仕事をしながら車の免許と自動2輪の免許を取った。
オートバイで通勤し、ちょっとした旅をしていたが、1日20時間仕事をする生活が続いて、さすがに心身がおかしくなり始めた。
温かい瀬戸内の洛陽を観たくて、国道1号線を南下し始めようと考えた。
担当プロデューサーに伝え、一人旅でオートバイを走らせる。
郷里の両親には、内緒だ。
オートバイに乗っていることも事後報告しようと考えていた。
一泊目は、愛知県の海岸線沿いの町だった。
二日目は、関西の赤穂の町、3日目は、小豆島、4日目は、広島、というように、瀬戸内を下関方面まで行き、秋吉台の鍾乳洞を観て、萩の町、鳥取を系由して、実家のある石川県に帰省する。
実家の玄関を入って、母が応対に来ると、車の排気ガスで汚れた私が立っていたので、母は驚いて倒れそうになっていた。
オートバイに乗っていること、一人で旅行してきたこと、全てが女性には受け入れられないというようなタイプの母なので、尚更だろう。
非難の言葉を少し浴びながら、2日間ほど身体を休めて、東京の自分のアパートに帰るように東名高速に乗った。
全部で10日間ほどの休暇だったが、十分リフレッシュできた。
自分が自由にコースを決めて、スケジュールも食べるものも、何もかも自分で決定し、進むという行為に、喜びを得ていた。
そして、その後も、制作の仕事をしながら、毎年、夏休みと祭日をあわせて、10日間の冒険のソロツーリング旅を続けていった。毎年、地域を区切ってまわって、
日本全国を一周終えたのは、5年後だった。
この旅によって、日本の国々をある程度知ることができたこと、自分の言葉で語れること、自分が1つのことを達成できたことが大きな自信となった。
四国、九州、北海道など陸を離れている地域は、フェリーで上陸し、合計1週間で周り、いつも石川県の実家に2泊して東京のアパートに帰宅するようなスケジュールだった。1日10時間ほどオートバイに座る日々を1週間続けるのが、限界だった。それは、お尻が痛い点、お金を宿泊とガソリン代と食費で予算1万円内にとどめること、全部で10日間が有給と夏休みをあわせての最大の時間構成だった。
この夢のソロツーリングを達成できたのは、仕事仲間の援助があり、いつ事故にあっても後継を頼める状況にあったこと、両親が見守ってくれたおかげだ。
ありがたい。
感謝
オートバイで通勤し、ちょっとした旅をしていたが、1日20時間仕事をする生活が続いて、さすがに心身がおかしくなり始めた。
温かい瀬戸内の洛陽を観たくて、国道1号線を南下し始めようと考えた。
担当プロデューサーに伝え、一人旅でオートバイを走らせる。
郷里の両親には、内緒だ。
オートバイに乗っていることも事後報告しようと考えていた。
一泊目は、愛知県の海岸線沿いの町だった。
二日目は、関西の赤穂の町、3日目は、小豆島、4日目は、広島、というように、瀬戸内を下関方面まで行き、秋吉台の鍾乳洞を観て、萩の町、鳥取を系由して、実家のある石川県に帰省する。
実家の玄関を入って、母が応対に来ると、車の排気ガスで汚れた私が立っていたので、母は驚いて倒れそうになっていた。
オートバイに乗っていること、一人で旅行してきたこと、全てが女性には受け入れられないというようなタイプの母なので、尚更だろう。
非難の言葉を少し浴びながら、2日間ほど身体を休めて、東京の自分のアパートに帰るように東名高速に乗った。
全部で10日間ほどの休暇だったが、十分リフレッシュできた。
自分が自由にコースを決めて、スケジュールも食べるものも、何もかも自分で決定し、進むという行為に、喜びを得ていた。
そして、その後も、制作の仕事をしながら、毎年、夏休みと祭日をあわせて、10日間の冒険のソロツーリング旅を続けていった。毎年、地域を区切ってまわって、
日本全国を一周終えたのは、5年後だった。
この旅によって、日本の国々をある程度知ることができたこと、自分の言葉で語れること、自分が1つのことを達成できたことが大きな自信となった。
四国、九州、北海道など陸を離れている地域は、フェリーで上陸し、合計1週間で周り、いつも石川県の実家に2泊して東京のアパートに帰宅するようなスケジュールだった。1日10時間ほどオートバイに座る日々を1週間続けるのが、限界だった。それは、お尻が痛い点、お金を宿泊とガソリン代と食費で予算1万円内にとどめること、全部で10日間が有給と夏休みをあわせての最大の時間構成だった。
この夢のソロツーリングを達成できたのは、仕事仲間の援助があり、いつ事故にあっても後継を頼める状況にあったこと、両親が見守ってくれたおかげだ。
ありがたい。
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