雲・・・

I love being free, it's the best way to be.
・・・思うままに

KAYOのブログ


秋田を愛し、竿燈祭りを愛し、サッカーが好きで、男鹿の海が好き。
そしてお酒をこよなく愛するkayoのブログでっす^^

卒業式…第一章

2011年10月17日 21時59分55秒 | 『居酒屋 加代』 時代
確か…

昭和63年の3月3日か4日だったと思う。

kayoは高校の卒業式でした。

ろくでもない高校生活ではあったけど…

酒・ギャンブル・バイト・ディスコ・お○んなのこ?…と

昭和のバブルの楽しみ、
たくさん経験した高校時代

欠課補充も終え
(休みすぎた

そのわりには4月からの就職先も決まり
バブルですよね…

そんな高校生活…無事に?
卒業を迎えたのでした。

退屈ないろんなお話しも終わり卒業証書も受け取り

そして卒業式が終わった。

小中学の義務教育を終え
そして高校の3年間

とにかく働きたかったkayoは
学校と言う窮屈な場の12年間、
すごくやり遂げた感があったものでした。
(勉強はなんもしてないけど

その後はすぐに秋田駅前にあった
いつも仲間が集ってた喫茶店カザビアンカに直行。

秋田駅前では当時付き合ってたその時の彼女に偶然会って
受け取ったばかりの卒業アルバムを貸したのを覚えている。
(当時は携帯なんかなかったから会うのも偶然だった)

そして『カザビアンカ』へ

ドアを開けるといつもの鈴の音

カランカラン♪

みんなで集まって…

卒業の祝福でした。

そしてその後はいったん家に帰り

最後の日の学ラン脱いで私服に着替える

向かった先は…

秋田は有楽町ってとこにある

○うろうの瀧でした。(有名

家が近かったからさ
歩いて向かったんでした。

3月とは言え
すごく寒く外は大雪で吹雪いてました

でも飲む楽しみで足取りは軽く♪

その頃って
実は高校生でも居酒屋予約できたんです

そんなおいらたち
喫茶店仲間、15人ほどで予約しててさ

もう~
飲みまくりモード全開でした

7時に宴会スタート時乾杯

まわりも別の各高校の卒業式の打ち上げ飲み会ばかりでした。

今思えば
異常な時代だったです

近くには『北の祭り』『むらさき』『樽八』等々…

懐かし~って人も多いと思います

そのころは

川反は大人の街。
有楽町は若者の街って感じでしたから

そんなこんなでよ○ろうの滝での宴会がスタートしたのです

若いおいらたち

もう~
今でもすごく記憶に残る大宴会でした

笑いばかりで飲めばいっきいっき♪
しまいにコップ割るは笑いは止まらないはで

コップ割っても店のおばちゃんの
「怪我してないか?」
っていう心づかいが昭和のよさだったりもしたんですが

そして
飲んでるとどこからともなく『○○○○~』などと
別の宴会の中から名前呼ばれたりと(kayoの名前^^)

みると
久々の小中学校時の同級生だったり

プチ同窓会状態でさらにヒートアップの宴だったのでした

もうなにやらわからぬ卒業式の宴会&同級会状態

楽しくて楽しくて

もう記憶が…

わいわいがやがや・・わいわい

わいわい・がやがや…あははははは

んだんだ…あはっははは

久しぶり~…飲め飲め^^

おめでとう~…乾杯~がやがや

コップ割れた・・あははははは

わいわいがや…

がやがやがや…

がやがや…

が…



 …


・・・


はっ


あれ?


ここは?

どこだ?


明るい気がする


鳥のさえずりが聞こえる


頭いてー


なぜか目が開かない!


と…

続く


ゴメン
今日はここまでにしときます

本当は一気に書こうと思ったんだけどすごく長くなりそうだから・・・

二部構成にします。
(ベーあーの真似ではないけど

続きはすぐに書くので待っててください

って誰もまってないかな

待っててください
コメント (3)
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喧嘩の前の儀式・・・

2011年02月24日 21時34分34秒 | 『居酒屋 加代』 時代
居酒屋加代時代

しょっちゅうけんかばかりしてた紀子おばちゃん…

相手は
お客さんであったり、
従業員のおばちゃんであったり
時には“じさま”だったりと…

深酒すると誰かれ構わずけんかを吹っ掛ける
困ったものでした

おいらに暴力振るうことはなかったけど
あまりにひどい時はじさまと柱に縛り付けたこともあった

それでも大暴れしていた紀子おばちゃん

しまいに観念したころ解放するんだけどさ

そんな大暴れした次の日は…

実はkayo
ひと儲けdayとなるのでした

実は紀子おばちゃん
大暴れする時いつもやることがある(癖?)

