ライターの初期の頃、先輩の励ましをいただいた。
その時の彼女の優しい眼差しが忘れない。
励ましと私にしか描けない世界とタッチを期待してくれていたことを今でも忘れない。
天然のおかしさ、何事も一生懸命なところをほめて面白がってくれていた。
国際結婚しているだんな様ともよく話をさせてもらった。
だんな様も私の言動を不思議そうに見守ってくれていた。
お二人の世界は、互いに依存せず、つかず離れずで、お互いを常に見守っていた。
二人と知りあったのは、英語教材の出版社にいたころで、だんな様は、翻訳、奥様は営業事務をされていた。自分は編集局にいて、表現の世界を学んでいた。
彼女は、詩を書いておられていたが、小説で新人賞を取られたのが、私が初めて事実婚をした年だった。
スポットライトを浴びている先輩の、受賞を祝うパーティになぜか行こうとしなかった。
その後、ゲームシナリオを書いたり、ゲーム企画をしたり、ネットゲームを制作して、今はその世界から離れた。
ただ、表現の世界には戻りたいと思っているが、行動できていない。
先輩が出版社との打ち合わせに1年に1,2回、日本に帰国されている時に、取材された記事を先ほど読んだ。
書こう。
書かないと次の舞台に行けないのか。
すべてに感謝。
その時の彼女の優しい眼差しが忘れない。
励ましと私にしか描けない世界とタッチを期待してくれていたことを今でも忘れない。
天然のおかしさ、何事も一生懸命なところをほめて面白がってくれていた。
国際結婚しているだんな様ともよく話をさせてもらった。
だんな様も私の言動を不思議そうに見守ってくれていた。
お二人の世界は、互いに依存せず、つかず離れずで、お互いを常に見守っていた。
二人と知りあったのは、英語教材の出版社にいたころで、だんな様は、翻訳、奥様は営業事務をされていた。自分は編集局にいて、表現の世界を学んでいた。
彼女は、詩を書いておられていたが、小説で新人賞を取られたのが、私が初めて事実婚をした年だった。
スポットライトを浴びている先輩の、受賞を祝うパーティになぜか行こうとしなかった。
その後、ゲームシナリオを書いたり、ゲーム企画をしたり、ネットゲームを制作して、今はその世界から離れた。
ただ、表現の世界には戻りたいと思っているが、行動できていない。
先輩が出版社との打ち合わせに1年に1,2回、日本に帰国されている時に、取材された記事を先ほど読んだ。
書こう。
書かないと次の舞台に行けないのか。
すべてに感謝。
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