あの全ての音がかき消されてしまうセミの一斉シャワーも
最近はさすがに聞こえなくなってきた。
未だ丘陵地帯に近いところでは時々聞こえてくるが、
世界の音を塗りこめるような迫力はなくなってきた。
夏の間は煩くて少々うんざりしていたが、
聞こえ無くなれば無くなったで
ほっとする反面、ちょぴり寂しい気もするから
人間って現金なものだ、とつくづく思う。
先日、運動不足を補おうと、
最寄り駅の一つ手前の駅で降りて歩き始めた。
駅前を過ぎてしばらく歩くと広大な新興の団地群に行き当たる。
歩道が広く整備された中央の道を歩いていると、
あの懐かしい一斉シャワーのような泣き声が聞こえてきた。
おや、今時セミが。。。? と思ったが、
いや一寸違う!
声は交差点近くに道路を挟んで植えられた2本の木から聞こえてくる。
よく聴いてみると明らかにセミの声とは違う。
何のことはない。
雀が群がり、一斉に囀っているのである。
しかも2本の木から、まるでサウンドスピーカーのような大音量である。
不思議といえば不思議な光景ではあるが、
何だか皆で情報交換(井戸端会議か?)をしているみたいだ。
「ねえねえ、みんな!
2丁目の公園は結構美味しいものが多いよ!
子供たちや女たちが色々置いていくんだ!」
「へえ、そうかい!」
「あの高層のゴミ置き場も愉しいよ!
結構拾い物があるぜ」
「ほんとだね。ワタシも時々おこぼれに預かってるよ。」
「それにさ。。。」
「。。。。」
とにかくやかましい。
「それにしても人間ってやつは、贅沢にできてるな。
まだ残っている食べ物だって平気で捨てるし、
もっと大事にできないものかね。」
「まあ、わし達もお陰様で食い物に困らないがね。」
とまあこんな具合だ。
どおりでこんな整備された郊外団地のど真ん中に雀が群がっている訳だ。
何だか妙な気分で通り過ぎた、つい先日の一こまでした。
飽食の 行き着くさきは 放食か???
最近はさすがに聞こえなくなってきた。
未だ丘陵地帯に近いところでは時々聞こえてくるが、
世界の音を塗りこめるような迫力はなくなってきた。
夏の間は煩くて少々うんざりしていたが、
聞こえ無くなれば無くなったで
ほっとする反面、ちょぴり寂しい気もするから
人間って現金なものだ、とつくづく思う。
先日、運動不足を補おうと、
最寄り駅の一つ手前の駅で降りて歩き始めた。
駅前を過ぎてしばらく歩くと広大な新興の団地群に行き当たる。
歩道が広く整備された中央の道を歩いていると、
あの懐かしい一斉シャワーのような泣き声が聞こえてきた。
おや、今時セミが。。。? と思ったが、
いや一寸違う!
声は交差点近くに道路を挟んで植えられた2本の木から聞こえてくる。
よく聴いてみると明らかにセミの声とは違う。
何のことはない。
雀が群がり、一斉に囀っているのである。
しかも2本の木から、まるでサウンドスピーカーのような大音量である。
不思議といえば不思議な光景ではあるが、
何だか皆で情報交換(井戸端会議か?)をしているみたいだ。
「ねえねえ、みんな!
2丁目の公園は結構美味しいものが多いよ!
子供たちや女たちが色々置いていくんだ!」
「へえ、そうかい!」
「あの高層のゴミ置き場も愉しいよ!
結構拾い物があるぜ」
「ほんとだね。ワタシも時々おこぼれに預かってるよ。」
「それにさ。。。」
「。。。。」
とにかくやかましい。
「それにしても人間ってやつは、贅沢にできてるな。
まだ残っている食べ物だって平気で捨てるし、
もっと大事にできないものかね。」
「まあ、わし達もお陰様で食い物に困らないがね。」
とまあこんな具合だ。
どおりでこんな整備された郊外団地のど真ん中に雀が群がっている訳だ。
何だか妙な気分で通り過ぎた、つい先日の一こまでした。
飽食の 行き着くさきは 放食か???
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます