聖徳寺跡 跡公園
跡地 碑
跡説明碑 説明板
*聖徳寺跡!
*住所=一宮市富田大堀字414
*聖徳寺は、はじめ尾張国葉栗郡(のち美濃国葉栗郡)大浦郷(岐阜県羽島市)にあり、
洪水や戦火で移転を繰り返したと言います。
寺伝などによると、のち尾張国中島郡苅安賀(一宮市)へ、再び大浦に戻り、
その後ここ中島郡富田へ移りました。
聖徳寺は、戦国時代の永正年間(1504~1521)にこの地に移ったと言います。
天文年間(1523~1555・天文18年と21年と22年の3説)に、
尾張の「織田信長」と美濃の「斉藤道三」が会見した寺として知られています。
道三は、信長に娘の帰蝶(きちょう・濃姫)を嫁がせせており、
信長が(大うつけ)かを確かめるために会見を申し入れました。
信長は、うわさ通りの「うつけ者」の姿で聖徳寺に現れましたが、
正装に改めて会見に臨みました。道三はこの会見で信長の力量を知り、
ふたりの同盟は確かなものになりました。
信長にとって、歴史の表舞台へ出るきっかけとなった大きな出来事だったと言えます。
また、後年には「豊臣秀吉」の「加賀野井城」や「竹鼻城攻め」の本陣にもなりました。
その後、美濃国葉栗郡三屋(岐阜県笠松町)、尾張国春日井郡清須(清須市)を、
転々とし、更に名古屋の東寺町(のち東門前町)から松本町(のち富沢町・中区錦)へと、
移転し、現在は守山区白山の七宝山・聖徳寺と、天白区八事山の八事山・聖徳寺の、
2ヶ所に分かれています。
*追記!
*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!
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