まず…

「このやろー!!!んがやるがー!!!」
と一声

そしてその後、付けてるネックレスに手をかけたかと思えば…

ブチッ!!

っと手で思いっきり切るのでした
おバカな人

なんのためにそんなことするのか…

喧嘩(祭り?)の景気づけか
それとも相手への威嚇か

そんな儀式が終わりめでたくお祭り(喧嘩)が始まるのだけど

祭りの後はいつも悲惨なものでした

ガラスは割れるコップは割れる
冷蔵庫は倒れてる、血が付いてる

話しそれた

そんなこんなの次の日

正気に戻った紀子おばちゃんがkayoに持ってくる物

それは…
前日手で切ったネックレス

それをkayoは祭り(喧嘩)の次の日
自前のプライヤーやらニッパーで修理していたものでした。

修理は破損状況と価値に合わせて有償で請け負っていたものでした

でも
今考えるといいネックレス持ってたんですよ~
純金のネックレスとか
ホントいっぱいあったんです

18Kなんてついてたら
子供ながらも「なんだ18金じゃん」って感覚だったし

すでに見慣れてたkayo

“じさま”古物商もやってたから
ルビーやオパール…その他、宝石けっこうあった。

着物とかも売ってたなぁ…

そんな
紀子おばちゃん持っていたネックレス…
実はお客さんからの貢物が多かったとは思うけど

その後はいったいどうしたのか
きっと売ったびょん

今もあれば結構な値がついてるでしょうけどね~。

近々、紀子おばちゃんのとこに漁りに行ってくるかな
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じさまの命日

2010年12月19日 21時51分42秒 | 『居酒屋 加代』 時代
今日はジサマの命日でした。
亡くなって
10年くらいになるかな。

kayoは長男ではあるものの…
うちの父も長男。

父は今は行方分からず…
自由奔放でいつもどこにいるのか分からないから。

仏壇は一つ飛び越えてkayoにある。

最近は
『トイレの神様/植村花菜 』の曲なんかのように

おじいちゃんおばあちゃんの大切さが歌われてヒットになったりしてますが…

kayoもジサマとは付き合い長かったからさ
その歌を聞くとよく思い出します。

ただ…
そんないいジサマではなかったけど

ん?
いいジサマでもあったか…

おいらはジサマは自分にとっての育ての親でもあったけど
綺麗なことばかりではありませんでした。

小4の時に父の再婚相手と合わずに登町に戻ってきたkayo

待っていた家族はジサマと紀子おばちゃんでした。
(紀子おばちゃんも出戻り)

