*平成元年(1989)*清須城天守再建!
*尾張の首府が甦る! *歴史織りなす清須のお城!
住所=清須市朝日城屋敷1-1
*室町時代応永12年(1405)、尾張国の守護職であった「斯波義重」が、
守護所であった「下津(おりづ)城(稲沢市下津・おりづ)」の別邸として
建てられたのが「清須城」の始まりと言われています。
*文明8年(1476)戦乱により「下津(おりづ)城」が焼失したの後の、
文明10年(1478)守護所が「清州」に移転することで、
「清須」が尾張国の中心地となる。
京や鎌倉の連絡する往還と伊勢街道合流する交通の要衝であり、
尾張の政治・経済・司法の中心地として繁栄を迎えます。
*弘治元年(1555)に「織田信長公」が「那古野(なごや)城」から入城。
尾張を統一掌握したころの「清須城」の基本構造は、
守護の館と同じだったと考えられます。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した「信長公」は、
ここ「清須」から天下統一への第一歩をふみ出した。
駐車場側入口 天正後期天守台跡案内板
天正後期天守台跡 天守台入口
織田信長公碑 信長公碑
天守台跡説明板
*前期清州城!(現在の五条川左岸側)
*天正大地震(天正13年11月29日)
天正大地震の液状化!(清須城周辺)
天正14年(1586)木曽川大洪水により水路変わる!
*天正14年(1586)天正!・織田信雄(のぶかつ)入城!
*後期清須城!(現在の五条川右岸側)
*清州城主となった信長公の次男「信雄のぶかつ」によつて、
高石垣と天守をもつ近世的な城と三重の堀を構えた大城郭へと
生まれ変わりました。
*(五条川右岸より信雄時代の瓦出土する)
後期清州城説明板
石垣発堀!(復元石垣)
石垣発堀説明板①
石垣発堀説明板②
本丸跡・信長公・濃姫銅像!
*織田信長公は、この姿にて桶狭間に出陣したと言われています。
本丸跡・織田信長公像(清須公園内)
本丸跡・織田信長公像
*清須城から桶狭間の戦いに出陣する姿!
*視線は桶狭間を向き、首に数珠は、味方を大いに勇気づけたと言われています。
清須公園内説明板
清州公園内説明板