇統命(すめらみこと)です。
伊邪那美命(イザナミのみこと)は、御后(おきさき)として出雲(現代の島根県)から来られました。
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つまり、上の真偽はともかく、伊弉諾・伊弉冉は普通の人間という事になる。
伊弉諾王朝らしきものがあってもおかしくない。と、いう事になる。
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結局はその子供(?後継者争い)の話を書いているわけで
参戦したものたちにとっての、
正統な王朝継続問題なのだろう。
伊弉冉が死ぬまでにできた子供(神)は
大八洲国やその他の小さな島々を産んだ伊邪那岐命・伊邪那美命は次に神々を産んだ。
ここで産まれた神は家宅を表す神および風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々である。
(だいぶ、略している)
- 火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
- 別名は火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)
- 別名は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
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自然のものにあわせた名前であるので、
例えば
和久産巣日神(わくむすひのかみ、イザナミの尿から生まれる)あたりは、発酵をつかさどると考えられる。
なにかしらの役職とも思える。
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そして、何故か、イザナミが死んでしまう。
火の神・迦具土神を出産したとき女陰が焼け、イザナミは病気になった。
病に苦しむ伊邪那美命の吐瀉物などから次々と神が生まれた。
なにかしらの紛争が起きた。と、取りたい。
後継者争いという事かもしれない。
「火の神」をうんで、と、いうことは、
今までなかった燃料?(例えばー灯油とか天然ガスとか?)
あるいは、「火山」
と、いうことは、
天変地異が起きたのかもしれない。
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そこで、調べてみようと思ったのが
もうひとつ前の王朝かもしれない国常立王朝ー富士宮王朝と思われるので
富士山に着目。
前回、猿田彦の容貌から、これは、「火山」ではないかという説を基本に。
阿蘇山には、富士宮王朝が移ったという話がある。
ウガヤフキアエズ王朝実在論さまの記事の中に、
猿田彦の石碑を見つけたというものがあり
やはり、猿田彦は
去る田(祈る・祭祀)火の子(火の粉?)とも読めるので
基本的には
猿田彦は火山祭祀の一族ではないかと思える。
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ところが、富士山の祭祀と思われるのが
浅間神社(せんげん神社)であるが、
ここが、大山祇と娘?このはなさくやひめ
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浅間とあるので、元は浅間山(長野)かと思い調べてくる。
もうひとつ、スピ的分野になるが
富士と浅間山は連動している。
と、いう話がある。
富士山噴火の前には浅間山が噴火するはず・・というものであるが、
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長野、浅間神社(あさま神社)の祭神をはっきり書かないサイトが多い。
富士、浅間神社とは、祭神が違う。と、いう書き方で
長野 浅間神社のHPも見つからない。
仕方なく、あちこち、画像を探っていくと(実際に訪問した人の)
やっと、
大山祇とイワナガ姫(このはなさくや姫の姉)
が、出てきた。
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明治2年(1869)5月には、浅間山の火山活動が激しくなり、その鎮静を祈願して9月に明治天皇の勅祭が行われたと伝わっている。
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(富士)浅間神社の神さまの三神。まず、富士山の神様の「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」。そして、夫神様の「彦火瓊々杵命(ヒコホニニギノミコト)」、父神様で全て山々の神である「大山祗命(オオヤマヅミノミコト)」
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本殿の裏に回れば日本神話の始まりである大黒さんと恵比寿さんが祀られている。
西宮には、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」。また東宮には、河口湖産屋ヶ崎で祀られていた「彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)」。
