清洲城天守遠景 清洲天守
清洲城碑前 天守前
信長公敦盛舞 古城碑
清洲城碑前 信長公碑
本丸跡信長像 信長公像
*清洲城・美濃街道!
住所=清洲市古城479-1(ふるさとのやかた)
*清洲城は、織田信長の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ、
天下平定を目指す武将が重要拠点していた「清洲城」。
平成元年(1989)に現在の場所に「清洲城天主閣」として再建整備されました。
*美濃街道は、熱田宿(宮の宿)で東海道か分岐し、
名古屋・清洲・稲葉・萩原・起宿を経て、木曽川(起こしの渡し)、
境川(岐阜県小熊の渡し)、長良川を渡り更に、墨俣宿を経て、
揖斐川(佐渡の渡し)を船で通過し、大垣宿から垂井宿に至っ中山道に
合流するまでの、十四里二十四町十五間(五十七,五キロ)里程であった。
街道には十三ヵ所の一里塚を設けて、里程を明らかにし、宿場と宿場との間には、
休憩所として十二ヶ所の立場が置かれており、通行には二日間を要した。
*慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの時、東軍の先鋒を務めた「福島正則」は、
出陣にさいして、清洲城から美濃街道(美濃路)を西進している。
また、この合戦において勝利を手にした「徳川家康」が凱旋にあたり、
美濃街道(美濃路)を通ったため、美濃街道は「吉例街道」とも呼ばれた。
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