ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

友人の介護

2014年01月11日 17時13分09秒 | Weblog
近所に住む友人とは、6年の飲み付き合い。
子供も同級生で、子供同士男女でも仲が良い。

自分は5年前に自分の両親が認知症で自宅で介護できなくなってすぐにケアマネージャーに助けを求めて、今のグループホームに住むことになった。

友人のお母様は、夫亡き後、友人の家から自転車で15分ほどのアパートで独り暮らしをしていた。友人はパートの仕事をしながら、仕事帰りにはほとんど毎日お母さんのアパートに立ち寄って話し相手と家事を手伝ってきた。

去年、そのお母さんがどこかで転倒した際、腕をけがして入院。
その際、元々不安症の方だったが、病院生活を怖がって退院後、友人を頼る生活をしていた。

友人たちといつもの新年会をする予定をキャンセルするメールが届き、そのお母さんが認知症が強くなって入院されたとのこと。
友人の苦労と疲労を想像する。

認知症は言っても聴く耳が無い。
訳がわからなくなる子供と同じ。
自分の親で前はちゃんと話し合いが出来ていた分、なぜ言うことがわからないのかイライラするし、自分の親がまさかという戸惑いが突然襲う。
悲しいし寂しくなる。
でも受け入れるしかない。

自分の母は甘いものとお餅類が大好きで糖尿病になり、糖尿病がひどくなってから働くことができなくなって、自宅に籠ってしまって運動不足と甘いものを食べる量が増えて、とうとうアルツハイマー型認知症がひどくなった。

そんな母を介護する父も疲労がたまり感情のコントロールができなくなって、手をあげるようになった。
そんな父と母を別々のグループホームに住んでもらって、静かな老後になっている。

父はずっと母にべた惚れで今も昔の母の話をする時は、愛しているなあと思う。
だからこそ、自分にお茶も入れられなくなって話し相手にならなくなった母にイライラしたのだと受け止めている。

自分も含めて誰も死期がわからないのと同様、どんな老後が来るのか想像つかない。
ただ、自分がぴんぴんころりで命をおしまいにできればいいと祈るだけ。

だから今から食べ物に注意し運動をして、なるだけ元気でいられるように準備をするだけ。

友人の心が軽くなるようにと、会う話をするが、今は疲労がひどいなか、親のことをプロの人たちや業者さんに相談するので時間が作れないようだ。

しばらく見守ろう。

今日は静かに過ごすことができて感謝。





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