kayoのブログの『ロック』のカテゴリーで一番最初に紹介した
どんとさんの最初のバンドです ローザルクセンブルグ
Rosa Luxemburg-在中国的少年
最初はこんなめちゃくちゃな感じでした。
この映像は、NHKの全国ヤングミュージックフェスタ(YMF)で金賞(全国優勝)を受賞したときの映像。
最後のどんとさんの喜びが印象的です
kayoが聞いてた時は本当この人たちって何??
って感じでしたが中には心の叫びって言うか響く歌もあった。
ローザルクセンブルグ時代は本当に、はっちゃけた感じでした。
コミックバンドって言うか、でもアートでした。kayoは楽しくて好きだった
そして後にボガンボスと言うバンドになり良い曲をたくさん残してくれた。
でも2000年に突然ハワイで亡くなってしまったんです37才
ぶっ飛んだ人たちだな~なんて♪思いつつも好きで聞いてたけど…
で、後から知ったら中退とは言え京都大学に在籍してたとのことで…
やっぱ芸術家だったんですね~。
カテゴリーの『ロック』で一番最初に紹介した人と見比べてみて下さい
全然違う雰囲気ですよ
どんとさんの最初のバンドです ローザルクセンブルグ
Rosa Luxemburg-在中国的少年
最初はこんなめちゃくちゃな感じでした。
この映像は、NHKの全国ヤングミュージックフェスタ(YMF)で金賞(全国優勝)を受賞したときの映像。
最後のどんとさんの喜びが印象的です
kayoが聞いてた時は本当この人たちって何??
って感じでしたが中には心の叫びって言うか響く歌もあった。
ローザルクセンブルグ時代は本当に、はっちゃけた感じでした。
コミックバンドって言うか、でもアートでした。kayoは楽しくて好きだった
そして後にボガンボスと言うバンドになり良い曲をたくさん残してくれた。
でも2000年に突然ハワイで亡くなってしまったんです37才
ぶっ飛んだ人たちだな~なんて♪思いつつも好きで聞いてたけど…
で、後から知ったら中退とは言え京都大学に在籍してたとのことで…
やっぱ芸術家だったんですね~。
カテゴリーの『ロック』で一番最初に紹介した人と見比べてみて下さい
全然違う雰囲気ですよ
今日は建築の仕事も午後から休み
そして午後からは資料作りに没頭してました。
どっちかというとエクセル派のkayoですがどうしてもワード系の資料のような気がして…
チャレンジ精神旺盛でワードに挑戦してました。
結果
2時からやって7時まで
でも、いろいろ触ってたら覚えた
熱中すると楽しいもんですよね
覚えるとまたわくわくしていろいろやってしまいますよね
って感じで資料もできました
なんの資料か…
それは
飛び込み用の資料です
そうっ!!
本当に大変なのはこれからなんだけど
そのための資料作りでした。
これから企業周りだな。
いろんな人と出会い、いろんな職種のことを学び、いろいろ…
うーん
まずは動かなきゃ
そんなための資料作りdayでした
そして…そんな今日の夜はリフレッシュでっす。
楽しいことがあるから頑張れる。
頑張っているから楽しめる。
そんなkayoのスタイルずっと続けていきたいです
そして午後からは資料作りに没頭してました。
どっちかというとエクセル派のkayoですがどうしてもワード系の資料のような気がして…
チャレンジ精神旺盛でワードに挑戦してました。
結果
2時からやって7時まで
でも、いろいろ触ってたら覚えた
熱中すると楽しいもんですよね
覚えるとまたわくわくしていろいろやってしまいますよね
って感じで資料もできました
なんの資料か…
それは
飛び込み用の資料です
そうっ!!
