日記 激流
激流は、信仰によって渡りきれる。
とある。
その通りだと思う。
でも世の中、信仰心が全くないと自負されるかたでも、世間の激流に溺れることなく、揉まれながらも向こう岸に辿り着くかたも見受けます。
つまり、神さまなんていやしない。
神さまいるなら、どうして戦争なんか起きるの?どうして殺人なんか出来んの?
という思想。
なので信仰心も、ごもっともでその通りなんではあるけれど、
私の場合は、やっぱコレかな。
激流は、神我と共に渡り切れる。
ってのも、シックリくる。
神我とは、各自の良心という意味。
同行二人。
自灯明。
結局、人生ってのは、
神我と折り合いをつけてナンボなんでしょうかね。
折り合いというのはちょっと横柄な言い回しかな。
神我に好かれてナンボ。
神我をより輝かせてナンボ。
神我と歩んで…
まあ、そんな感じでしょうか。(笑)
止むを得ず被害を被ったとしても、自らの良心(時代に見合う常識)に寄り添った結果ならば、不本意ではあるけれど、止むを得ず受け流しましょうか…
ってことになるんでしょうか。
こんなこと考えること自体、
まだまだ自我の塊だわ。
激流は、信仰によって渡りきれる。
とある。
その通りだと思う。
でも世の中、信仰心が全くないと自負されるかたでも、世間の激流に溺れることなく、揉まれながらも向こう岸に辿り着くかたも見受けます。
つまり、神さまなんていやしない。
神さまいるなら、どうして戦争なんか起きるの?どうして殺人なんか出来んの?
という思想。
なので信仰心も、ごもっともでその通りなんではあるけれど、
私の場合は、やっぱコレかな。
激流は、神我と共に渡り切れる。
ってのも、シックリくる。
神我とは、各自の良心という意味。
同行二人。
自灯明。
結局、人生ってのは、
神我と折り合いをつけてナンボなんでしょうかね。
折り合いというのはちょっと横柄な言い回しかな。
神我に好かれてナンボ。
神我をより輝かせてナンボ。
神我と歩んで…
まあ、そんな感じでしょうか。(笑)
止むを得ず被害を被ったとしても、自らの良心(時代に見合う常識)に寄り添った結果ならば、不本意ではあるけれど、止むを得ず受け流しましょうか…
ってことになるんでしょうか。
こんなこと考えること自体、
まだまだ自我の塊だわ。