親友のお母です。皆さん。お願いしますRT @takashix98: 【拡散希望】“捜索願い。 箕輪節子さん70才。上着グレー、ズボンクリーム色、白のブーツ、身長156、体重45。pic.twitter.com/4BhdUq9J" #saku #matsumoto
いやいや、よく降りました^ ^特急しなの車窓から。 pic.twitter.com/iTeRmJQ7
権力、金力、暴力を抑圧の手段として使うものは、それらが効き目があることを自らの経験の中で内面化してきたものたちだ。こういうやつらは、人間はすべて自分と同じように、権力や金力、暴力の前で卑屈になるものだと思っている。
(カフェでパソコンをいじってる人について)パソコン野郎ってのは、鼻持ちならないね。アイツら仕事してないぞあれ。仕事してるふりしてるのよ。そういうことしてる自分は美しい、仕事ができる、と周りから羨望の眼差しで見られてる、というつもりになってる連中よ。
愛のある体罰は、暴力ではないというのは、とんだまやかしだ。体罰は、暴力そのものである。暴力を否定するところから、どんな詭弁を弄しようが体罰を肯定する結論を導くことなどできない。
繰り返すが、ただの暴力よりも、体罰というような権力を背景にした暴力はもっと質が悪い。ヤンキー先生とかいうやつの言い分は、その質の悪さに無自覚という意味で、もっと質が悪い。
車窓からの景色。どこも同じような景色。田舎がなくなって、どこもかしこも都市になったってことね。さて、もう少しで姫路に到着。
松本とは全く違う景色の姫路。雪がなくて、暖かい。朝の松本は路面がツルツルで、歩くのも気にかけながらだったけれど、こちらはそんなことはなく、気にかけなくても歩ける。
「人々に慕われる王は次善の王、真にすぐれた王は、その存在を意識させないものだ」という話が、たしか『荘子』にあったと思う。これをスポーツの指導に取り入れることは、容易ではないかもしれない。
たとえば、四国の私の講習会の世話人の守伸二郎氏然り、名古屋の世話人の山口潤氏然り、「虎拉ぎ」の脚足部への応用に気づいてくれた北川智久氏然り、「追い越し禁止の原理」に気づいてもらった信州の江崎義巳氏然り、そして甲野陽紀然り。
刃物で何か事件が起これば、すぐに刃物を禁止する、という馬鹿げた事で、子どもの手先はどんどん鈍くなる。とにかく、何か問題が起こったら、すぐ「~を禁止する」という短絡的発想は決して実りある結果を生まないものだ。