本当に大変なのはこれからなんだけど
そのための資料作りでした。
これから企業周りだな。
いろんな人と出会い、いろんな職種のことを学び、いろいろ…
うーん
まずは動かなきゃ
そんなための資料作りdayでした
そして…そんな今日の夜はリフレッシュでっす。
楽しいことがあるから頑張れる。
頑張っているから楽しめる。
そんなkayoのスタイルずっと続けていきたいです
今日は盛岡に行ってきました。
kayoの事業の関係で盛岡の若い社長さんとの商談のための出張でした。
盛岡まではkayoのうちから車で2時間
意外と近いのです
話しの内容は…
今kayoはとある人からの誘いで商標登録しようとしています。
そして今日は、その商品をフランチャイズで使ってもらえるかの実物を見てもらってのデモンストレーションでした。
すごく野心にあふれる社長さんで(もちろんやり手)こちらの意図していることをすごく理解してくれる。そして決断も早い(若いのに)
秋田ではいないタイプだなって思いました。
秋田では若い経営者はほとんど2世経営者ばかりで…いわゆるボンボン。
決断はできない割に幅を利かせていると言うか
今日の社長さんはすごく自分にもためになりました。
商談の結果はこれからですが、良い出会いだったと思います。
ただ…
商標登録するかどうかが今すごく悩みで…
ってか、商標登録するのは決まってるんだけどkayoが出資するかどうか。
連名で登録するかで悩みです。
もちろん資金面が大きいけど。
うまく行くかお金を捨てることになるか
ある意味博打ですよねー
これが転機となるのかどうか。
チャレンジの時は希望がいっぱいなものなんだけど。
そろそろ慎重にならざるを得なくて。
悩んでます
kayoの事業の関係で盛岡の若い社長さんとの商談のための出張でした。
盛岡まではkayoのうちから車で2時間
意外と近いのです
話しの内容は…
今kayoはとある人からの誘いで商標登録しようとしています。
そして今日は、その商品をフランチャイズで使ってもらえるかの実物を見てもらってのデモンストレーションでした。
すごく野心にあふれる社長さんで(もちろんやり手)こちらの意図していることをすごく理解してくれる。そして決断も早い(若いのに)
秋田ではいないタイプだなって思いました。
秋田では若い経営者はほとんど2世経営者ばかりで…いわゆるボンボン。
決断はできない割に幅を利かせていると言うか
今日の社長さんはすごく自分にもためになりました。
商談の結果はこれからですが、良い出会いだったと思います。
ただ…
商標登録するかどうかが今すごく悩みで…
ってか、商標登録するのは決まってるんだけどkayoが出資するかどうか。
連名で登録するかで悩みです。
もちろん資金面が大きいけど。
うまく行くかお金を捨てることになるか
ある意味博打ですよねー
これが転機となるのかどうか。
チャレンジの時は希望がいっぱいなものなんだけど。
そろそろ慎重にならざるを得なくて。
悩んでます
やっとブログかけた
金曜は恒例のお囃子会のお花見でした
ストーブ5台
もうここだけ結界が張ってるかのごとく完璧な暖かさ
場所でした
鋳物のコンロにガスボンベで鍋もやり
トン汁
そして恒例のお囃子です♪
見物してたり近くで花見してた人から「いい気分で聞いてましたー」
…なんて声かけてくれたり
でも、気持ち良く酔っ払ってたのは自分たちもなんだけど
そんな感じでまた朝まで飲み続けなkayoでした(もちろん場所も移動して)
で、次の日は東京で生活している幼馴染の友人の法事でまた昼から飲み続け
だめだー肝臓が…
そんなこんなでようやくのブログupでした
GWの前にすでに飲みすぎ
でも花見は天候にも恵まれて楽しかったですよ
金曜は恒例のお囃子会のお花見でした
ストーブ5台
もうここだけ結界が張ってるかのごとく完璧な暖かさ
場所でした
鋳物のコンロにガスボンベで鍋もやり
トン汁
そして恒例のお囃子です♪
見物してたり近くで花見してた人から「いい気分で聞いてましたー」
…なんて声かけてくれたり
でも、気持ち良く酔っ払ってたのは自分たちもなんだけど
そんな感じでまた朝まで飲み続けなkayoでした(もちろん場所も移動して)
で、次の日は東京で生活している幼馴染の友人の法事でまた昼から飲み続け
だめだー肝臓が…
そんなこんなでようやくのブログupでした
GWの前にすでに飲みすぎ
でも花見は天候にも恵まれて楽しかったですよ
人は悪いことをしていても必ずそれを正当化しようとする。
kayo住宅会社に入りたての頃
今の社長とある不動産屋に行った
『いい情報が欲しいなら会社に報酬をやるのでなく直接俺にバックよこせ。じゃないといい情報なんか行くわけないだろ!!』的なことを言われた。
社長は当時
『○○君にはこの業界の裏の世界も見せてしまったなー』なんて言ってた。
当時kayoはそんな人もいるんだろうね的なくらいにしか思っていなかったけど…
この世界
想像以上に汚かった
営業のとった仕事の発注権での利権
うわさの絶えない輩や接待三昧?
最近だとまるで誰のために受注してるのか…
若いころはそんなの考えなかったけど(忙しかったから)
ここ最近受注が思うようにならなくなると特に目に付いてくる
そして自分はどうか
やはりお歳暮やら勉強会と称する接待旅行
メーカーは自分にお金を出しているのか?
答えは
絶対に違う
自分の勤めている会社にお金を投資しているにすぎない
それが自分にはすごく嫌で我慢できないとこであって
でもそんな甘い汁を平気ですする人がいることもすごく嫌になる。
だから本当は自分で、事業で誰にも負い目を作りたくないと思う。
うまくやっている人たちが逆に評価されていることも凄く嫌で嫌で…
悪いことをしても『会社が儲けすぎで。とか、家族を養うためにはしょうがない』なんて正当化する言葉も自然に出てくるのだと思うけど。
(でも…悪いことは悪いですよね)
あくまでメーカーから見た自分は会社の看板があってのこと。それがなければだれも相手にしてくれるはずがないと謙虚に思うようにしている。事実だし
自分だけで評価されたい。
そう思うから事業をやったのかも。
ただ、今いる業界に嫌気がさしているのも確かです。
そして自分自身もそんな染まりそうになるのが恐い。で、嫌になる。
限界
kayo住宅会社に入りたての頃
今の社長とある不動産屋に行った
『いい情報が欲しいなら会社に報酬をやるのでなく直接俺にバックよこせ。じゃないといい情報なんか行くわけないだろ!!』的なことを言われた。
社長は当時
『○○君にはこの業界の裏の世界も見せてしまったなー』なんて言ってた。
当時kayoはそんな人もいるんだろうね的なくらいにしか思っていなかったけど…
この世界
想像以上に汚かった
営業のとった仕事の発注権での利権
うわさの絶えない輩や接待三昧?
最近だとまるで誰のために受注してるのか…
若いころはそんなの考えなかったけど(忙しかったから)
ここ最近受注が思うようにならなくなると特に目に付いてくる
そして自分はどうか
やはりお歳暮やら勉強会と称する接待旅行
メーカーは自分にお金を出しているのか?
答えは
絶対に違う
自分の勤めている会社にお金を投資しているにすぎない
それが自分にはすごく嫌で我慢できないとこであって
でもそんな甘い汁を平気ですする人がいることもすごく嫌になる。
だから本当は自分で、事業で誰にも負い目を作りたくないと思う。
うまくやっている人たちが逆に評価されていることも凄く嫌で嫌で…
悪いことをしても『会社が儲けすぎで。とか、家族を養うためにはしょうがない』なんて正当化する言葉も自然に出てくるのだと思うけど。
(でも…悪いことは悪いですよね)
あくまでメーカーから見た自分は会社の看板があってのこと。それがなければだれも相手にしてくれるはずがないと謙虚に思うようにしている。事実だし
自分だけで評価されたい。
そう思うから事業をやったのかも。
ただ、今いる業界に嫌気がさしているのも確かです。
そして自分自身もそんな染まりそうになるのが恐い。で、嫌になる。
限界
みなさん気絶したことありますか??
