うらやましいと思ったり、ねたんだりするのは開運をそぐことだとよく言われています。
実際そういう事例も多いのですが、私など割とそういうタイプですが、
困ったことにもならないのでなぜかなと思っていました。
私は人の不幸を願うことがないのでそのせいかとも思ったのですが…
一方で、私は何億年の生命の歴史の中でどんなものも効率化されていると思っていて、
感情はそのもっとも大切なものだと思っています。
そして非常に強い感情である「うらやましい」や「ねたましい」は、本当は人類に必要な感情であると思うに至り、良く見てみますと、
この感情を確かに自分の運をそぐように使っている人がとても多いのです。
とても簡単に言えば、妬ましいも羨ましいも、要は「ああなりたいと願っている姿を具現化してる人」と言えます。
つまり、単にその部分について「そうありたい」わけです。
なので、ぜひ、妬ましいと感じるその人を真似てみてください。
妬ましいと思うときに、往々にして「自分が努力しないであの座に取って代わりたい」と思うものですが(たぶん)、それではたとえあなたの願いが叶ってその人が失脚したとしても別の人が取って代わるだけです。
泥棒をとらえて縄をなうのではいけません。
泥棒をとらえたいのなら、捕らえた人を模倣して、いつ来る泥棒にもバッチリ対応できるセキュリティ体制を作らなくてはいけないのです。
もっともよい方法が、二度書きますが(笑)、妬ましいと思う人を模倣することです。
モデルにして、可能ならばメンターになってもらうことです。
意外と相手は喜んでメンターになってくれるかもしれません(割とそういうものです)。
いま、もやもやと羨ましい妬ましいと感じている人は、あなたを憧れの世界に導いてくれる人かもしれませんよ!
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