こんにちは。
MBSR(マインドフルネスストレス低減法)認定講師(IMA/ドイツ , IMCJ/日本)、ヒューマンスキル研修講師のマグノリアです。
マインドフルネスやコミュニケーションについて、ブログに綴っています。
先日、都内でタクシーに乗車したときのこと。
住宅街の細い路地を走っていて、キックスケーターに乗った6歳くらいの女の子が飛び出してきました💦
もちろんキュッとブレーキをかけ難を逃れたわけですが、その際ドライバーが咄嗟に発した言葉のイントネーションを耳にして
『もしかして?』
と思いました。
運転手さんは、もしかして東北のご出身?
そう聞くと”津軽だよ”と答えが返ってきました。
毎年、津軽地方で研修を行っているので、とても耳に馴染んでいます。
同じ青森でも津軽弁と南部弁は全く異なるようで、それぞれに”自分のところの言葉が最高!”とプライドがおあり。
研修の中では、ロールプレイングを行っていただくことがあります。
場面設定をして、相応の対話シーンを演じていただくのです。
私は講師として、いわゆる共通語(東京の山の手弁)を使ってお話をし、こんな表現がありますよね、などと例示します(これも共通語で)。
ご受講者も講師の私に向けて話すときは共通語を使ってくださいます。
少し”改まった”感じ。
それが受講者同士のロールプレイングになると、一気に盛り上がります!
和やかだったり
笑いに溢れたり
しんみりしたり
土地の言葉で、自分たちが日常的に使っている言い回しで語ると、感情が伴った、心のこもった対話になるのがハッキリします。
(場合によっては『通訳』してもらうことも🤭)
研修講師として、接客接遇としての対話モデル表現をお伝えしますが、土地土地の言葉を活かしてアレンジしていただけると嬉しくワクワクします。
NHKのラジオ講座で7月からスタートする
『こころをよむ 方言と日本のこころ』
という番組教本を書店で見かけて購入しました。
週末の朝、第二放送で放送中(1回目の再放送が7/8にあります)。
日本社会の中での方言の位置づけの変化を学ぶ内容ですが、大変興味深いです。
8月末に放送予定のものに印象的なエピソードがありました。
東日本大震災の被災者の言葉が紹介されています。
『よく”がんばろう宮城”といったスローガンを目にする。自分は家族やたくさんの友人を失っているせいか、共通語の”がんばろう”をみると、ときどき腹が立つ。何ががんばろうだ、これ以上何をがんばれと言うんだ、と思う。でも、”がんばっぺし宮城”とか”まげねぞ宮城”と方言で書いてあると、んだんだ、まげねえ!と思う(少し編集してます)』
『共通語は実用に富む。
しかし方言は心理的な存在であり、相手との一体感を作り上げる』
と綴られています。
最近は地方に行っても方言を使わず、なめらかな共通語で話す方が増えています。
自分の祖父母の言葉が良くわからない!という若い世代もあると聞きます(紹介の講座でも同じことが出てきます)。
土地言葉が消滅しつつある現実。
面白い、ほっこりする、癒やされる
だけではない、コミュニティ形成に関わる問題なのだと危機感を感じます。
今日もお読みいただきありがとうございました。
たしかに方言の方が相手との距離感が縮まるのは、たしかですね。私が若い頃は「方言はかっこ悪い」とか「標準語を使わないと田舎者」という風潮があって、それが定着してしまったように感じます。
土曜日ラジオ聴いてみます。
いつもコメントをありがとうございます。
私の親族に東北住みの者がいて、東北の言葉には親しみがあります。
どこか長閑なのんびりした印象がありますが、反面、率直な物言いに驚く事もありますね。
テキストの中でも触れられていましたが、『方言は普段着の言葉』として気取らず気負わず、本音もサラリと言えるのかもしれません。(テキスト著者は普段着というよりも…と別な表現をしていました)
だからこそ、の『そうだ、そうだ!一緒にがんばっぺし!』なんですねぇ。
マグノリア