毎日毎日…
お客と喧嘩の紀子おばちゃん

ジサマは川反で酔っぱらって帰ってくる。

そのたびに夜中、起こされ…

夜になると豹変するジサマでした。
真夜中…2時か3時に起こされる。
とにかく荒れていた時期はひどいもんでした。

そばにいなきゃ怒る。ラーメン作らなきゃ怒る。
話しに相槌をいれなきゃ怒る。寝ると怒る。

じさまは自分が寝るまでおいらをそばに置いて…
逃げようとすると怒る。

身の危険を感じて外に逃げて公衆電話から親戚のうちに電話かけたのもしょっちゅうでした。

もう酒乱の頂点の時はkayoを前に座らせ
「お前はすてられたんだ!」などと言われ…

夜中…真正面でそれを聞いてなぜか涙が出るの止められない自分。

トイレに行くのも手伝わされるほどべろんべろんに酔っぱらって。

でもね
『どうせ酒飲んだ時のことなんか分からないんだ』と…
そう思っていたんだと思う。

だから次の日はいたって普通でした。

酔っぱらった時に嫌なことされたり…
嫌なこと言ってたりした本心はいまだ分からないけど。

そんなジサマではあった。

でもね
大変なのは夜の酒飲んだ時であって。
日中は市場に連れて行ってもらったり

春と秋は山でわらび採り、キノコ採り

弁当を作ってもらったりしたこともあった。

普段はそんなに怒られることもなく可愛がられてたと思う。

だからじっさいには恨んだこともなく大好きだったと思う。

酒乱になった時は必死に水飲ませたものでした。
水飲ませると酔い覚めるって教えられていた…

早くいつものジサマに(紀子おばちゃんに)戻ってほしかったんだと思う。

これは『居酒屋 加代』時代の嫌な部分ですけど。

そんなジサマではあったのですが
晩年は『居酒屋 加代』も廃業し一人になってました。

紀子おばちゃんも再婚し別に住み
kayoも一人暮らしをし始めと…

それでもみんなちょくちょく立ち寄っては酒を飲み笑いあって
紀子おばちゃんはすぐ近くに住んでて老人になったジサマをよく見てた。

さいごは脳こうそくで倒れ…

病院で復活したものの

何年か後に…
(9年前に他界)

その時に思い出すのは…
病院に行った時親戚のみんな
『○○!(kayoのこと) おめ来ねば死にきれねくてジサマ待ってら!』
と言われたこと。

その後すぐに息を引き取る時…
『じいさん!』って呼んだ時

心音の機械が大きく反応して静かに引き取ったこと

いろいろあったけど
最後をみとることできたこと
kayoにとってすごく大きな出来事でした。

いまは・・
いろんな経験させてくれたジサマに感謝でいっぱいです。

『といれのかみさま』にも病室でおばあちゃんがいた内容の歌詞があるけど…
なんかダブります。

今日はそんなジサマの命日だったのでした。

後最後に言いたいことが…

トラウマになってるのでしょう。
酒乱の人は今では絶対に許しません!!







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2階から落ちた日…

2010年08月19日 22時03分39秒 | 『居酒屋 加代』 時代
みなさん
2階から落ちたことありますか?(だしぬけに

kayoが小学校低学年の時の話し…

昔々の『居酒屋加代』のあったおうち
kayoのおうちには二つの2階があった

昔ながらの町中にあったkayoのおうちは間口が狭く奥行きがながーいいわゆる『うなぎの寝床』状態。
旧町屋なんかはみんなそうですよね。

そして道路に面した2階部分は、
1階が『加代』で2階は3間ほどある居住の和室

で、
一階をずずーっと奥に行くともう一つ階段があり

そこは通称『蔵の2階』と呼ばれる普段は誰も立ち入ることのない2階だったのでした。

子供ながらのkayoはそこはすごーっく広いスペースで

窓はほとんどなく
ものはあふれかえり
そして電気は豆電球で日中も薄暗い

夜は怖くて入れない

しかし段ボールと古いものであふれかえったその部屋は
小さい時のkayoの探検の場にふさわしく

実際物をあさっていると昔のルーレットゲームやら
もっと昔のゲームやらカルタや鯉のぼりやらと

ある日は飼ってた猫が数匹の子猫におっぱいやってたの見つけたことも合ったりして

とにかく蔵だけにいろいろ出てきたものでした。

ある日…

家に誰もいなくなった時

またkayoはこそっと蔵の2階に上った。
(普段行くと怒られる

そして探検ムードでまた遊んでいた。

けっこう幸せだったと思う。(一人で

ドライバーを見つけた

で、
窓のとこでなんかやってた。(何やってたかは定かではない)
したら

窓からドライバー落とした。

そこは総2階になっているから下にある細長い庭に落っこちたと思った。

したら

幸か不幸か

一階にある紀子おばちゃんの部屋の窓の上にひさし用の小さい屋根があって…
その屋根の上にドライバーが乗っかってたの

kayo…
ラッキー

迷わず窓から身を乗り出して取りに行った

一瞬でした

窓に手が届きそうなまさにその瞬間

ズルッ!バリバリバリー ドスン!!! 