kayoは一回だけあります。
それは確か中学校一年くらいだったか…
居酒屋kayoのあった時代。
真夜中kayoが寝ていると
ガチャーン!ガチャガチャガチャ んがーてめー コノヤロー
また始まった
だいたい夜中の1時か2時ころに暴れるのは店のママであるおばさん
それをじさまが押さえる。(まあ親子です。)
酒乱なおばさんを止めるのが、(その日は)じさまの役目だった訳です。
kayoは2階の布団の中でことの成行きを見守っていた(単にうるさくて寝れないから)
いつもだと紐で縛るやら、じさまが腕力でねじ伏せるやらで大騒ぎしながらも終わるものなんだけど…
(そんな3人家族だったのです)
その日だけは
ガッツン!!ギャーッ!!!
なんて声が聞こえたので
これはやばいっと思って一階に下りて行った。
すると居間と廊下は血だらけ じさまは目を押さえててそこから血がだらだらと
そしておばさんはすでにいない
じさまにタオルを渡し話しを聞いたら暴れるおばさんを廊下で追いかけた時、振り向きざまに量り(あの5キロくらいまで分量見る分量計)で殴られたのだとか
良く見たら目の上がぱっかり割れてて血が噴いてた。
目でなくて良かったけど。
そして今度は張本人のおばさんの部屋に行った。昔の家なので間口が狭く細長い作りでおばさんの部屋は一番奥にあった。
そこに行くとおばさんはブルブル震えていた。その当時、おばさんは32才くらいだったと思う。
酔ってたとはいえ、やっぱやったことにビビってたのか…kayoが行くと、ずっとここにいろと言う。そしてみんな自分に冷たいなどと愚痴を言う。(ただの酔っ払い)
トイレに行くと言っても窓からしろって言うし多分一人になるのが怖かったんだと思う
おさまっておばさんが寝付いたころになんとか抜け出して今度はじさまの布団に行くとすでに寝息たてて寝ていた
そして居間も廊下も血だらけのままkayoも寝る。
朝…
普通に中学校、平日です
友達が迎えに来ます(いつも)
ガラスが散乱して、家具がめちゃくちゃなってても友達も慣れている
kayoはもちろん寝坊であわててしたくする(一人)
そこで
寝ているじさまを思い出した。
友達が待っているのにもかかわらず(っていうか、かなりあわててたんだと思う)
救急の用品があるところからオキシドールの瓶を取り出し
二階のじさまにガーゼとオキシドールの瓶をおきに行った。
階段登ってった、そのとき
足を踏み外した
そしてその拍子にkayoの持っていたオキシドールの瓶の上にkayoの目が刺さった
もう眼球が破裂してもおかしくないくらいオキシドールの蓋がkayoの右目にめり込んだ
目が真っ白で意識朦朧のままなんとかじさまの枕もとにオキシドールを置いたまでは覚えている。
そのまま気を失った。
気付くと下で待っている友達の呼ぶ声が…
多分数分くらいだったと思う1分か5分か分からない
それが唯一kayoの気絶したときでした
参った。
そしてその日家に帰ると…
じさまが『朝起きたら○○が枕もとになんかガーゼと薬置いてたんだな~』ってのんきにおばさんと話してて
さらに『でもその薬ベンジンだったやー!!』あはははって二人で笑ってて
『えっ?』って感じでした
オキシドールだと思っておいたらベンジンだったらしく
しかもそのためにkayoは気絶までして
その上あんたらは何で今、そんなに普通に会話してるんですか
って感じでした。
酔っ払いで二人の記憶はどこまで覚えているのか・・・
そんなのがしょっちゅうの居酒屋加代時代でした
ほんと勘弁
今こうやってブログにあらためて綴るとだいぶ普通ではない生活だったかもって思います
kayoは一回だけあります。
それは確か中学校一年くらいだったか…
居酒屋kayoのあった時代。
真夜中kayoが寝ていると
ガチャーン!ガチャガチャガチャ んがーてめー コノヤロー
また始まった
だいたい夜中の1時か2時ころに暴れるのは店のママであるおばさん
それをじさまが押さえる。(まあ親子です。)
酒乱なおばさんを止めるのが、(その日は)じさまの役目だった訳です。
kayoは2階の布団の中でことの成行きを見守っていた(単にうるさくて寝れないから)
いつもだと紐で縛るやら、じさまが腕力でねじ伏せるやらで大騒ぎしながらも終わるものなんだけど…
(そんな3人家族だったのです)
その日だけは
ガッツン!!ギャーッ!!!
