こないだのブログに載せた「シンプルクッキング」だけどさ、今でも中古で売ってんのね。
レビューの中には、材料が手に入らなくて作れないーーー的な意見もあったみたいだけど、私はあまし気にならないかなぁ・・・
実際、このジェイミー・オリバーの料理本で作ってみたのは一つもないよ。
でも、好きで何冊か持ってる。見るだけでも楽しいから、十分満足してるけど。
料理本って二通りの楽しみ方があって、一つは見て料理を作る。もう一つは見て想像を膨らませる。
実際に使えるレシピが無くても愛読書になってるのは多くて、それはそれで大好き。
・・・・というか、たとえ使えるレシピが多くても、味もそっけもない実用本よりかは、そっちの方がずっと好き。
よくあるやん。主婦雑誌の付録とか、それに毛が生えたような「100円おかず」的なやつとか。
そんなんよりか、なんていうかなぁ。。。言ってみれば、使えるレシピはなくても夢が膨らむ料理本。
「シンプルクッキング」も私にとってはその一つだけど、お腹でなく心を満たす料理本ってゆうんですかね?
新年号が売れるのは付録の家計簿目当てとか・・・
子どものころからそんなのが大好き。
マザー・グースから始まって、赤毛のアン、不思議の国のアリス・・・そこに出てくる料理に、どんだけ心ときめかせたか。
実際には見たこともないけど、いかにもおいしそうで、これはどんな料理なんだろう、お菓子なんだろうって・・・
さまざまに想像を巡らせていた。そう。その中でもよ。今でも覚えてるんやけど、
「りんごのおまんじゅう」。
・・・な?これってわかる人いる??
「りんごのおまんじゅう」とはなんぞや???これはマザー・グースに出てきてた。
たぶん直訳すれば、apple dumpling。実物は見たことないけど、今ならわかる。
ダンプリングていうのは小麦粉なんかでこしらえたお団子で、向こうではおやつや付け合わせ、汁物の具にしたりする。
どうってことのない、素朴な庶民のお手軽料理なんだけど。
当時、昭和40年代のニッポンの田舎の子どもだった私にとって、この「りんごのおまんじゅう」は強烈であった。
いったいどんなお菓子なんだろう。。。気になってしょうがないけど、まるで想像もつかなかった。
「おまんじゅう」といえば、温泉まんじゅうとか紅白まんじゅうとか・・・
とにかくあんこが入った薄皮のアレしか思い浮かばないのでアルよ。
だって肉まんとかカレーまんとか、ああいう中華まんじゅうさえ出てなかった頃やで。
それに今ならば、イチゴ大福とかいってさ。果物と和菓子のコラボレーションも見られるようになったが、当時では望むべくもない。
今の子どもの方が、もしかしたら「りんごのおまんじゅう」。な?想像もつきやすいかもしれん。
いや、そもそもよ。今だったら、apple dumplingに、この訳はつけないであろう。
あまりにも「おまんじゅう」の語感が実物にそぐわなすぎるし、今の小さい子なら、「おまんじゅうってなに?」って・・・(笑)
まんじゅう自体の存在を知らない。そういう可能性だってある。40年の時を経て、日本人の食べ物も変わったのでアールよ。
実際のapple dumpling。見せられてもねぇ。夢が壊れる・・・
この訳って北原白秋さんやったのかな。え?谷川俊太郎?
・・・どっちにしても、あのマザー・グースを子ども向けに訳すのも、ナカナカ骨の折れる作業やったんやろなぁ。
そもそもが、こっちには存在しない料理を、こっちの言葉に置き換える方に無理があるのだ。
だけどその分、昭和40年代の子どもだった私は、うんと想像の翼を広げられた。
育ち盛りでいつもお腹をすかせていたけれど、お腹に詰め込むだけでなく、目で、頭で、食べ物を存分に楽しんだ。
今でも確信している。私の半分は、実際に食べたもの、もう半分は食べ物の夢で出来てる。
「これはどんな料理なんだろう・・・」想像を膨らませるのが大好き。
だから外国料理もさることながら、昔の料理のレシピも好き。古い「暮らしの手帖」とか、中原淳一の雑誌とか。
実際に使えるか使えないかはさておき、料理のレシピをワクワクしながら読んじゃうのだ。
旧仮名使いだったりすると、さらにワクワク度はアップ。料理の想像は果てしなく膨らんで・・・
今現在、ネットではレシピサイトが花盛りよね~~5年ぶりに料理をするようになって、それもびっくりしたことの一つ。
便利ではあるけど、あまりの実用本位の一点張りに、味気なく感じることも。
どんな世の中になっても、心を満たす料理の本は、ずっと大事にしていきたい。。。
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