気付いたらお空でした

一番先に思ったのが

◎ 息ができない
 (背中打ったからと思われる)

◎ 背中が感覚ない
 (背中打ったからと思われる)


なんとか起き上がり
状況は理解した。

そしてkayo…

なぜか
すぐにお風呂に入った

こ、これは…

いまだに当の本人のkayoも謎なのですが

とにかく風呂に入った

そして背中を洗った(訳分からん

で…

布団に入って寝た

意識朦朧のまま寝た

しばらくして
じさまが帰ってきたらしく

異変に気づいたらしい

何に気付いたか

一番奥には細長い庭があったんだけど
そこは普段物干し場になっていて

物干し用にたくさんの紐が張り巡らされていたの

その張り巡らされていた紐がほとんどちぎれていたらしく…

そうなのです。

kayoが落ちた時、
バリバリバリーって音がしたのは…
紐に引っ掛かりながら落ちたようなのでした
だから、おおごとにならずに済んだらしい

で、2階から落ちたと察したじさまはそっこーでおいらを起こしに来た。

なぜか熟睡していたらしく
かなり起きるのに苦労したような記憶がある。

無事なのを確かめたらジサマは
「落ちた後風呂に入ったか?」と…

風呂も沸かしてたから不思議に思ったらしく

なぜか風呂に入ってから寝たことを告げたら

また笑いの種に紀子おばちゃんに話してました

あの紐に絡まれなかったら今頃いなかったかも~
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日本海中部地震

2010年06月10日 22時13分20秒 | 『居酒屋 加代』 時代
まさる日本海中部地震のとき…
kayoは中学2年生だった

秋田市の中学校の校舎の3階で、数学の授業中

いきなりでした
ゴゴゴゴゴ!って

して誰かが地震だー!

って叫んだと思ったら

もうなにがなにやら分からない状態…

とくに3階にいたからすごい揺れで、机にしがみつくしかなかった。
揺れが収まってみんな話ししだした時にはもう机はめちゃくちゃだったのでした。

そっこーでみんな指示に従って避難して、
隣のクラスなんかは美術の時間だったらしく…
机に潜ったはいいが絵具の水を体に浴びてみんな水浸しだったし
非常時にも関わらず…
みんな笑ってたけど

さらに
けっこう大変な地震ではありましたが
学校は早くに終わるなどでみんなはラッキームードと

まあ、幸い中学校ではけが人もなく
緊張感のない中学生達だし、しかたないけどね

とは言え、
みんな自分の家はどうなってるのか気にはなっていて(当時は携帯なんてありませんから
やはりみんなうちに急いで帰ったのでした。
kayoもそのうちの一人…

kayoの住んでいた『居酒屋 加代』付きの自宅は
決して地震に強いとは思えなかったし

そして心配しながらも家についたのではありますが…
『ただいまー!』
『うわっ!酒くさっ!!!』kayo

まず、そこで目にしたものは
無数の割れたボトル

そうです。
『居酒屋 加代』ではオールドっていうお酒(いわゆるダルマってやつ)をボトルキープにしてたため店にはからから~ってたくさん並べてたんです。
おそらく50~60はあったと思う。
それがしっちゃかめっちゃかになってたんです

『うわ~、だいぶ割れたなあ』kayo
「おかえり~」と紀子おばちゃん

無事で元気そうでした。
しかし

ここからです!
おいらは見てはいけないものを見てしまったのですピエ~

『おかえり~』と店からのんきに返事をしてきた紀子おばちゃん

手には空のボトルになんか大きな瓶のウィスキーを注いでいる。

『何してるの?』kayo

『なんも、ボトルいっぱい割れたから空き瓶にウィスキー足してるんだ』と紀子おばちゃん。

そこまではいい…

しかしよく見たらオールドの空ビンに注いでいたのは


なんと

サントリーRED
見てはいけないものを見てしまった

確かにうちに来る客、
オールドもREDも分からない気もするけどさ
もうちょっと隠れてやってくれ~

って感じでした

あれだけの大地震にも関わらず…
中学生に勝るとも劣らない緊張感のなさの『居酒屋 加代』だったのでした
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ガメチャリ

2010年05月13日 22時23分10秒 | 『居酒屋 加代』 時代
時はkayo高校生。麻雀時代のお話です。

以前もこんなブログネタありました。
『雀荘 加代』ネタ^^

続き…

ある日またkayoは『居酒屋 加代』の真上にあるkayoのお部屋で友達と麻雀していました。

ジャラジャラ、ジャラジャラ「ポン!チー!」なんて

世間話しや、最近の面白い話題なんか言い合いながら楽しいひと時です。

その時の話題で…

まずはkayoから話題提供

「こないだや~、駅前にチャリンコ止めてバイトしてたら。盗まれてよ~」

「まじが!」友達たち

「鍵も付けてながったし。失敗した。
んで、しょうがないから次の日学校までチャリで二人乗りさせてもらっていったなや~」kayo

「んで?」友達…

「したっけ途中で似たようなチャリがあってや~」kayo

「盗まれたチャリが?」

「違ったけど鍵付いてねがったからそのまま乗ってきた

「うわ!ひでーな」友達たち…

「しかも同じ赤いチャリだから、うちのじさま気付かないで片づけてんだって^^」

「それ、受けるな^^」

なんて他愛のない?会話

そのころ、秋田では『ガメチャリ』が流行っていました。

『ガメチャリ』とは?
がめる=盗む  チャリ=チャリンコ(自転車)

