手早く要領良く、母親業ができなかったか、24時間赤ちゃんの世話で過ごす日々は、疲労がなかなか抜けなかった。
子供の世話も良いが、会社での仕事復帰も少しでも良いから始める方向を考えはじめていた。
産後どのくらいで仕事に復帰するかを自分で決められる、経営者という立場だが、社員スタッフや経費の支払いで銀行に行く際、請求書の発行などの作業は最低限自分がしなくてはならない業務だ。誰かに代行してもらうことはできない。
社員である前夫に頼むと、不機嫌になり、聞かないふりをされていたので、そういうことなのだと受け取って、自分の業務をやっていた。
前夫は、私がいないことで、社内のコミュニケーションも余りなくなって、仕事の進行も大変だったと思う。しかし、自分のプログラムやシステム制作は天才的な仕事をするのに、グループをまとめるということは不得意で、コミュニケーション能力の欠如した自分の弱点に直面していたと思う。
それに対して、悩みを私に言うわけではなく、お酒でストレス発散をしていたようだ。
東京から前夫の友人である優秀な技術者を高給で出向してもらい、話し相手と飲み相手になってもらっていたが、夕方6時には、歓楽街に出かけてお酒を毎晩のように飲むので、給料はザル抜けのように酒代に飛んでいった。
夜中の授乳で起きると、別の部屋で酒臭い空気の中で眠っている前夫に対して、何も言えなくなっていた。
さて、会社にも顔を出したい、ということで、保育園探しが始まる。
近くで、生後2ヶ月から受け入れ態勢があるところは、1箇所しかなく、問い合わせる。園長先生の一度連れていらっしゃいという言葉で、面接する。
息子は、小さく生まれ、色も白いことで難色を示し、園長先生は、身体が弱い赤ちゃんは、受け入れられないことを話し始めたが、一緒に面談した乳幼児担当の保育士が息子を抱いてくれて、「大丈夫」というようなことを言ったために、入園が決まった。
その乳幼児担当の保育士には、ずっと感謝の気持ちをもって仲良くさせてもらった。
生後2ヶ月で、お試し保育が始まり、2週間後には、朝9時から夕方5時まで、預かってもらうことになった。
しかし、息子は同時に中耳炎になっており、膿を吸い取る治療を毎日朝夕耳鼻科に通う日々でもあった。
11歳になった息子は元気だが、赤ちゃんの時は、医者に通ってばかりで、保育園に預けた日中に、仕事の合間に身体を休めていた。
保育園に慣れた息子でも、朝、保育士に預けた後は、心が痛いし、夕方お迎えに行くときは、恋人に会いに行くようなワクワク感と喜びでいっぱいだった。
息子は多くの人の手によって成長していた。
1歳くらいには、他の赤ちゃんよりも手先が器用だと保育士によって指摘を受け、保育園でもはさみを使って何かを創ることなど、喜んで創っていた。
今でも何かを創ろうとすると才能を発揮する。
裁縫も得意で、私にペンケースも作ってくれる。
保育士が私にポツンと言った。
「お母さん方は、自分の仕事をプロにして、育児は、私たちがプロとしてサポートするから」
心強い言葉に励まされて、育児と仕事をなんとか両立させようと髪を振り乱して暮らしていた。
さて、息子が3歳の頃、ある新規事業の話が舞い込んできた。
次に語ります。
感謝
子供の世話も良いが、会社での仕事復帰も少しでも良いから始める方向を考えはじめていた。
産後どのくらいで仕事に復帰するかを自分で決められる、経営者という立場だが、社員スタッフや経費の支払いで銀行に行く際、請求書の発行などの作業は最低限自分がしなくてはならない業務だ。誰かに代行してもらうことはできない。
社員である前夫に頼むと、不機嫌になり、聞かないふりをされていたので、そういうことなのだと受け取って、自分の業務をやっていた。
前夫は、私がいないことで、社内のコミュニケーションも余りなくなって、仕事の進行も大変だったと思う。しかし、自分のプログラムやシステム制作は天才的な仕事をするのに、グループをまとめるということは不得意で、コミュニケーション能力の欠如した自分の弱点に直面していたと思う。
それに対して、悩みを私に言うわけではなく、お酒でストレス発散をしていたようだ。
東京から前夫の友人である優秀な技術者を高給で出向してもらい、話し相手と飲み相手になってもらっていたが、夕方6時には、歓楽街に出かけてお酒を毎晩のように飲むので、給料はザル抜けのように酒代に飛んでいった。
夜中の授乳で起きると、別の部屋で酒臭い空気の中で眠っている前夫に対して、何も言えなくなっていた。
さて、会社にも顔を出したい、ということで、保育園探しが始まる。
近くで、生後2ヶ月から受け入れ態勢があるところは、1箇所しかなく、問い合わせる。園長先生の一度連れていらっしゃいという言葉で、面接する。
息子は、小さく生まれ、色も白いことで難色を示し、園長先生は、身体が弱い赤ちゃんは、受け入れられないことを話し始めたが、一緒に面談した乳幼児担当の保育士が息子を抱いてくれて、「大丈夫」というようなことを言ったために、入園が決まった。
その乳幼児担当の保育士には、ずっと感謝の気持ちをもって仲良くさせてもらった。
生後2ヶ月で、お試し保育が始まり、2週間後には、朝9時から夕方5時まで、預かってもらうことになった。
しかし、息子は同時に中耳炎になっており、膿を吸い取る治療を毎日朝夕耳鼻科に通う日々でもあった。
11歳になった息子は元気だが、赤ちゃんの時は、医者に通ってばかりで、保育園に預けた日中に、仕事の合間に身体を休めていた。
保育園に慣れた息子でも、朝、保育士に預けた後は、心が痛いし、夕方お迎えに行くときは、恋人に会いに行くようなワクワク感と喜びでいっぱいだった。
息子は多くの人の手によって成長していた。
1歳くらいには、他の赤ちゃんよりも手先が器用だと保育士によって指摘を受け、保育園でもはさみを使って何かを創ることなど、喜んで創っていた。
今でも何かを創ろうとすると才能を発揮する。
裁縫も得意で、私にペンケースも作ってくれる。
保育士が私にポツンと言った。
「お母さん方は、自分の仕事をプロにして、育児は、私たちがプロとしてサポートするから」
心強い言葉に励まされて、育児と仕事をなんとか両立させようと髪を振り乱して暮らしていた。
さて、息子が3歳の頃、ある新規事業の話が舞い込んできた。
次に語ります。
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