自由人?

自分なりの自由な生き方を模索できているだろうか?

テレビは凶器か?

2018年07月22日 | Weblog
長らく遠のいていたが、久しぶりに筆をとる、いやキーボードをたたくことにした。


最近のテレビは面白くない。
いや、それどころか、ある種凶器と化している。

少々大げさではあるが・・・。
ともかく怖い存在だ。


以前、別の観点で書いたことはあるが、
例の聴覚障碍者向けの文字帯だ。

NHKだけでなく主にニュース番組中心に民放でも盛んに流している。
が、これが厄介だ!

実は小生最近声や音が正確にとらえられないことが増えてきた。
最初は年の所為かと半ば納得していたが、どうもそうではなさそうだ。

自ら状況を冷静に観察してみると、はっきり聞き取れる時とそうでない時がある。
後者の明瞭に聞き取れない時はどうも文字帯が出る時に限られているようだ。

このサービスが始まる前は、画面を目で追いながらも、耳は聞き取ることに集中できた。
所が今はどうだ。

画面の中央やら、下部やらお構いなしに文字帯が現れる。
説明用の文字と重なることも稀にある。
いやはや煩わしい限りだが、これが難物だ。

画面は余り変化しないし、ゆっくりと変化するのでぼんやり眺めている。
ついつい文字帯に目が行ってしまう。

しかも好む、好まざるにかかわらず、文字を追いかけてしまうので、
聴覚がおろそかになる。
音声と文字帯が同時なら問題ないと思うが、これが甚だしくずれているのが悩ましい。

聴覚がおろそかになる所以だ。

このような状況に至った昨今でも、
文字帯が出ない時は明瞭に聞き取れるのだから、これはもう間違いない。

文字帯は一方で有力な武器(難聴者にとっては)となるが、
他方では健常者を不明瞭な聞き取りしかできない人間に追い込む凶器となっている、
といっても過言ではなかろう。

難聴者の為のサービスが、難聴者を生み出す結果になっては話にもならない。

テレビも、サービスも一歩使い方を誤るととんでもないことになる。
サービスの実施や利用にあたってはよくよく吟味されることを望む。













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