要は、
「盗んだチャリンコ」なので『ガメチャリ』です

まあ…
今はもう時効ですよね

そして
そんな話ししているときに事件は起こったのです

仮にその場にいた友達を《さく》と呼ぶことにしよう^^
(それは当時、ハゲしいな桜井君。という漫画が流行ってたことにちなんで

「おれもやー、先週チャリ盗まれたんだよな~」さく

「最近、油断してればすぐだやな~。鍵やっぱかけてなかったべ」kayo

「なんもだ!ちゃんと鍵かけててもやられたんだや~。」さく

そしてもう一人が言った。
その友達の名前は…

そう《クラッチ》にしよう^^。

クラッチが言った。
「そういえば俺もや~、先週。駅から家に帰る時や~、駅前のミスド(ミスタードーナツ)の前にあったチャリ、ガメてきた」

「鍵は?ついてなかったのが」kayo

「なんも…ついてたけど壊した」クラッチ

「んだのがー」kayo

続けてクラッチは言った
「一応ふ○く高校のステッカーだったけどよー。ハンドルもノーマルだったし、たいしたことねー奴のチャリンコっぽかったから鍵壊してガメてきたー」

「んだのがー」全員

で、一瞬間があって…

さく…
「それいつだ?」

「ん、?」クラッチ
「先週の金曜だっけ」

みんな、手が止まった。…まさかな~

「もしかして、かごに○○ってステッカー。貼ってなかったが?」さく

クラッチしばし考え記憶をたどる…

そういえば
「おー!!!あったあった!」

「おめー盗んだチャリ!俺のだねがー!!!」さく

みんなその瞬間大爆笑でした

麻雀どころじゃありません

まさか、チャリンコ盗んだ犯人と被害者が一緒に麻雀やってるなんて
しかも向い合せ

「おめー。その後大変だったんだや」さく

全員爆笑

「チャリ、ちゃんと返せやなー」 さく

またまた爆、爆笑!

そしてクラッチ

「いやあ、わりー。でもよ、そのチャリ次の日また盗まれたんだわ

また大爆笑でした
ほんと偶然とはいえひどい話ですよね。今考えると

その《クラッチ》
今は多分東京でこのブログでも見てるのかもしれないです。
思い出しててくれればいいんですけどね

もう一人の《さく》
漫画、ハゲしいな桜井君…知ってる人はどんな風貌かは想像がつくかと思います。

もう40…かなりいってることでしょう

懐かしい、麻雀時代のお話しでした
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悲しいひよこの物語

2010年05月04日 14時44分24秒 | 『居酒屋 加代』 時代
明日は五月五日『子供の日』

1980年代
その頃、子供の日になると公園にて子供たちにひよこをくれる習慣があった。

kayoのうちの周辺だけかな?

子供の日になるとkayoたちの遊び場の公園に、
どこからやってきたのかおじさんが箱を抱えて現れる。

子供たちがいっせいに集まる。
そしておじさんがパカッと箱の蓋を開けると・・・

みんな『わーっ!』

って。^^
可愛いひよこがピヨピヨ。

そしてみんな一匹ずつもらっていくのでした。

今考えるとはた迷惑な話しですが…
当時はまだ昭和の時代。
飼う人もいたし、田舎に持っていく人もいたと思う。

ヒヨコってさ。
オスメスの区別は素人には分からないらしい。
でも、おじさんが持ってくるのは全てオスだということでした。(プロだったんですね)

ただ、たまに間違いがあって育てているとメスだったラッキーってのもあると聞いていた。

そんなヒヨコたち。
kayoがもらったのは確か中学校1年のときだったかな?

