美濃路 高木一里塚
一里塚跡 一里塚説明板
高木一里塚碑
*高木一里塚跡! *美濃街道!
*住所=一宮市萩原町高木字中道58
*高木一里塚は、江戸時代に東海道と中山道を結ぶ「美濃路・美濃街道」に、
架けられた十三ヶ所の一里塚の内の一つです。
慶長九年(1604)に、江戸幕府は、江戸日本橋を拠点とし、
一里(約4キロ)ごとに一里塚の設置を命じました。
その後、一里塚は、全国に普及し旅人たちの旅や運賃の目安なると共に、
「榎」や「松」等の大木が植えられ、その木陰では旅人が休息をとることもできました。
高木一里塚にも、明治初年頃まで街道の両側に塚が設けられ、
その上の「榎」が植えられていたと伝わっています。
一宮市内には、高木一里塚の他、「岐阜街道」の「一宮一里塚」
「美濃路・美濃街道」の「富田一里塚」が設けられました。
明治時代になると各地の一里塚は徐々に姿を消し、
高木一里塚も昭和三十七年(1962)に設立された記念碑を残すのみとなった。
(一宮市教育委員会説明板より)
*追記!
*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!