北口本宮冨士浅間神社 | 富士五湖ぐるっとつながるガイド(富士五湖観光連盟) (mt-fuji.gr.jp)
最後にもうひとつ、忘れてはならない、大きな発見があった。
なぜ、北口本宮冨士浅間神社のある一帯を「諏訪の森」というか。北口本宮冨士浅間神社に集まるゆかりの神様のなかでも、特別な存在の神様の社がある。境内の東側に位置する「諏訪神社」だ。北口本宮冨士浅間神社の祭礼とされる「吉田の火祭り」で担がれる神輿の一つ「明神さん」が、この諏訪神社の神様だ。
浅間神社に関わる火祭りの起源伝説として、猛火のなかで出産をした「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)」の古代神話がよく知られている一方で、火祭りの起源を諏訪明神の例祭とする説も知られている。
「甲斐国志」には、上吉田村の諏訪明神の例祭として町中で篝火を焚くとあり、上吉田の産土神と記されていると言う。この地での古い歴史が諏訪神社にあったとすれば、諏訪の森の名の由来も想像がつく。現在の火祭りでも、お山さんの神輿は、明神さんの神輿を決して越してはならないのだそうだ。明神さんが敬われている。
長野県の諏訪大社といえば、日本の神社のなかでも古い歴史があり、「御柱祭」に象徴されるように古来からの自然信仰的な色あいが濃い神社である。諏訪大社では、諏訪明神は“蛇体”となって現れる。吉田の火祭りでも、神輿が神社から上吉田の町へ下るとき、白い蛇神が一緒に渡るとされるなど“諏訪”を起源とする風習が今も様々と受け継がれている。
大きな諏訪の森の存在が、“せんげんさん”をどっしりと支え、この地に伝わる富士山への信仰をより深く厚くしているようだ。
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古事記によるとイワナガヒメはその後、島々を司る八島士奴美神と結婚したとされます。
八島士奴美神
別名
清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの
清之繁名坂軽彦八嶋手命:すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと
清之湯山主三名狹漏彦八嶋野:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしまの
- 字義は、大八州国を領する神。
- スサノオと櫛稲田姫の御子神。
『日本書紀』に清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠、またの名を清之繁名坂軽彦八嶋手命、清之湯山主三名狹漏彦八嶋野といい、 『古事記』では、大国主命の祖で、この神の五代孫が大国主神とあるが、 『先代旧事本紀』では、八島士奴美神のまたの名を大国主神、大己貴命とある。 - 妻は、大山祇の娘・木花知流比売。子は布波能母遅久奴須奴神。
- 『古事記』によると、須佐之男神と櫛名田比売の子が、八島士奴美神。
八島士奴美神と木花知流比売の子が、布波能母遅久奴須奴神。
布波能母遅久奴須奴神と日河比売命の子が、深淵之水夜礼花神。
深淵之水夜礼花神と天之都度閇知泥神の子が、淤美豆奴神。
淤美豆奴神と布帝耳神の子が、天之冬衣神。
天之冬衣神と刺国若比売の子が、大国主命となっている。
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浅間山(長野)のいわながひめは、夫君の名前がない。
これは、やはり、あちこちで、
スサノオ系が消されていることに関わるのだろう。
その消す原因の一つが
ユダヤ(ヘブライ)人の皇室参入をけそうとした一派が居たことに寄る。
おそらく、中国・朝鮮系が皇室に関わったためと思われる。
(ここは、真偽争えないが、ユダヤ人ラビの著書によると
最初は日本をつぶそうとしていた(語弊がある)らしいが
日本にふれていくうちに、
日本・天皇 こそ、ユダヤ人がお手本にしなければならないと思うようになった。
と、いう。
そのつぶすための作戦として
赤(共産党)の考え方を日本に刷り込んだ、らしく
このことが、日本を多くゆるがしてしまうことになり
申し訳ないことをした。と、告白している。
その「赤」に牛耳られたことによるのか
最初のころに、ヘブライ信仰も、ろくでもない真似ととったか
他にも、いろんなことがまじりあっていると思いますが、
明治政府は、祀り替えを行っていきます。
明治政府の神社政策 - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)
上にくわしいので、一読お勧め。
さらに、
別名
清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしましの
清之繁名坂軽彦八嶋手命:すがのゆいなさかかるひこやしまでのみこと
清之湯山主三名狹漏彦八嶋野:すがのゆやまのぬし、みなはさるひこやしまの
この間から、
「湯」が、つく神社や名前は
「ヘブライ」「ユダヤ」に関わっているのではないか?
