ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

自分はどんな人間か頭を整理する

2008年09月25日 15時48分14秒 | Weblog
1500グラムの未熟児で生まれ、医者から見離されたほど、あまり良くない状態だったが、それでも当時の看護婦長さんに助けられたと母から聞く。

愛情深い母のおかげですくすくと育ち、小学校に入ると母は家で繊維関係の内職を始める。母の仕事する姿を見ながら遊ぶ。

小学校時代。
勉強と遊びとスポーツに一生懸命。
小学校3年生よりそろばん塾、お習字、生け花など習い事をし、毎日学校から帰ると習い事に行く日々。遊ぶのは休日のみ。じっとしていることはなく、充実している。作文で小学館の雑誌に入選する。

中学校時代。
そこそこ勉強をし、活躍の中心である部活動は陸上。それも短距離ハードルと走り幅跳び。体型から砲丸投げをやらされたが、厳しいコーチに直談判して、やりたい競技を練習することを了承してもらう。県大会や北陸では、まあまあの成績。厳しい指導コーチに承認していただく。中学3年生で部活動成果で華を咲かせたかったが、自主練習の仕方がまずくて怪我をして挫折。寂しい気持ちを読書でまぎらわす。読書の楽しさに目覚める。

高校時代。
勉学とスポーツが盛んな私立高校に入学。入試では落ちたと思ったが、スポーツ成績で入ったのではないかと思うくらい、担任の陸上部コーチは、熱心に入部を誘う。入部か帰宅部かの選択を夏休み明けの実力テストで担任と勝負し、学年で何かの教科がトップ10に入らなければ、陸上部に入部すると約束する。結果は、
英語が8位になって、帰宅部になり、好きな読書三昧の高校生活を送る。自宅の家業が多忙で、毎日手伝う。納期近くなると仮眠しながら働く両親をみて、学校を休んで手伝う日々もある。

高校3年生。受験の目標は、偏差値の高い大学の心理学だが、到底及ばない成績。受験勉強も好きな科目をメインにして、熱心に受験勉強をしない。家業の繊維工場が韓国製品が出回って外部環境が良くない状況となり、両親の疲労度が高く、進路を悶々と悩む。

受験するも全て落ちる。引きこもりながら家業を手伝う3月。
自分で調べて、読売新聞の奨学生制度に応募し、電話である販売所から合格を伝えられる。親の経済状況は厳しく、仕事も多忙で、睡眠不足のため、経営判断、財務判断を誤り、父がサラリーマンローンに手を出して、自転車操業となる。
返済催促の電話におびえる。すると尚更精神的に追い詰められ、判断能力が無くなる。

4月上旬、夜行列車で上野駅に両親と共に上京。翌日、両親は石川県に帰る。
初めてのアパート一人暮らし。新聞販売所では、新聞配達をする奨学生や配達員の方々の賄い担当で、人間観察の勉強をする。

今日はここまで。
ここの人間模様は、一言で語れないが、私にとって温かい思い出が多い。
感謝



最新の画像もっと見る

コメントを投稿