大手門前碑 大手門
西南隅櫓&天守 本丸御殿復元
本丸御殿表書院 表書院
御殿対面所 対面所
障壁画・重要文化財
障壁画・重要文化財
名古屋城天守!
*慶長15年(1610)名古屋城築城にあたって「徳川家康」は、「加藤清正・
福島正則」ら、西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。
これを天下普請と言います。天守や櫓の作業(建築工事)は「小堀遠州・
中井正清」らに命じられ、慶長17年(1612)にほぼ完成しました。
尾張初代藩主として「徳川家康」九男の、「徳川義直」が入り、以後「名古屋城」
は、御三家筆頭尾張家の居城として栄えました。
*明治維新後も「名古屋離宮」としてその美しいたたずまいを誇った。
「名古屋城」は昭和五年(1930)城郭建築における初めての、
「国宝」に指定されましたが、昭和20年(1945)の名古屋空襲によって、
「天守・本丸御殿」のほとんどを焼失しました。 しかし、名古屋のシンボルと
して天守の再建を望む市民の、声は日に日に高まり、
昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。
*名古屋城「本丸御殿」は、文献や古写真、実側図、障壁画など多数の、
豊富な資料が残されており、史実に忠実な復元が可能であるため、
平成21年(2009)に復元工事に着手しました。
全体の公開は平成30年(2018)を目指しています。
*名古屋城案内パンフレット! より!
金シャチ実物大 金シャチ・レプリカ
清正石 清正石説明板
天守石垣刻印名・(北東角石)・「加藤肥後守」
*石垣工事は天下普請として、西国・北国などの「豊臣系大名」二十名に割り当て
られたため石に担当武将の目印が刻まれ天守の石垣は「加藤清正」の担当であり、
「加藤肥後守」などの文字が彫られている。
加藤肥後守説明板 天守石垣
天守石垣強度調査中
(名古屋城天守炎上)
(名古屋空襲・昭和20年5月14日)