家に連れて行った。

当然怒られた
『うちに猫いるのに持ってきてバガケ

たしかに…
そこまで考えなかった

それでもピヨピヨ鳴いているヒヨコはすごく可愛かった。
手の上で鳴いてたりして可愛いひよこ。

そしてkayoは頑張って飼う事にしたのです。

6月、7月と日ごと大きくなるヒヨコ。
餌もスーパーから買ってきて毎日世話した。

だんだんヒヨコでなくなってきたのにはショックだったけど
(白くなってきた)

トサカが生えるまでは
もしやこれは間違いの雌鳥なのでは
などと密かな期待を抱くも…

見事、りっぱなトサカが生え始め
夏休みごろには『コケコッコー!!」などと鳴く始末
(そういえば、最近鶏の鳴き声聞こえないですね…)

中一の2学期の放課後、
サッカーの部活動中グランドで練習していたら担任に呼ばれた。

「○○!家から連絡が入った。緊急の用事だからすぐ帰るように」と担任

みんな「なんだなんだ?」って言ってきたけど
kayoもなにやら分からず帰宅。

家に着くなり紀子おばちゃんが
「○○、鶏が逃げた!捕まえるの手伝えっ」

「なんだそれ!」

そして近所中走り回り、
向かいのうちのそのまた裏のうちに行って
一本反対側の道路を越えてまで探してなんとか捕獲したものの…

「こんなことで呼ぶなよ」って感じでした。

次の日の学校では、みんなに「昨日、何あったなや。なにした?」
と聞かれても…
「なんでもない、たいしたことないから大丈夫だ」しか言えず

先生にも恥ずかしくて言えなかった。

そして秋…

めっきり寒くなってくるこの時期

ヒヨコ…
じゃなくてもう鶏か、
家の裏で飼ってたんだけど寒そうにしてた。

kayoは人にお願いして1mくらいの大きさの鳥小屋作ってもらってワラを敷いてあげてた。

それでも寒そうにしてたから、
白熱球を中に入れて灯してやったらようやく暖かそうにしてた。

なんとか初めての冬もこれで大丈夫と思ってた。

そして…

忘れもしないクリスマスイブの出来事…

朝、紀子おばちゃんとじさまは様子がおかしかった。
なにやら示し合わせたように鶏に向かっていった。

kayoが異変に気づいたときには足を縛られていた。
しかも逆さにされていた

「ちょっと連れて行くだけだ」
そう行って連れ去っていってしまった。

kayoは、

最悪のことは考えなかった。
考えたくもなかった。

2,3日しても戻ってこない。

紀子おばちゃんも、じさまもその話しにはもう触れない。

年が明けてから、真相を聞いた。

クリスマスの夜『居酒屋 加代』でお客に出したことを
ひどいです

なにも知らないお客がkayoに「肉が固かった」とか言ってきやがった。

そのときは聞き流したけど…

うすうす感づいてはいたものの…
なにも知らないでのんきに話してきたお客。
とにかくひどい話しでショックだった

あの時、鶏をしばって連れ去ったじさま…

実はじさまは昭和30年代は秋田の手形ってとこで肉屋を営んでいたことがあり

kayoの可愛がっていたヒヨコ、
じさまにとっては家畜にしか見えなかったのでしょうか…。

5月5日の子供の日に思い出す、
悲しいヒヨコの物語でした
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麻雀…

2010年04月22日 22時12分41秒 | 『居酒屋 加代』 時代
kayo、高校3年間

部活は…
『麻雀部』
なんて

と、言って良いくらい毎日…毎日毎日毎日…毎・・・

麻雀してました

一階は居酒屋加代 
そしてその真上にあったkayoのお部屋は…
雀荘加代

まあ、映画では『麻雀放浪記』なるものがあったりで
いわゆるブームだったのもあったのですが。
きっとkayoくらいの年代の人はたいてい心当たりがあると思う

そんな時代のお話し…

kayoがいつもの友達を呼んで5人で交代で麻雀してた時の話し。

下の階の居酒屋営業中の紀子おばちゃんが(加代のママ)