なんて声が聞こえたので
これはやばいっと思って一階に下りて行った。
すると居間と廊下は血だらけ じさまは目を押さえててそこから血がだらだらと
そしておばさんはすでにいない
じさまにタオルを渡し話しを聞いたら暴れるおばさんを廊下で追いかけた時、振り向きざまに量り(あの5キロくらいまで分量見る分量計)で殴られたのだとか
良く見たら目の上がぱっかり割れてて血が噴いてた。
目でなくて良かったけど。
そして今度は張本人のおばさんの部屋に行った。昔の家なので間口が狭く細長い作りでおばさんの部屋は一番奥にあった。
そこに行くとおばさんはブルブル震えていた。その当時、おばさんは32才くらいだったと思う。
酔ってたとはいえ、やっぱやったことにビビってたのか…kayoが行くと、ずっとここにいろと言う。そしてみんな自分に冷たいなどと愚痴を言う。(ただの酔っ払い)
トイレに行くと言っても窓からしろって言うし多分一人になるのが怖かったんだと思う
おさまっておばさんが寝付いたころになんとか抜け出して今度はじさまの布団に行くとすでに寝息たてて寝ていた
そして居間も廊下も血だらけのままkayoも寝る。
朝…
普通に中学校、平日です
友達が迎えに来ます(いつも)
ガラスが散乱して、家具がめちゃくちゃなってても友達も慣れている
kayoはもちろん寝坊であわててしたくする(一人)
そこで
寝ているじさまを思い出した。
友達が待っているのにもかかわらず(っていうか、かなりあわててたんだと思う)
救急の用品があるところからオキシドールの瓶を取り出し
二階のじさまにガーゼとオキシドールの瓶をおきに行った。
階段登ってった、そのとき
足を踏み外した
そしてその拍子にkayoの持っていたオキシドールの瓶の上にkayoの目が刺さった
もう眼球が破裂してもおかしくないくらいオキシドールの蓋がkayoの右目にめり込んだ
目が真っ白で意識朦朧のままなんとかじさまの枕もとにオキシドールを置いたまでは覚えている。
そのまま気を失った。
気付くと下で待っている友達の呼ぶ声が…
多分数分くらいだったと思う1分か5分か分からない
それが唯一kayoの気絶したときでした
参った。
そしてその日家に帰ると…
じさまが『朝起きたら○○が枕もとになんかガーゼと薬置いてたんだな~』ってのんきにおばさんと話してて
さらに『でもその薬ベンジンだったやー!!』あはははって二人で笑ってて
『えっ?』って感じでした
オキシドールだと思っておいたらベンジンだったらしく
しかもそのためにkayoは気絶までして
その上あんたらは何で今、そんなに普通に会話してるんですか
って感じでした。
酔っ払いで二人の記憶はどこまで覚えているのか・・・
そんなのがしょっちゅうの居酒屋加代時代でした
ほんと勘弁
今こうやってブログにあらためて綴るとだいぶ普通ではない生活だったかもって思います