と、いう思いがしているのです。
ゆえにあえて、夫君としていれないのか
「ヘブライ」「ユダヤ」が、
いわながひめは八島士奴美神と結婚したと
騙っているだけなのかは、判断がつきません。
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ウガヤフキアエズ王朝も
「ヘブライ」「ユダヤ」が関わっているようで
ウガヤフキアエズの名をヘブライ語で解読すると
南ユダの王の名前の羅列になるとか・・・
これもあって、
記紀から抹殺したとおもうし
中華系?が、跋扈してきているし
いやでも、スサノオ系を(倭民族(元からいた民族)かヘブライ系か判断できていない)
消さなければならない。
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神功皇后にかかわるところも、スサノオ系をけしてしまっているし
この流れがいまだに、勢力を持っていると思われる。
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応神天皇の系譜に
稚野毛二派皇子(わかぬけふたまたのみこ/わかぬけふたまたのおうじ)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。
『日本書紀』では「稚野毛二派皇子」のほか「稚渟毛二岐皇子」、『古事記』では「若沼毛二俣王」・「若野毛二俣王」、他文献では「稚渟毛二俣王」・「稚渟毛二派王」・「稚沼毛二俣命」などとも表記される。
『日本書紀』『古事記』とも事績の記載はない。
第15代応神天皇の第五皇子。第16代仁徳天皇の弟、第20代安康天皇と第21代雄略天皇の外祖父(母方の祖父)、
さらに第26代継体天皇の高祖父とされる人物である。
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どこかの書き込みに
最近の北朝鮮の若者は稚野毛二派皇子ではなく金日成を神様として崇拝します。おかしすぎではないですか?
と、いうのがある。
つまり、稚野毛二派皇子は北朝鮮の出自であり
それ以後続くのは、朝鮮天皇だといいたいのであろう。
それが、金日成を神様にし始めた。
と、いうのだが、
金日成の出自が、日本人女性を拉致してきて・・といううわさがある。
つまり、
稚野毛二派皇子は北朝鮮の出自ーそれに続くものが、
金家にいたということであろうが、
どこかで、日本人の血統でないものが入り込み
仕方がないので
日本人女性を拉致し、金日成が誕生したのだ。
なので、金日成が神様になった。
と、いうことなのだろう。
それを手繰ってほしかったための
「おかしすぎ」という言葉。
これは、可笑しいではなく、
侵しすぎ・・ではないですか?
と、いう事だと思える。
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だが、実際、継体天皇が
稚野毛二派皇子の血筋であるかどうかは
謎であり・・・
北朝鮮系がはいったと思わせたい「なにか」が
働いていると思える。
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そういうことを、考えていくと
祀り替えも、
伊弉諾王朝や富士宮王朝やウガヤフキアエズ王朝(72代~74代)を
抹消しなければならなかったのも、
その理由がみえてくる気がする。
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まあ、不思議なのは
どうして、
ヘブライ人にしろ
北朝鮮にしろ
「日本」に入り込みたがるのだろう
あるいは
「日本」の血をとりこみたがるのだろう
と、いうことを考える
まだまだ、日本には、隠された真実があるのではないかと思えてくる。
なにかを、奇妙に隠されたとしか思えない「黄泉平坂」の話にしろ
底から、逆に
「浮上」してこない「真実」を手繰れないだろうかという思いも沸く。
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Hokuriku Project『葬られた古代日本史 -天国(日本)皇家4敗戦3国難-』Amazon Kindle(2021年6月23日)の仮説は次の通り。
黄泉比良坂とは、本来は「黄泉平坂」であり、古和語で「平(たいら)にする」ことを「ナラす」と言う通り、黄泉比良坂/黄泉平坂は「ヨモつナラさか」と訓み、奈良盆地を意味した。記紀の伊弉諾・伊弉冉の時代から、黄泉の国であり、常世の国であり、根の国(根は「日本列島原住の縄文人」の意味。根の国で「日本列島原住縄文人のクニ」の意味)である古代出雲の中央交通路である瀬戸内海の東端の「片隅/カタスミ(堅洲/カタス)」にある「黄泉比良坂/黄泉平坂/ヨモつナラさか(現在の奈良盆地)」は、北部九州ヤマト王権にとって墓地に過ぎず、古墳とその祭祀施設および墓守の小部落しか存在しなかった。694年藤原京遷都の詔を号令に北部九州から畿内への「地名を含む王朝丸ごと東遷」が密かに実行され(天武系天皇の御世、673年第40代天武天皇即位〜770年第48代称徳天皇崩御まで約百年間で)、北部九州ヤマト王権は畿内ヤマト王権となった。713年の好字二字令以降、黄泉比良坂/黄泉平坂/ヨモつナラさかを語源・由来に「奈良」と命名された。
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