「○○、おめーなんかしたんだか?」
と、階段下でさかんでる

「ん、なんだ?ちょっと待ってって」とkayo、麻雀中に抜けた。

「なにしたの」kayo

「○○の友達でなんかやった奴いるんでねーか」紀子おばちゃん

「なんで?」kayo

「さっきから50メートルくらい先で警察がうちを張ってるや」紀子おばちゃん

「なにそれ!知らないって。そっちだべそっちの客だべ」kayo

「こっちは今日はみんな普通の客しか来てねーや」紀子おばちゃん

そんな会話しながらkayoはまた麻雀しに戻った。

当然…
「なにしたなや」友達たち。聞いてくる。

「なんも、そこで警察張ってるらしく。俺らでねーかって言われてよ…」kayo

そこでみんなで
「掛け麻雀ばれたべか…」「煙草ばれたべか…」「不純異性交遊ばれたべか…」
「自転車飲酒運転か?」
「ガメチャリ…」
なんて、無限に続く妄想を話し合って爆笑しながら麻雀を楽しんでた。

そして夜中の12時過ぎ…

居酒屋加代もかんばんで(終わりって意味)
kayoたちも友達が二人ほど帰った…

居酒屋も終わり、
kayoたちも残った友達と3人、部屋で今日の麻雀のことなんか話していた。

そんな時事件は起こったのでした

「○○~」紀子おばちゃん
「なんだ?」kayo

「やっぱりおめーたちだったねが!!!」と紀子おばちゃん

下に降りたkayoは青ざめた
そこには制服着た警察官が夜中の玄関の暗闇の中仁王立ちで立っていた

「○○交番のものだけど」
「はい」
「とりあえず今いる人たち全員外に出てくれるかな」
「は、はい

外に出ると赤いランプのついたままのパトカーがものものしく停まっていた。

kayoは…
(やばい~なんだべなんだべ酒?煙草?かけ麻雀?)とパニックでした。

「友達でバイク乗ってきた人いたでしょう」警官
「はい」全員
「さっき、追いかけたらそのバイク捨てて逃げて行ったんだよね」
「えっ!」全員
「あのバイク盗難車だって知ってた?」
「えー!!!」
って感じでした

「で、君たち何してたの?」警官

「…」

「麻雀だべ」警官

「は、はい

「点何でやってたの」警官

機転を利かした友達が
「それって誘導尋問…」と言ったら

「ははは、ひっかからなかったか!」と警官
けっこういい人だったかも…

そんな訳で実は盗難バイクでkayoのうちにやってきてた友達をターゲットに警察はうちを張ってたんです

当然友達の名前も住所も聞かれてみんな教える羽目になり、
その友達は学校にもばれて停学と…

紀子おばちゃんには
「ほれっ、やっぱりおめー達だったねが!」と言われクソッ

ただ、救いだったのは
友達が盗んだバイクではなく、
盗んだバーイクを♪(なぜか音符付き)買ったのだー♪(あの有名な曲に付けて)

だったようでした
ほんと馬鹿な友達(頭は一番良かったんだけど

そして、そのザキ君(あっ名前出しちゃった

高校卒業の後(無事)東京に行っちゃったんだよね
今頃何をしているのでしょうか

ずーっと逢ってないなあ

逢いたいなあ
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レトロゲーム

2010年03月22日 21時04分35秒 | 『居酒屋 加代』 時代
カテゴリーの『居酒屋 加代』を
(『居酒屋 加代』 時代)に変更しました

で、前に書いた公衆電話のお話しの続き…

当時、kayoには[自動的に貯まる貯金箱]なるものがありました

最初は赤い公衆電話だったのが、
時代と共に『黄色い公衆電話』に変わった。

何が違うのかというと、
『黄色い公衆電話』はなんと!100円玉が使えたのです

でもお釣りは出ないの。

そんな公衆電話、kayoは最初は「100円なんて入れる人がいるわけない!!。」

って思ってた。

しかし…

予想を反して!
お金の貯まるところは約半分ほど100円玉だった
何回も10円入れるの面倒だから大人は100円玉で入れる人が多かったと思われる。

そして、お釣りは出ないもんだから公衆電話オーナーの利益はなかなかのものだったはずです。
うちの場合は違うと思うけど(上がりはkayoの懐に…

秘密の貯金箱を開けるとそこには両手ですくえないほどの10円玉&100円玉が…キラーン

そんな訳でkayoはいつもゲームボーイ

当時やったゲームですが…

まず最初にはまったのが『ギャラクシアン』『ギャラクシアンウォーズ』なるシューティングゲーム。
(これはインベーダーの後、追随した形の進化版!みたいな

kayoのうちから歩いて20分くらいに、バッティングセンターがあった。

「東北最大のバッティングセンター!!」なんてすごーく怪しい大きな看板掲げてあってさ、
そこにそのゲーム機があったの。日曜の朝に一人でよくやってた^^。
(ちなみに今そこはドンキホーテになってるけど。)

