家族お揃いで毎日使っていたご飯茶碗。
食器棚から取り出そうとした時に手が滑り、落としてしまいました。
そして真っ二つ。
不思議なものですが、ほんの一瞬のはずなのに
『あっ!いけない!!』という意識や
キュッと全身の筋肉が収縮する感覚や
手から離れて床に至るまでのお茶碗の動線を
まざまざと感じ取っていました。
時間の流れがゆっくりになった感じです。
息子がまだ7歳くらいだった頃、自転車に乗っていて横から来た車と接触してしまったことがあります。
私はそれを後ろから見ていたのですが、超スローモーション映像を見ているように、時間の流れ方が変わった体験をしました。
それほどの体験ではなかったけれど、ゆっくり落ちてゆくお茶碗を眺める体験。
トップアスリートが
『ゾーンに入った』
と言うときと似ているのかもしれませんね。
超集中状態!
(車のスピードが出ていなかったので、息子は軽く身体を打った程度で大丈夫でした😰
本人は自分の自転車運転を猛反省する機会になりましたが、私はもう生きた心地がしませんでした💦)
さて。
お茶碗が割れてしまったことで湧き上がってきた事。
せっかくお揃いで買ったのにな
出張の帰り、重い荷物を頑張って持ち帰ったのに
もう同じお茶碗を買い直せないのに
そんな考え。
ガッカリ
寂しさ
落ち込み
そんな感情。
もう少し考えや感情を眺めてみると
『随分きれいに真っ二つに割れたものだなぁ』
『怪我をしなくてよかった』
『意識していなかったけれど、私はこのお茶碗を気に入っていたんだなぁ』
という思考も出てきました。
手に入れたものはずっと自分の手元にあるはず!という期待?思い込み?があるね、と改めて気づきました。
般若心経
この世にある全ての存在を構成する5つの要素は、実体を持たない『空』なんだよ、という真言。
『ある』と思っているものは『無い』。
そして『無い』ということが『ある』。
形があるものは全て実体がなく、実体がないというのも一つの形。
割れたお茶碗を前に、いろいろな事を考えました。
今日も読んでくださってありがとうございます。