*長谷院(ちょうこくいん)!*多宝塔(二重塔)!
*住所=清須市桃栄3-80
*長谷院山門!
*山門仁王像!(阿像)
*山門仁王像!(吽像)
*多宝塔(二重塔)!
*多宝塔(二重塔)& 神明社!
*名古屋商人「杉屋佐助」碑!
*堀江山 長谷院(ちょうこくいん)! *説明板!
「堀江の観音さん」と親しまれるこの寺は、14世紀頃、
奈良・長谷寺の本尊十一面観音への熱烈な信仰から、
この地に生まれた真言宗「新長谷寺」が始まり。
奈良・長谷寺本尊と同木同作という十一面観音を本尊とする。
*天正12年(1584)小牧・長久手の兵火で堂を失ったが、
消失を免れた本尊は、清須越により名古屋南寺町に、
移転していた浄土・宗阿弥陀寺の一角に、慶長18年(1613)に移された。
そのため浄土宗に改宗し圓宗院と称した。
承応3年(1738)寺名は堀江山長谷院に戻ったが、
元文3年(1738)の大火で、本寺の阿弥陀寺もろとも消失。
この時も本尊は無事であった。
2度の大火をくぐり抜けた十一面観音への人々の信仰は、
尾張三十三観音霊所二番霊所として高まってゆく。
一方、ここ西堀江の人々の熱い願いから、
天保3年(1832)にこの地に戻る事になった。
尾張藩主の名古屋御下屋敷にあった、仁王門、多宝塔、明王堂などが寄付され、
名古屋の商人「杉屋佐助」らの協力で寺観が整えられていった。
*美濃路から分かれた津島街道が境内を通り、名古屋からの観音巡り、
甚目寺・津島への参詣で人を迎え、「尾張名所図会」はその賑わいを描いている。
*その後、震災、空襲、火災等を経ながら、本尊と多宝塔は当初のまま残り、
他の建物もほぼ復旧し、深々とした森の中に、静かな佇まいを残している。
境内には多くの石造物がみられる。
*美濃路まちづくり推進協議会!
*説明板より!