あと昔は小さい駄菓子屋にゲーム機が1台、2台あることもよくありいろんなとこにくまなく出入りしてた。

そこでは『ワイルドウエスタン』…なんか夕陽のガンマンみたいなゲーム?^^

その他、『ラリーX』(マリオカートの元祖みたいな)

『侍』ってのもあったなー
(チャンバラゲームなんだけどさ、切りつける時の「ぶちゅっ」って音がなんかリアルで負けたときに…「ムネンアトヲタノム」って出るのが印象的で…)

『ルート16』って最新のカーチェイスゲームみたいなのも思い出す。
(画面が縮尺で表示なるのが斬新だった)

メジャーなとこだと
『平安京エイリアン』『パックマン』『ギャラガ』なんてもあったけど…

中学くらいなると
『ハイパーオリンピック』とかね
みんな最初は10円玉でボタンの押してて

さらには
定規…そして鉄の定規なんか持ち出して怪我人まで出たりで

『クレイジークレイマー』なんかも一世風靡でした

その他(その後…)
『ゼビウス』『ディグダグ』…

って
数えきれないし、紹介しきれなくなってきちゃった

今はPCって無料でこんなに楽しいツールがある時代ですけど…

当時は当時でね~
楽しいものあったんだな~って

再認識

でもお金が必要でしたけど
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インベーダー…

2010年03月18日 22時11分39秒 | 『居酒屋 加代』 時代
kayo思い出のゲームの話し…

小学校4年の時、
『父』はkayoを最初で最後のゲームセンターに連れて行ってくれた。

そのころkayoは父の再婚した相手と半年ほど住んだものの…
いまいちソリが合わず、見かねた父がジサマの家にkayoを預けたの。

そして数日後、父はkayoに言った。

「どっちに行く?」

kayoは…

迷いもなく
「じいさんのうち」

と言った。

その後、無言でkayoを車に乗せ

行った先は…

ゲーセン!!

暗い店内の割にはすごい人の活気。

店内にはゲームが組み込まれたテーブルがたくさん並んでいた。

kayoと父は向い合せに座る。
(ちょと順番待ちもあったかもしれない。)

そう!

その当時は『インベーダー』がめちゃくちゃ流行ってた時代。

子供がインベーダやりたさにお金を盗むニュースが流れて、
小学生は『インベーダ』禁止になるなど、
すごい社会現象になっていた時代でした。

kayo小学校の下校時等、学校帰りの喫茶店の中に『インベーダ』があると
もうガラスにへばりついて見ていたほど珍しかったのでした

話しは戻り…

「インベーダーって子供禁止じゃん」 kayo…

「大人と一緒ならいいんだ」 父…

そして100円を投入。

kayo、初めての体験(ドキドキ
あえなく撃沈 ソリャソーダ

そして父…

kayo目が釘付け

終わらない。

うわさの高得点UFOが上を通過!
300点は普通get!

さらには
これもうわさに聞いた!
名古屋うちじゃん!!

当時は幻の技と言われてまだ滅多に見れない時代!

かなりの高得点叩きだしてました。

そして目が釘付けなってて気付かなかったけど…

ふと周りを見ると

店に来てたお客さん。
ほとんど取り囲んでkayoと同じように父に釘付け状態だったのですー!!!

確か、10万点が間近で

それほどの高得点と名古屋うちが珍しかったらしく

ものすごく…観戦者がすごかった

そして10万点は…

行かなかったんですねぇでも惜しかったはず。
終わった時は観客?からどよめきも聞こえてきてましたけど…

なんにしても楽しかったです。

しかし…

それを最後にして父は別の家庭に行ったのでした…
そしてkayoの『居酒屋 加代』時代の幕開けとなったのです

いろんな事情があるよね。人それぞれ

それにしても…

あの時父はなぜkayoを『ゲーセン』に連れてってくれたのでしょうね

父のすごさを手っ取り早く見せたかった

確かにすごかったけど

以前カテゴリー『居酒屋 加代』の時代に、
kayoの自動的に貯まる貯金箱の話しを書いた。

その使い道のほとんどがやっぱり『ゲーセン』だったとは言うまでもなく…。
DNAは健在なのでした
次回はその時やりまくった懐かしいレトロゲームのお話など…
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